日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2024年03月31日

なぜ、小林製薬だけが・・・

ふたたび、こんばんは。

小林製薬の問題は、たった数人亡くなっただけで、なぜ、あんなに原因究明するのだろうか。
コロナワクチンでは、ものすごい数の人が亡くなって、健康被害も大きい。
それなのに、ファイザーやモデルナは、取材対象ともならず、調べることもない。

これって、日本を外国に売っているようなものでしょ!
マスコミ、国家官僚、政治家、医者、みんなバカじゃねえの?
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ニーチェという人間

こんばんは。

ニーチェについては、3回に分けます。
いろいろとあるもので。

ニーチェという人は、「アンチクリスト」という本を書いた。
これを翻訳して日本に知らしめたのが、副島先生が取りあげた適菜収さんの「
キリスト教は邪教です!」である。
その後、ニーチェは「エッケ・ホモ」を書いている。

「アンチクリスト」を題名から想像すると、反キリスト教なのであるが、実際には、ニーチェは、イエス・キリストを嫌っていたわけではない。(※1)
むしろ、イエスを好意的に捉えている。(※2)
ニーチェは、ローマ教会の本質を捉え、偽善的な顔をしたペテロ・パウロ教を嫌ったのだ。(※3)
この時代、ローマ教会に逆らう、ということは、ほとんど誰にも相手にされなくなった。
その表現が、「エッケ・ホモ」である。
「エッケ・ホモ」とは、オランダ人画家のヒエロニムス・ボッシュの作品で、パリサイ人に囲まれ嘲笑され、やがて十字架にかけられるイエスを描いている。
この「エッケ・ホモ」を自分になぞらえた。

ヨーロッパで宗教戦争が起きたのを、私たちは学校で教えられ、「そういうのがあったなあ」程度の薄々とした記憶しかない。
これが曲者で、この時代、ヨーロッパでは、ローマ教会が、たくさんの人を殺した。
宗教が弾圧されたのではなく、宗教団体が、人々を弾圧したのだ。(※4)

このような背景を知って、ニーチェをはじめて理解できる。
ニーチェの死後、彼の本が、息長く読まれる理由はここにある。
彼の言うことは、こういうことだったんだなあ、と。
彼は、ドイツ民族が、ヴァーグナー(ワーグナー)の音楽によって、自民族優越主義を増長し、いずれ、不幸(第一次、第二次大戦)が訪れることも予見していた。

ここで、ヴァーグナーが出てくるが、ニーチェの才能を見出した一人がヴァーグナーであり、そして、ワーグナーとニーチェは、短期間だが同性愛者だった。
ヴァーグナーは、ルートヴィヒ2世とも同性愛だった。(※5)
200年以上も前からLGBTは現実にいて、しかも王様や芸術家、知識人たちに混じっていた。
今さらLGBTを認知せよ、などというのは、暇人の寝言にしか聞こえない。
「彼は変節した」として、その後ヴァーグナーとは決別し、今度は徹底的にヴァーグナー批判を展開する。

ニーチェは、一直線に進む天才であった。



(※1)
 ニーチェは次のように書いている。「イエスは、善かつ正義なるものとされる者たちの魂を正確に見抜き、見透かし、こう言った。あれはパリサイ人(偽善者)だ、と。しかし、ふつうの人々は、そのように言う人(イエス)の言葉を理解できなかった。人々には真の人(イエス)の言葉を理解する能力がない」。善かつ正義なるものとされる者たち(すなわち、イエスを神棚に置き、イエスを崇拝させ、人々にひたすら拝ませたカトリックの大司祭たち)の底知れない悪に人々は気づかないのだ。彼らカトリック(イエズス会)の司祭たちこそは、現代のパリサイ人なのだ。パリサイ人たちは、底知れずズル賢い!人間(人類)をどこまでも騙す。
(「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」p277)

