こんにちは。
それでは、約束どおり、漁業法の理解について、書いていく。
全部で5回の予定。
漁業法解説書のような例示はしていないので、わかりにくい部分は、アップデートしていくかもしれない。
最初の考え方さえ覚えれば、あとは、それに従っていけばいい。
決して難しいものではない。
海は、公共のもの、みんなものである。
川もそうであり、道路もそうである。
(※1)誰もが、自由に使用できる。
他に誰もおらず、一人で使用する場合には何も問題は起こらないが、複数や大人数で使用する場合、必ず、問題や争いが起こる。
それらを防ぐために、許可を受けて使用したり、排他的に使用したりする場合がある。
(※2)これが、基本である。
漁業法は、この基本に従う。
海を誰もが自由に使いたい。
しかし、それは、使いたい人がたくさんいるから、無理な相談というもの。
秩序を保つために、何も申し合わせないと、必ず、争いが起こる。
短気な人が多くいる場合(笑)、それは暴力を伴うだろう。
他人の道具を切ったり、ドロボーしたり。
やられたら、やりかえせ!
こんなことをしていれば、お互いが不利益を被ることになる。
それを防ぐためとして、みんなで話し合い、規則を作る。
これを漁業調整という。
漁業調整のことを定める基本的な法律が、漁業法なのである。
(※3)漁業調整は、はっきり言えば、その漁場の優先順位を決めることである。
実際の条文には、優先順位などという言葉は使われていないから、私たちは、漁業法や漁業権という言葉を聞くと、つい難しいものだと勘違いしていまう。
しかし、中身は、優先順位を決めるものなのだ。
こう書くと、「違う」という人がいるかもしれないが、じゃあ、利害で衝突する場合、どうやって解決するのか、という話になる。
みんなが「平等」という言い始めれば、解決できないのだ。
だから、優先順位と考えて差し支えない。
実は、ここのところが、昔、漁業の法律を作った先人たちの苦労だったと思う。
したがって、私たちが条文を読めても、中身を理解しにくいのはしかたがないことであり、昔の水色の本である漁協経営センター「水協法・漁業法の解説」を読んでもなかなか理解できなかった理由は、この辺にあると思う。
さて、漁業権やその他の権利に対する考え方について。
漁業権は、その名の通り、権利そのものであり、財産権である。
ところが、漁業許可は、権利ではない。
権利とは、漁業許可が出て、実際に実績を作り、初めて権利となる。
これを慣習上の権利という。
自由漁業も同じ扱いであり、生業として自由漁業の実績があれば、これも慣習上の権利となる。
漁業許可があっても、何の操業もしていなければ、それは権利とはなり得ない。
(※4)海、その他の公共用物ではすべて、「慣習上の権利」が成立し得る。
(※5)したがって、海面で漁業を営む「権利」、というのは、漁業法で定める漁業権のほかにも、慣習上の権利を含む。
(※6)海も川もその他も、公共用物に関しての権利は、同じと考えていい。
たとえば、山林原野や水利権などについて、定める公法はない。
したがって、すべて慣習に従っている。
(※7)一般の法律では、法律と慣習が矛盾する場合、法律のほうが優先されるが、法律で慣習に関して何ら制限がない場合は、慣習は、法律と同等の効力をもつ。
(※8)漁業法ももちろん、これに従う。
(※9)漁業法で定めてある狭義の「権利」を、漁業権と呼んでいるが、これには、共同漁業権、定置漁業権、区画漁業権がある。
(※10)さて、公共用物である海面で、漁業権が設定されている場合がある。
特に、共同漁業権海域などは広い範囲に及ぶ。
そこで、漁業者が漁業をしていない場合について考える。
この場合、一般人が、水泳をしようが、ジェットスキーをしようが、ダイビングしようが、自由にその海面を使用していい。
海が公共用物であるから、自由使用が原則なのだ。
釣りに関しても、権利者である共同漁業者たちが取り決めている魚種、漁法による制限に、その魚類や海藻類が指定されていないなら、自由にやっていい。
飽くまで、漁業権というのは、漁業をする権利であって、海面を占有する権利ではない。
しかし、勘違いしないでほしいのは、だからといって、決して漁業者の迷惑になるような行為はすべきでない。
迷惑行為は、権利の侵害とみなされる。
わざわざ漁協がダイビング・スポットを指定する例があるが、これには、迷惑行為を避けるため、という理由がある。
(※11)基本的に、自由使用は、どこであれ、他の人に、迷惑をかけないようにするべきものである。
