ふたたび、こんばんは。
ニーチェ、最終回、たぶん。
ニーチェは、ローマ教の偽善を見抜いて糾弾したが、それだけではない。
どういうように人間は生きていくのか、という問いを自ら重ね、「永劫回帰」という考えに至った。
ニーチェ自身が病弱で、何度も体の調子が悪くなったり、良くなったりの繰り返し。
天才であるから、ズバっと意見すれば叩かれ、ローマ教会から攻撃され、それでも支援する人もいるから、自分を取り巻く情勢も、良くなったり悪くなったりの繰り返し。
だから、永劫回帰から逃れられない、という結論に達した。
(※1)彼は、永劫回帰を受け入れ、それを克服する方向へと進む。
それが「運命愛」であり、幸であれ不幸であれ、自分の運命を受け入れ、生きて行こうではないか、となる。
(※2)運命愛を受け入れる態度というのは、どうやら、不幸を前提としているようだ。
「にもかかわらず」という考えからは、社会生物学のハンディキャップ理論を思い出すが、彼の場合、これが人生だったか。よし、よかろう。それなら、もう一度味わおう!」ということになる。
(※3)弱者は神に救われる、というローマ教の戯言を否定したニーチェは、もう人間は、何かあっても、神のせいにはできない、と考える。
つまり、人間自身、自分自身の責任で生きていく、と。
それが、健全なのだ、と。
(※4)彼は、若い頃、ギリシア思想に感化され、ローマ教会が求めた「忍従と我慢と謙虚さ」なんてものより、もっと気楽に楽しく生きよう、と考えた。
そのために、LGBTをやったり、共同生活を試したり、いろいろとやった。
いろいろとやったし、勉強もやったし、一所懸命に考えることもやった。
人生なんてものは、宗教の規定するものなど、どうでもよく、自分の思ったとおり生きていけば、それでいい。
失敗は、永劫回帰と考え、できれば、次に同じ失敗をしないように、自分の責任で考える。
病弱な彼の人生は、激しかったのだろう、と想像される。
副島先生が「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」を出版してから、弟子の藤森かよこさんが、ニーチェに関するシリーズを3冊の本を出している。
「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください」
「馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性」
「ニーチェのふんどし いい子ぶりっ子の超偽善社会に備える」
誰の迷惑にもならない程度に、好きなように生きなさい。
ということのようだ。
これの裏は、もちろん、「奴隷になるな!」がある。
飽くまで、日本人を含むアジア人、アフリカ人をもてあそぶ白人優越主義者らの魂胆を見抜け、なのだ。
(※1)
温泉地のマリエンバートと、スイスの保養地シルス・マリア(サン・モリッツのさらに山の中のほとり)で、ニーチェに新しい着想が湧きあがる。よい処だ。彼はこのシルス=マリアで新たに生きる勇気を得た。ニーチェはペーター・ガストに秘かに大きな思想の構想を書き送った。これが「ツァラトゥストラ」の原型だった。ここの山の湖で突然ニーチェを襲ったのは、「人生は気づいたら、同じことが何百回も繰り返されている。その場面に人間は出会い続ける」という思想だ。これが「永劫回帰」の思想だ。ドイツ語でEwige Wiederkunftという。この言葉をそろそろ皆で覚えましょう。だからこの「永劫回帰」は「己の運命を愛せよ」という「運命愛」という思想とセットである。
永遠には、「二つの永遠」がある。ひとつは、無限で直線でどこまでも続く。もうひとつは円環である。円環しているとグルグルといつまでも回る。キリスト教は天地創造から世界の終末までを直線だとする。このとき「永遠」とは、直線の始まりと終わりとする。この動きの繰り返しだ。それに対してニーチェが尊敬するギリシア人たちは円環だった、と思いついた。ニーチェはこの後者の思考こそは素晴らしいものだ、と考えた。これはギリシア人の考えを再び受容することではなくて、同じことの永劫回帰(永遠の繰り返し)が突然彼に見えたのだ。この「同じことの永遠の回帰」は、そこから逃れることができない苦痛のニヒリズムとして本当に恐ろしいものである。自分の病気がまさしくこれだ。しかし、同時に、あるがままの自分の生を英雄的に受け容れ肯定することが崇高なのである。能動的ニヒリズムと、いきることの絶対的肯定は、ニーチェの場合、反ローマ教会の思想と常に対をなしている。
だから、1880年1月の重い苦痛の日に、前出したマルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク女史に次のように手紙を書いている。「この苦痛がどんなに苦しくても、私は私がはっきりと分かった自分の生について、偽りの証言をしません」。のちに有名になったニーチェの、“それにもかかわらず!”dennochの断乎たる精神は、彼が破壊的なアフォリスム(箴言)を世間に向けて投げつけることでこのとき表れたのだ。「それにもかかわらず」とは、「それでもなお、私はローマ・カトリック教会(が作って人類に押しつけたキリスト教)の奴隷の思想と闘う」、ということだ。