(※2)
 イエスはやはり自由な精神を持った人だ。なにしろ、イエスはすべての決まりごとを一切認めなかったのですから。
 イエスは、生命や真理、光といった精神的なものを、彼の言葉だけを使って語りました。そして、自然や言葉といった現実の世界にあるものは、彼にとっては単に記号としての価値しかありませんでした。
(私たちは)教会にダマされそうになっても、こういった視点を忘れてはいけません。
 イエスという人は、歴史学や心理学などの学問とも、芸術や政治とも、経験や判断、書物といったものとも、そしてすべての宗教とも、なんのかかわりあいもないのです。
 イエスは文化も知らないので、文化と闘うこともないし、否定することもありません。国家、社会、労働、戦争などに対しても同じこと。
 つまり、イエスは「この世」を否定する理由を持っていなかったのです。
「この世」は(キリスト)教会が作り出した考えであって、イエスはそんなことを思いついたことさえなかった(引用者注。ローマ教会は、イエスの死後ローマに現れた信者たちの集団だ。西暦64年、皇帝ネロの迫害でペテロとパウロが殉教した)。
 イエスにはものごとを否定することはできません。
 イエスは、論理を使って考えることもなければ、「信仰や真理が、きちんとした根拠をもって証明されるかもしれない」などと考えたこともありませんでした。
(前掲『キリスト教は邪教です!』82−83頁)
(前掲書p105)

(※3)
同じキリスト教の中で、正統派を自任するローマ・カトリック教会は、その正体はペテロ・パウロ教であるから、彼らは、本心では自分たちの神父が神に祀り上げたイエス・キリストを、本心では嫌っている。信じていない。救世主(Messiah,christ)が再び現れるかどうかは分からない、とする。だから、イエスという男よりは自分たちの歴代のローマ法王(Pope)のほうを拝みなさい、となる。ここがローマ教会(カトリック)がものすごくズルい点である。
(中略)
 カトリック(ローマ教会)に対して、激しく抗議(プロテスト)する人々がヨーロッパに現れた。プロテスタントである。このあと200年間さらにヨーロッパ全土でたくさんのプロテスタントが殺された。それでもプロテスタント(新教徒)たちは信教の自由を勝ち取った(1648年、ウェストファリア条約)。
(前掲書p190)


(※4)
 話を再度戻すが、この絵を描いたのは、ヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch 1450-1516)だ。このとおり、ものすごい絵だ。この絵は、北方ルネサンスのオランダ民衆の決起、そして血みどろの弾圧、虐殺が起きていた1480年ぐらいに描かれた作品だ。かつ、北ドイツではマルティン・ルター派のプロテスタント都市同盟(シュマルカルデン同盟)と、神聖ローマ帝国軍(皇帝カール5世)が血みどろのシュマルカルデン戦争(1546-1547)を戦い、多くの同盟都市が焼かれ、虐殺が続き、ルター派プロテスタントたちは、このあと100年間、負け続けた。
 ドイツ三十年戦争(1618-1648)をこの中に含んでいる。こうしてほぼ百年続いた宗教戦争(ドイツ人の3分の2が死に、全土が焼け野原になった)とまったく同じ時代だ。多くのプロテスタントが、ローマ教会の名で、拷問にかけられ、木に首を吊られ、火あぶり刑にされた。だから今もある、ローマ教会キリスト教こそは人類の諸悪の根源なのである。だから、今からでもこの勢力を廃絶しなければいけない。このときオランダでも、スペイン帝国(こっちは神聖ローマ帝国の弟分。同じハプスブルク家)から独立するための、血みどろの戦争があった。この「オランダ独立八十年戦争」(1568-1648)が始まった不穏な時代の空気をボッシュは描いた。ボッシュは初期フランドル派と呼ばれる。そんなに生易しい男ではない。怒りを込めて真実を絵の中に塗り込めて今に伝えた。
 ボッシュのこの「エッケ・ホモ」は、捕まって縄で縛られて、ぼろぼろになって引き立てられていくイエスを、エルサレムの多くの市民たち(パリサイ人)が城の下のほうから見上げて指さしながら、みんなで嘲笑っている。だから、「この人を見よ」(Ecce homo)とは、天才である私ニーチェをみんな見よ、という意味ではない。そうではなくて、逆に惨めに裸にされて引き立てられて、この後、十字架で殺されるイエスの姿なのだ。ニーチェは、自分は、このイエスそのものだ、と言ったのだ。預言者(prophet)であるがゆえに、誰からも理解されないで、変人扱いされて死んでいく人間なのだ、と。
 このことを日本人は理解しない。ヨーロッパ近代が生まれるまでの苦しい闘いが分からない。誰が虐殺者なのか。誰が巨大な宗教(による)弾圧をしたのか。宗教(への)弾圧ではなかったのだ。このことを私たちは少しは本気で考えてみるべきだ。「宗教(信仰)の自由は、何があっても守られなければならない」と、寝言のようなことを言っていてはならない。ローマ教会キリスト教こそはヨーロッパ史で最大の弾圧者であり、虐殺者だったのだ。ニーチェは、自分自身のことを、イエスという男に仮託して、惨めに引きずり回されて殺された人間と同じなのだ、と自覚していたのだ。
(前掲書p53)