(※1)
直接に公共の福祉の維持増進を目的として、一般公衆の共同使用に供せられる物を「公共用物」といい、道路、公園、河川、港湾、湖沼、海浜などがそれにあたる。公共用物のうち、河川、湖沼、海などの水面および水流を「公共用水面」という。
(「海はだれのものか」p10)
(※2)
公共用物の使用には、自由使用・許可使用・特別使用の3種があるが、原龍之介『公物営造物法〔新版〕』によれば、それぞれ次のように解説されている。
@自由使用
道路・河川・海岸・公園等の公共用物は、本来、一般公衆の使用に供することを目的とする公共施設であるから、何人も他人の共同使用を妨げない限度で、その用法にしたがい、許可その他何らの行為を要せず、自由にこれを使用することができる。これを公共用物の自由使用又は一般使用という。例えば、道路の通行、公園の散歩、海水浴のための海浜の使用、河川における水泳・洗濯のごときはそれである。
自由使用によって享受する利益は、一種の反射的利益であって厳密な意味での権利でないと解するのが、従来の学説及び判例の考え方である。
A許可使用
公共用物の使用が、自由使用の範囲を超え、他人の共同使用を妨げ、もしくは、社会公共の秩序に障害を及ぼすおそれがある場合に、これを未然に防止し、又はその使用関係を調整するために、一般にはその自由な使用を制限し、特定の場合に、一定の出願に基づき、右の制限を解除し、適法にその使用を許容することがある。これを公共用物の許可使用という。
公共用物の許可は、公物警察上の見地又は公物管理上の見地からの一般的禁止を特定の場合に解除する行為であるにとどまり、公共用物の特別使用とその性質を異にし、公共用物使用の権利を設定するものではなく、かつ、公共用物本来の機能を妨げない程度の一時的な使用を適法に行わしめようとするものである。
公共用物の許可には、「公物警察権に基づく許可」と「公物管理権に基づく許可」がある。道路交通法による道路における道路工事又は作業、工作物の設置、露店・屋台店等を出すことの許可が前者、河川法による河川区域内の土地における工作物の新築・改築、土地の掘削、盛土・切土など土地の形状を変更する行為の許可が後者の例である。
B特別使用(特許使用)
公共用物は、本来、一般公共の用を供するための公共施設であるから、原則として、一般公衆の自由な使用を認めるのが、公共用物の用法に従った普通の使用形態であるが、時として、公共用物本来の用法をこえ、特定人に特別の使用の権利を設定することがある。これを一般には、公共用物の特別使用又は特許使用と呼んでいる。道路法・河川法等の各公物法は、この意味での特許使用を、例えば道路の占有、流水の占用等、公共用物の占用と呼んでいる。
許可使用が単に一般的な禁止を解除し、一般的に公共用物本来の機能を害しない一時的な使用を許容するにすぎないのに対し、特許使用は、公物管理権により、公共用物に一定の施設を設けて継続的にこれを使用する権利を設定するものである点に特色がある。
公共用物の占用関係は、特許(各公物法にいう「占用の許可」)という行政行為によって成立するのが普通であるが、特許の形式によらず、慣習法上の権利として成立する場合も少なくない。
(前掲書p78)
(※3)
河川・湖沼・海面等は「公共用水面」であるから、原則として一般公衆の共同使用に供せられる。したがって、一般公衆の共同使用の一環として漁業も営むこともまた自由であり、漁業は本来、免許や許可を受けずに誰もが自由に営める「自由漁業」である。
しかし、あらゆる漁業に自由に認めていたら、漁業によっては、水面を独占してしまったり、乱獲につながったりして、一般公衆の共同使用を妨げてしまう。そのため、そのような漁業は、「漁業調整」の観点から一般的に禁止されている。「漁業調整」とは、「漁場の総合的高度利用により漁業生産力を発展させるように、多種多様の漁業を各人ほしいままに任せず、全体的見地からその適合した地位におくこと」と説明されており、漁業法は、1条(この法律の目的)において「漁業調整機構の運用によって水面を総合的に利用し、もって漁業生産力を発展させ、・・・・」と、漁業調整を法の目的に謳っている。
しかし、水面を独占したり乱獲につながったりするような漁業といえども、全面的に禁止して一切認めないことは、同じく「漁業調整」の観点から好ましくないので、特定の者に禁止を解除して認めることがある。それが「許可漁業」である。「許可」とは、法令による特定の行為の一般的禁止を公の機関が特定の場合に解除し、適法にこれをすることができるようにする行為をいうが、許可漁業の場合も、「許可」によって一般的禁止が解除されて営めるようになるのである。
