こんばんは。
「非色」という小説を読んだ。
これは、私が生まれた年に発表された作品である。
人種差別を小説で描いたもので、人生「色に非ず」と言った感じか。
戦後の占領軍人の妻となった日本人女性の自伝みたいな形式で書かれている。
そういう人たちは、「戦争花嫁」と呼ばれている。
主人公の笑子(えみこ)は、戦争花嫁として、日本で差別を体験し、ニューヨークでも体験することになる。
そこで見たもの感じたものは何か?
笑子の考察は、なかなか鋭いと思う。
もちろん、笑子ではなく、作者の有吉佐和子さんの考察なのである。
二つの考察を紹介する。
一つ目は、優越主義である。
もしかしたら、白人優越(至上)主義も、この範疇に入るのか。
金持は貧乏人を軽んじ、頭のいいものは悪い人間を馬鹿にし、逼塞して暮らす人は昔の系図を展げて世間の成上がりを罵倒する。要領の悪い男は才子を薄っぺらだと言い、美人は不器量ものを憐れみ、インテリは学歴のないものを軽蔑する。人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。それでなければ落着かない、それでなければ生きて行けないのではないか。
(「非色」p325)これは、今でもその通り!というしかない。
威張り腐る人は、典型的である。
もう一つは、支配階級と非支配者階級、小説の中でも、これを階級闘争と指摘している。
私は今こそはっきり言うことができる。この世の中には使う人間と使われる人間という二つの人種しかないのではないか、と。それは皮膚の色による差別よりも大きく、強く、絶望的なものではないだろうか。使う人は自分の子供を人に任せても充分な育て方ができるけれど、使われている人間は自分の子供を人間並に育てるのを放擲して働かなければならない。肌が黒いとか白いとかいうのは偶然のことで、たまたまニグロはより多く使われる側に属しているだけではないのか。この差別は奴隷時代から今もなお根深く続いているのだ。
(前掲書p366)今では使うことができない「ニグロ」という言葉から想像できるように、笑子の夫は、黒人(今ではアフリカ系アメリカ人といったほうがいいとか)である。
笑子は、ユダヤ人と日本人との間にできた子どもの面倒をみていた。
待遇がよく、夫婦の対応も良かった。
しかし、彼女はある時、自分もニグロなのだ、と自覚し、おそらく、「ニグロで何が悪い!」と思ったことだろう。
面倒をみていた子どもに、すでに愛情が湧いていたが、それを振りほどき、ハアレムに戻る。
思い出したのだが、このことを副島先生は著書で紹介していて、長くなるが引用する。
チャールズ・マレーは『ザ・ベル・カーヴ』の中で、さらに、驚くべきことを書いている。「黒人種は白人種に知能で劣る。しかし白人種よりもアジア人種の方がより優れている。さらにアジア人種よりも、ユダヤ人種のほうが優れている」と、IQテストの結果を厳格な統計資料にもとづいて書いている。アメリカの人種差別をめぐる問題は「単なる差別感情のあれこれ」などではなくて、科学(学問)の方法を採用することによってしか議論すべきことではないのである。
では、これに対して、当の黒人たちはどのように反応したか。彼らもまた、マレーを黙殺した。今やアメリカの黒人たちは、一部の金持ち化したミドル・クラス・ブラックス(中産階級黒人層)を除いて、黒人コミュニティの中で自分たちだけで暮らし、黒人だけの学校教育を受けたい、という考え方に大きく傾いている。それが白人の差別主義者たちからでなく、黒人の側から逆提案されて実行に移されている。それが“セグリゲイショニズム”Segregetionism(人種分離主義))とは似て非なる“セパレーショニズム”Separationism(分離独立主義)である。これは、従来の“コンソリデーショニズム”Consolidationism(人種融合[融和]主義)に対する反省から生まれたものである。
この「黒人たちだけで生きてゆこう」というセパレーショニズムの考え方を、最も早く実践運動の中から練り上げ、提唱したのが、マルコムXであった。
(「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」p371)つまり、有吉佐和子さんは、このことを、すでに知っていたということだろう。
「非色」には、アメリカ社会のいろいろな差別のことが書かれてある。
途中からは、すらすら読めるし、けっこう面白い。
小説なんて、私はずっと読んでいなかった。
400ページもあると、面白くない本だと、読み終えるのに何日もかかることもあるが、これは、1日でスパッと読み終えた。
この中に、少々、日本での、出自の差別が書かれてある。
私の世代で言えば、何といっても中森明菜の不幸である。
彼女は、出身による差別を受け、近藤真彦に振られたのではないか、とささやかれていた。
東北の田舎だと、すでにそんなものはなかったと思うが、都会のほうは、そうはいかなかったらしい。
もし、差別されたら、小説の中の笑子のように、「それで何が悪い!」と居直って生きていくべきである。
posted by T.Sasaki at 19:44|
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