(※5)
ニーチェも相当にピアノが弾けて、みなの前で、ヴァーグナーとその家族、友人たちの前でもよく弾いている。その場の即興の曲を、夕食会のあとの語らいのときにもニーチェは弾いている。
「ニーチェ教授のピアノは、大学教授にしては、まあまあの腕前だね」
とヴァーグナーにホメられている。この二人の親密さは、こういう感じなのだ。
 ヴァーグナーは、その前の少し若い頃(1864年くらい)、バヴァリア(バイエルン)国の国王ルートヴィヒ2世と愛し合っている。ミュンヘンの王室だけでなう、あのノイシュヴァンシュタイン城(“新白鳥石”城)でも、二人で芸術至上主義の夜をずっと過ごしている。バイエルン国の高官(宮廷貴族)たちが、自分たちの王様の、ヴァーグナーの異常な熱愛(同性愛)を相当に心配している。二人を引き離そうとして、いろいろ邪魔して画策した。
 それでも国王ルートヴィヒ2世(1845−1886。ヴァーグナーより32歳下)は、ヴァーグナーの音楽・劇作に入れあげて支援金の散財を長年した。だから、バイエルン国の大蔵大臣(財務長官)がヴァーグナーに対して、ずっと怒っていた。後年、バイロイト祝祭劇場をヴァーグナー夫妻が造るときにも多大の支援をしている。
(前掲書p138)
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2024年03月30日

切り上げの準備

こんばんは。

今日は、浜止めがかかったので、切り上げの準備。
いか釣り用のトモマストにペンキ塗りをやり、ブリッジ下のドラムのカバーを外して、寸法取り。
このドラム、昨年のいさだ漁の最中に穴が空いたため、プラを貼って応急措置をしておいたもの。
まさか、ずっと使うわけにもいかないから、機械屋さんを呼んで、注文することに。
しかし、30年以上も前の同じ製品はもちろんなく、似たような大きさのものを買って、加工するしかなさそうだ。

近年のいさだは、4月に獲れた試しがなく、来週どうなるか。
もし、来週もタネがあるなら喜びであり、各船主は、赤字にならない水揚げになるだろう。
これほど、天候が悪い年はない。
いつも休みばっか。
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2024年03月29日

若い芽を育てよう

こんばんは。

先日、副島先生の「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」という本の紹介をする、と書いた。
今の日本で、ニーチェ理解で必要なのは、適菜収さんの書いた「キリスト教は邪教です!」が必要であり、副島先生もこの本からたくさんの引用をしている。
そして、若かりし頃の適菜収さんを発掘した、その編集者をものすごく褒めている。(※1)
そうなのだ!
有能な若い人を、どの世界であれ、発掘したら支援しなければ!