(前掲書p10)
(※4)
漁業は、本来、免許や許可を受けずに誰もが営める「自由漁業」であるが、一般公衆の共同使用を妨げてしまうような漁業は、「漁業調整」の観点から一般的に禁止されている。しかし、そのような漁業といえども全面的に禁止して一切認めないことは同じく「漁業調整」の観点から好ましくないので、特定の者に禁止を解除して認めることがある。それが「許可漁業」である。
「許可漁業は、許可によって初めて営めるのだから、許可漁業が権利になることはあり得ない」という見解がある。しかし、それは「慣習上の権利」を踏まえていない見解であり、誤りである。
公共事業に伴う補償について定められた「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱」(以下「要綱」という)の2条5項は「この要綱において、『権利』とは、社会通念上権利と認められる程度にまで成熟した慣習上の利益を含むものとする」と規定するが、この2条5項について、『公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱の解説』(国土交通省監修)は、「適例としては、入会権、慣行水利権、許可漁業あるいは自由漁業を営む実態が漁業権と同程度の地位を有する権利と認められるもの等がある」と解説する。つまり、許可漁業を営み続ければ、「権利と認められる程度にまで成熟した慣習上の利益」、いいかえれば「慣習上の権利」になるのである。
注目すべきは、許可漁業は許可によって権利になるのではないことである。許可によっては、一般的禁止が解除され、営むことが可能になるだけである。その段階では、許可漁業は単なる利益にすぎない。しかし、許可漁業が継続して行われ続けると、それは利益から権利に成熟していき、慣習に基づいて権利になるのである。
要綱2条5項の解説に示されるように、許可漁業のみならず、自由漁業も、継続して行われ続けると利益から権利に成熟していき、「慣習上の権利」になる。
要綱2条5項の解説からわかるように、「慣習」とは「古くからのしきたり」ではなく、「実態の積み重ね」のことである。許可漁業や自由漁業は、慣習=「実態の積み重ね」によって権利になるのである。
(前掲書p81)
(※5)
公共用物に関する「慣習上の利益」が「慣習上の権利」に成熟することについて、原龍之介は次のように述べる。
公共用物が一般に開放せられ、何人でも自由に享有できる利益に止まる限りは、単に公物の自由使用にとどまる。慣行上の公共用物の使用が権利として成立するためには、その利用が多年の慣習により、特定人、特定の住民又は団体などある限られた範囲の人々の間に、特別な利益として成立し、かつ、その利用が長期にわたって継続して、平穏かつ、公然と行なわれ、一般に正当な使用として社会的に承認されるに至ったものでなければならない。
すなわち、公共用物に関する「慣習上の権利」の成立要因は、次の3つである。
@その利用が多年の慣習により、特定の住民や団体などある限られた範囲の人々の間に特別な利益として成立していること
Aその利用が長期にわたって継続して、平穏かつ公然と行われること
B正当な使用として社会的に承認されるに至ったもの
これら3つの要件が満たされたとき、より正確にいえば、@、Aを満たすような公共用物の使用が継続して行われ、Bを満たすようになったとき、「慣習上の利益」は「慣習上の権利」になる。
したがって、「慣習上の権利」は、古くから存在し続けていなければ成立しないわけではなく、いつでも新たに創出し得るものである。
「慣習上の権利」の存在は、権利とはお上から与えられるとは限らず、法律に明記されているとも限らないことを意味する。お上から与えられずとも、法律に明記されていなくとも、人々の日々の営みが権利を創り得るのである。
(前掲書p80)
(※6)
要綱2条5項には、「この要綱において『権利』とは、社会通念上権利と認められる程度にまで成獣した慣習上の利益を含むものとする」と規定してあります。要綱の解説書には2条5項の「慣習上の利益」の事例として「入会権、慣行水利権、許可漁業あるいは自由漁業を営む実態が漁業権と同程度の地位を有する権利と認められているもの」があげられます。ここからも許可漁業、自由漁業が成熟していくと財産権にあたることがいえます。