(「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」p253)
(※2)
1882年6月、ニーチェは母のナウムブルクの家から、5冊目の本の初稿ゲラをヴェネチアのペータ・ガストに送った。ヴェネチアにニーチェの本を出してくれる出版社があって印刷機があった。これが『悦ばしき知識』という本である。
この本でニーチェは、ペシミズム(悲観主義、弱者の思想)を克服することに本気になった。ここで「運命愛」(amor fati)という言葉を打ち出した。運命への愛。自分の苦しい運命を自ら引き受けること。たとえどれほどの苦痛があろうとも自分の生を肯定することだ。それは打算的で計算づくの生き方の範囲をさらに超えることだ。生(生きること)の肯定は、イギリス人(ジョン・ロック)が考えるような、「幸せの総計は苦痛の総計を上回ることで合理的に根拠づけられる」のではない。生の肯定は、人間の厳しい「決意」によるものである。世の中が自分を悪しざまに扱ったからといって、自分の人生を罵り自傷するのは、間違っている。それは不自由で卑しい、奴隷の人間の徴である。自由で誇り高く、勇敢な人間は、たとえ、愛も信頼もなくしたときでさえ、自分の人生を愛し、信じる。したがって、ペシミズムとニヒリズムを克服することは、思想の課題ではなく、ひとりひとりの人間の問題である。ニーチェはひとりひとりの人間の価値を、その人がもつ道徳心の高さから測定(評価)することをしなかった。そうではなくて、その人が自分の人生にもつ「アモール・ファーティ(運命愛)」の能力で評価した。「こんなに苦しくても、それでもなお、自分は今のこの人生を生きる!」と言い切ることができる者、自分の人生を前に踏み進むことができる者のみが、永劫回帰にも耐えることができる。
人々はこのような(ニーチェの運命愛の)態度を「宗教的」と呼ぶだろう。なぜなら、信心深い人は、世間が示す悪意ぐらいでは、自分の信仰心が揺れることはないからだ。しかし、ニーチェの己の運命への愛という新しい信仰には、宗教につきものの啓示(天から降りてくるもの)が欠けていた。だから本当は、ニーチェは自分の運命への愛を言うとき「信仰」のように話そうとしなかった。
(前掲書262)
(※3)
『ツァラトゥストラ』の核心に「権力への意志」、「超人」、「運命愛」、「同じことの永劫回帰」の思想がある。これらの考えには、ニヒリズムそのものの強い肯定がある。そして、その上でこのニヒリズムからさらに強いものとしてニヒリズムそのものの克服が同時に表現されている。
永劫回帰(永遠に同じ経験に立ち戻りそれを繰り返す)の思想は、人生は果てしない苦しみだ、と考える者にとって、驚くべき発見である。この発見の恐ろしさそのものに自ら勇敢に耐えるべきだ、とする。自分の運命に耐えることがニヒリズムの克服の最初の一歩だ。ツァラトゥストラが要求するのは、そんな忍耐を遥かに超えるほど残酷なものだ。ツァラトゥストラが要求するのは、「それにもかかわらず」の思想である。すなわち、圧倒的苦痛にもかかわらず、それでもその苦しみを受け入れる運命への愛である。その魂はこう叫ぶ。「これが人生だったか。よし、よかろう。それなら、もう一度味わおう!」
(前掲書p270)
(※4)
「超人」の思想とは、道徳を否定する芸術作品の中で生きる天才の姿だ。社会ダーウィニズム(強者が生き、弱者は滅ぶ)的な「自然淘汰」(ナチュラル・セレクション)の肯定だとも理解される。すなわち、「弱い者は滅びてしまえ。強い者だけが生き延びるのだ」と。「神は死んだ」とニーチェは書いた(前ページ参照)。「神が決めるものではない。人間が決めるのだ」と宣言して出現した(オーギュスト・コントが創始した)ポジティヴィズムpositivismが、1822年に出現していた。このことで、「人類は神の殺害者だ」(神を葬り去った)となった。この時に、人間が存在することの目的は、人間自身の責任になった。もう神のせいにはできない。神の支配を拒絶した人間は、以後、自分自身を上に超えて高まらなければならなくなった。ニーチェの場合、この「上昇」(より上を目指すこと)が重要である。ニーチェは、魂の向上、上昇を常に追い求める。ニーチェという敏感で、病弱な人間が、燃えるような情熱を抱いて、精神と生命が結びついている「健全な人間」の像を追求する。
(前掲書p273)
posted by T.Sasaki at 20:50|
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