私も、若い漁船漁業の担い手を育てよう、と以前から考えているのだが、この大不漁で若い人がやっていけるかどうかが、大きなネックとなっている。
今乗っている、いさだの乗組員の中に、非常に有望な若者がいるが、彼とて、40歳になってしまった。
彼は、指先も器用で、同年代の若者たちも、一目おくくらいの仕事ぶりである。
一応、5トン未満の船を所有して操業していて、私は、「この船を動かしてみないか」と声を掛けてみたが、「いか釣りで旅歩きする自信がない」とあっけなく断られた。
40歳にもなれば、臆病になってしまうものなのかもしれない。

というわけで彼はあきらめ、漁協のほうに、「いか釣りで旅歩きをする」と「宮古市に永住する」という二つの条件で、来年以降の乗組員兼後継者を募集することにした。
もちろん、そんな理想的な人が簡単に見つかるとは思わないが、今の船を無償であげるからには、こちらの目も厳しくならざるを得ない。
あげてすぐに倒産したら、元も子もないからだ。
その辺の目利きが、私に試されることになる。



(※1)
 最後に、適菜収氏について書く。彼は1975年生で、今42歳だ。
 彼は、早稲田大学文学部の哲学科でニーチェ研究をした人だ。だから、ニーチェの専門家なのである。学者にはならなかったが、ドイツ語でニーチェの本をずっと読んできた人だ。だから『キリスト教は邪教です!』という本の形にして世に出した。しかしそのためには、商業出版物の中で、商品としての一冊の本として出してくれる編集者がいなければいけない。「これなかなかいいですよ。このまま出しましょう」と、30歳のときの適菜収を励まして言った、目利きの講談社のこの本の担当編集者が偉い。この人の優れた見識と洞察力、ものごとを大きく把握して形に整えること、世に出すことの必要を見抜いて感じとった、その眼力と判断力がすごい。著者の敵菜収と編集者の二人がともに偉い。本当に偉い。日本の新たな思想革命は、2005年のこの本の出現とともに始まったのだ、とまで私は言う。
 少なくとも、この本が出ることによって、日本人(知識人層)のニーチェ理解が、100年分縮まった。本当に、ついに日本人はニーチェが分かったのだ。
 それまでのニーチェ専門家たちは、ニーチェのドイツ語文を一行ずつ丹念に読解することで汗みどろになって、そうやって、手塚富雄も氷上英廣も秋山英夫も、ドイツ文学・哲学科の大学教授として、それなりに恵まれた人生ではあっただろうが、翻訳学者としての人生を終わっていった。まあ理科系の技術屋みたいなものだ。
 だが、日本人の読書好きたちは、その後も長く放ったらかしにされて、いくら真剣に読んでも「訳(が)分からん」というコトバそのもので、みな分かったふりだけして、人生をやり過ごしてきた。ニーチェの魂が分かる、ということは、適菜の『アンチクリスト』の訳文を読んで分かる、ということだ。この一筋の一本道。ニーチェの真の理解への道をたどって日本人はようやく、今から140年前の1870年代、1880年代のドイツおよびヨーロッパで一体、何が起きていたのか、までが分かる。私は、だからこの援護射撃の仕事を、この本でやりたかったのだ。
(「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」p123)
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2024年03月18日

ニュー山王ホテル前で抗議活動したとか

ふたたび、こんばんは。

ラ・フランス温泉には、もちろん、本も持っていた。
送られてきた月刊誌「紙の爆弾」と副島先生の「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」の2冊。
ニーチェなんてものは、誰に聞いても、「名前だけは知っている」。
私もそう。
どういう人かも、どういう考えの持ち主だったかということも、何にも知らない。
それで、読んでみたら、驚いた。
まだ、半分くらいしか読んでいないが、このニーチェという人は、すごい!
この本もすごい!
後日をお楽しみに。

その前に、まずは、日米合同委員会のアップデート。
以前、「憲法よりも地位協定が上」で、日米合同委員会の存在を紹介したが、アメリカの支配地区であるニューサンノー米軍センター前で、抗議行動をした日本人たちがいる。(※1)
そして、要求文書をラウル副司令官に渡そうとしたが、当然のごとく、門前ではじかれた。
渡すことすらできない。
その後、文書は郵送されたが、それさえも受け取らなかったという。(※2)
抗議集会は、3月28日に第2弾が予定されている。