許可漁業が権利になることに関して肝腎なのは、許可によって権利になるわけではないということです。許可がなされた時、及びその後しばらくは利益に過ぎないのですが、実態が積み重なっていくと利益が次第に権利に成熟していくのです。そのような権利を「慣習上の権利」と呼んでいます。「慣習上の権利」も財産権ですから、それを侵害するには補償が必要です。
(中略)
新しくできる「慣習」もあります。許可によって生じた利益が続いていくと権利になるのですから。「慣習」とは「実態の積み重ね」と理解したほうがわかりやすいと思います。
許可漁業も自由漁業も「慣習上の権利」い成熟していきますが、その権利の内容は「漁業を営む権利」ですから「漁業権」といえます。漁業法上は、免許を受ける漁業だけが「漁業権漁業」とされていますが、免許を受けない漁業も慣習に基づいて「漁業権」になるというになります。
(「漁業権とはなにか」p16)
(※7)
山林原野の場合、私法である民法で「慣習に従う」と規定しているだけです。水利権はなにも法律ができなくて、慣習がずっと続いていて、「法の適用に関する通則法」3条に基づいて「慣習上の権利」とされているだけです。いずれも公法はまったく制定されていません。公法が制定されているのは、広義の入会権である「入会権・漁業権・水利権」のうち漁業権だけです。
(前掲書p45)
(※8)
明治時代に欧米から近代法を導入する際、慣習と法律の関係をどう調整するかが大きな問題となった。
法例2条(明治31年法律10号)は、慣習と法律の関係を「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反セサル慣習ハ法令ノ規定ニ依リテ認メタルモノ及ヒ法令ニ規定ナキ事項ニ関スルモノニ限リ法律ト同一ノ効力ヲ有ス」と規定した。わかりやすくいえば、公序良俗に反しない慣習は、法令で「慣習に従う」旨規定された場合、および法令で何の規定も設けられなかった場合、法律と同一の効力をもつ、ということである。したがって、ある事項について慣習と矛盾する法律ができれば、その事項に関する限りは法律のほうが優先する。
しかし、「法律が制定されれば慣習が整理される」という見解は誤りである。法律の制定と慣習の形成は全く矛盾しない。法律が制定と慣習の形成は全く矛盾しない。法律が制定され、ある事項について慣習よりも法律のほうが優先する場合にも、法律は、それまでの実態に変更を加えるに過ぎず、法制定後も法律によって変更を加えられた実態が生まれ、それが続くことになる。つまり、法律の下で新たな慣習が形成されることを意味している。慣習は新たに創造され得るものであり、法律の制定と慣習の形成は全く矛盾しない。
慣習とは実態が積み重なることによって形成されるものであり、その実態の根拠が何処にあるかには関わらない。実態の根拠が免許にあろうが許可にあろうが、根拠となる法律があろうがなかろうが、それらには一切関係なく、実態が積み重なることによって慣習が形成されていく。
したがって、「慣習とは古いもので、ただ消滅していくもの」という見解も誤りであり、慣習は人々の営みが積み重なることによって不断に創造され得るものである。
(「海はだれのものか」p87)
(※9)
慣習は漁業法によって変更が加えられます(たとえば漁業法8条による第一種共同漁業権の漁業権行使規則に関する多数決原理の導入)が、慣習は漁業法よりも広く、漁業法に規定のない事項(たとえば第二種〜第五種共同漁業権の漁業権行使規則)に関しては慣習に従うのです。
(「漁業権とはなにか」p51)
(※10)
一般に、漁業は、「自由漁業」、「許可漁業」と「漁業権漁業」に分類される。「漁業権漁業」とは、漁業が免許される共同漁業・定置漁業・区画漁業のことである。免許により漁業権が設定されるため「漁業権漁業」と呼ばれるのである。
(「海はだれのものか」p11)
(※11)
ただし、ダイバーが潜水を行う場合、ダイバーが直接水産動植物を採捕しなくてもダイビングの行為がの行為が漁業権者あるいは漁業行使権の侵害とみなされ、告訴されることもありうる。したがってダイバーは指定されたダイビング・スポットの利用の義務はないものの、漁業者との無用のトラブルを避けるため、指定されたダイビング・スポットを利用することになるのであって、このことがダイビング・スポット指定の法的根拠となっていると考えられる。
(「海の『守り人』論」p160)