もうすでに、日本人の何割かは、この異常さに気づいている。
アメリカの属国をやめれば、アメリカへの上納金もなくなり、東アジアの緊張は解けるだろう。
今やアメリカは、みんなの足を引っ張る、世界中のお荷物になっているのだ。



(※1)
 抗議集会を主催したのは、市民団体「♯みちばた」所属のトラック運転手、甲斐正康さんと同ラッパーの「YouTuber.JT3 Reloaded」こと川口智也さん。動悸について甲斐さんは、「外国の軍隊が日本にいて、国民の頭越しに決めているのが許せない。政府のことは誰でも批判するが、この最大の問題に向き合おうとしない。だったら、自分がやるしかないと思った」と話す。
 二月一日午前十時半、会場となるニュー山王ホテルの反対側に参加者が集まった。ホテル脇の歩道は、警視庁麻布署に規制された。同ホテルは米軍関係者専用の宿泊・娯楽施設で、一般の日本人は入ることができない。「独立国」にある租界だ。
 はじめに甲斐さんがビールケースの上に立ち、「今日は日本にとって、とてもとても大事な抗議街宣。日本の未来を憂いて、この場所にお集まりくださいました。皆さまには、右翼や左翼など政治思想はいったん横に置いて、この対米従属、米国支配のこの日本を独立に向け、本気で団結するときが今です」とあいさつした。
 TPP(環太平洋連携協定)や日米貿易協定、種子法廃止や種苗法改正、水道民営化、貧困、能登半島地震などを挙げ、「さまざまな問題がるこの現実を支配しているのは米軍、米国政府。戦後79年経って、いまだに右や左で争っていたらいつまで経っても言いなりですよ。それを画策しているのが彼らCIAじゃないですか」と問題提起。「右翼に対しての批判、左翼に対しての批判を口にした方は、すぐに退場してもらいます」とくぎを刺し、「一致団結して日本のために声を上げましょう」と呼びかけた。
 同じく主催者の川口さんは、「日米合同委員会は米国の民主主義の基準にも違反している。ここで密約が行なわれ、米軍の意向に沿った日本の国益を損なう決定が行なわれている。米国も名誉や騎士道のような愛国心なりがあるなら、このような非民主主義的な会合を許していいのか」と糾弾した。
「米軍が駐留している表向きの理由は第二次大戦終了後、共産主義の脅威と戦うためとしている。それに逆らう者には共産主義者みたいなレッテルを貼られるが、ちょっと待て。冷戦時代、核弾頭技術をソ連に流したのは誰だっけ」と問いかける。
 ヘンリー・キッシンジャー元国務長官や米ゼネラル・エレクトリック社が共産主義国に軍事技術を横流しし、1990年代からはインテルやマイクロソフトなどが民主・共和の両政権下で中国に技術供与していた実態を挙げ、「中国やロシアの脅威を拡大して思いやり予算をよこせというのは、みかじめ料を取るやくざと飲食店の関係だ」と揶揄。「この悪習をやめないかぎり、私たちは抗議し続ける」と訴えた。

 再び甲斐さんが、当時に手渡す予定の要求文書を読み上げた。同文書は、日米合同委員会が選挙で選ばれていない日本の官僚と在日米軍による秘密会議であることや、議事録や合意文書が原則非公開であることを問題視。後に明らかになった数々の密約を挙げ、「巨大な特権は、独立国家としてあるまじき状態」と批判する。
 その上で、@日米合同委員会を廃止することA過去行なわれた日米合同委員会の議事録をすべて開示し、広く日本国民に公表することB国民不在の中取り決められた日米合同委員会での密約を日本国民に広く公表した上で、その全ての密約を白紙とすること――が盛り込まれている。
(「紙の爆弾」2023年4月号p60)

(※2)
 要求文書は結局、配達証明付き書留郵便で同日午後、ニューサンノー米軍センターにウラル副司令官宛てで発送された。しかし4日後、返送されてきたという。改めて横田基地内に送り直し、福生市内の郵便局で2月16日に引き渡されたとの通知が後日あった。
(前掲書p63)
posted by T.Sasaki at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

温泉のネーミング

こんばんは。

市場休日と悪天候が重なったから、以前から興味のあった温泉に行ってきた。
が、がっかりして帰ってきた。
温泉は、源泉かけ流しに限る。

ラ・フランス温泉

一人だと、ビジネスプランしかないが、それはしかたがなく、前日に予約した。
まず、風呂のドアを開けた瞬間に、塩素臭がした。
これで、まず、終わった。
循環風呂確定である。
長居はしないほうがよい。
循環風呂は、塩素殺菌が必須である。
いくら泉質が良くても、塩素は良くない。
温泉成分表を見ると、湯量は200L/mでかけ流しには十分な湧出量ではあるが、泉温が40度以下と低く、加熱が必要である。
したがって、加熱しながら、かけ流すとなると、その燃料費が非常に大きくなる。
それよりは、循環風呂のほうが、燃料費がかからないだろう。
だから、湧出量が多くても、循環風呂にしたのだと思う。

泉質は、おそらくは、久慈の山根温泉と同じで、美人の湯である。
実は、山根温泉も、源泉かけ流しではない。
どちらも、もったいない。

ラ・フランス温泉の命名は、何か?
会計の時に聞いてみた。
こればかりに集中しすぎて、JAF割引を使ってくるのを忘れた(くやしい!)。

そこは、もともと、ラ・フランスという洋ナシ農園だった。
雪があたり一面に積もっても、温泉館のあたりだけ、すぐに雪が溶ける。
もしや、ということで、そこを掘ったら、温泉が湧いてきた。
だから、単純に、ラ・フランス温泉なのだそうだ。

浴槽にラ・フランスでも浮かべて塩素臭を消してくれれば、私はきっと惚れ込んだに違いない(笑)。

posted by T.Sasaki at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月07日

217回も!

こんばんは。

ぶっ飛びました!

https://www.cnn.co.jp/fringe/35216207.html(「CNN.co.jp」)

こういう人もいるんですね。
posted by T.Sasaki at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月06日

4万円は、山頂か?

ふたたび、こんばんは。

雨風太陽」で、「株を買うぞ!」と宣言したが、買っていなかった。
その前に、少しばかりの知識を得ようと本を読んだ。
久保修さんの書いた「世界大恐慌が来ても絶対大丈夫な株200銘柄」。
まあ、絶対ということはないでしょうけど(笑)。

株取引などというのは、素人では手を出さないほうがいいということがわかる。
世界中のコンピュータ端末から、1秒間に10億回の取引が行なわれているという。(※1)
これに素人が手を出せば、まぐれ当たりでしか利益を出せない、ということになるだろう。
パソコンやスマホを使ったマネー・ゲームそのものである。

素人が株取引に参加して、少しはマシな投資は、ウォーレン・バフェット氏が奨めていたバリュー投資である。(※2)
「ダメなら、放っておけ」ってやつかな?
私の好きな感覚。

昨年暮れ、「本業のほうが忙しいので、後で」と証券会社には言っておいたが、いつまでもそのままではマズイと思ったので、先日、雨風太陽を500株買った。
証券会社のMさんには、電話の中で、「ネット取引のほうが手数料安いですよ」と言われたが、まさか最初からそれでは悪いと思ったので、Mさんに注文して買ってもらった。
少しはMさんの手柄もあっていいかと。

その後、日経平均は4万円を超えた。
買ってから観察してみたが、日経平均が上がると、雨風太陽の株は下がる。
日経平均が下がると、雨風太陽は上がる。
たぶん、下がったということは、株は売りに出され、そのカネで前日下がった株を買う、という考えか。
やっぱりマネーゲームの世界だ。
売買にまともに付き合ってられない。
元々、雨風太陽への応援で、長期保有が目的だから、売る気もないし。
でも、値動きを見るのも、一つの楽しみかと。

アメリカの金融機関やいろいろな経済指標のニュースを読んでいると、何だろうな、と思う。
非常に怪しい。
株式市場が高値更新しているのに、なぜ、金の価格も史上最高値なのか!

https://www.japanmetal.com/news-h20240304133327.html(「産業新聞」)

ビットコインも高くなったと思ったら、仮想通貨市場は、下落!

https://nofia.net/?p=18619(「BrainDead World」)

この状態でNISA口座を作って株を買う人は、損しなきゃいいなあ、と私は要らない心配をしている。
山の次には、谷が来るから、その山はどこまで高くなるのか。
その後は、損になるということ。

バフェット氏でさえ、疑っている。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-02-25/S9DWGTT0G1KW00(「Bloomberg」)

どうなるのか、見ものです。





(※1)
特に2008年のリーマンショック以降、1秒間に10億回の取引をするという高頻度取引(HFT。ハイ・フリークエンシー・トレイディング)が台頭し、また、各市場間をまたぐグローバル・トレーディングが普及した。このことで、世界中の金融市場は一層不安定になっている。
(「世界大恐慌が来ても絶対大丈夫な株200銘柄」p18)

(※2)
 アメリカの有名な大投資家のウォーレン・バフェット氏がバリュー投資を奨めて半世紀が経つ。バリュー投資の大切さは現在では日本でも広く知られている。
 だが、これを日本人の投資家の皆さんに、分かり易く、腑に落ちるように、私が説明してみよう。
 バリュー投資(Value Investment)とは、ズバリ、「割安株に投資せよ」ということだ。
 100円の価値がある株を安値の50円で買いなさい、ということだ。そしてそれが100円になるまで、5年でも10年でも保有し続ける。この投資手法のことだ。バリュー投資とは「半値(本来の価値の半分の値段)で買って長期保有しなさい」という単純な投資法だ。
(前掲書p12)
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初値が高い!

こんばんは。

いさだの単価が予想より高く、乗組員が「90円したよ」と言いはじめた。
昨年の在庫圧があって、予想では、50円すればいいのではないか、という話もあったが、逆に高い。
こうなると、乗組員のほうが黙ってはいない。
ということで、来週あたりから出漁することになりそうだ。

5人も乗って、どうすんの?」での給料負担は、いさだ漁で何とかなってくれればいいが。
私が出た途端、漁がなくなって、「何やってんの?」と言われそうな気もする。
その時は切り上げて、すぐに温泉に行く(笑)。
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2024年03月01日

宮古は豪雪地帯になってしまった

こんばんは。

今朝、沖から帰ってきたら、すでに雪が積もっていた。
寝ないわけにはいかないのでお昼まで寝て、雪捨てに行ったら、高浜港は超おだやかで、雪が海面に積もっていた。

海面の雪.JPG

もう、うんざりっす!

豪雪地帯の湯田よりも積雪が多く、今日は、県内一の積雪。

積雪20240301.jpg

例年だと、湯田では、最低でも1mはあるし、2mあるのはよくあることだ。
しかし、それが、たったの35cm。
宮古は、10時に50cm超えたが、その後雨に変わり、溶けた。
それでも、県内ナンバー1。

宮古は、県内で、最も天候の良い場所。
年間の晴天日数は、たぶん、トップだと思う。
それが、今年は最悪の年で、異常とも言える。
盛岡の人に言わせれば、以前は、「宮古は南国」だと。
今や、豪雪地帯になってしまった。

倉庫の屋根から落ちてきた雪をほったらかしにしたら、こうなった。

屋根からの雪.JPG

対面してある家の屋根から、今朝からの雪が一度にドサッと。

屋根からの雪2.JPG

雪かきをする気が失せてしまい、明日か明後日。
これほったらかしにはできない。
訪問入浴車が入れなくなって、寝たきり老人は大変だ!
雪が降れば、誰が何と言おうと、私はトラックで雪を運ばなければならない。

隣の家の人が、屋根の雪を棒でつついているところで話をしたが、屋根のペンキ塗りをすると、雪が落ちやすいのだそうだ。
何年かは。
昨年秋に塗ったばかりで、表面の光沢はピカピカだから、雪が次から次へと落ちてくる。
何で、こういう年に、雪がたくさん降るんだか?

「日ごろの行いが悪いからだ」と、宮古の人たちは、お互い言い合っている(笑)。
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