ふたたび、こんにちは。
「天皇財閥」という本を読んだが、主題は、題名のとおり、戦前の天皇家の関与する銀行、その他の大企業群のことを書いている。
1冊の本を読むと、必ず、副産物がある。
副産物の中には、自分の中で常識と思われたものを、木っ端みじんに吹き飛ばしてしまうことがあるものだ。
第2次世界大戦の不幸を作ったのは、軍部だけではなく、もちろん天皇だけではない。
財界も一緒だったのだ。
国家総動員というと、すぐに軍部独裁を思い浮かべる向きが多いだろうが、当時は産業資本や財閥もこぞって政策に賛成したのである。昭和十二年に成立した林銑十郎内閣では、財界出身の日本商工会議所会頭、結城豊太郎が大蔵大臣に、さらに日本銀行(日銀)総裁には三井財閥の代表である池田成彬(1867―1950)が就任している。結城は蔵相として「これからは財界と軍部は抱き合って行きたい」と発言した(『昭和史への証言3』120ページ)。これにより、財界と軍部の協力体制は「軍財抱き合い」と呼ばれるようになった。当時の財界と軍部の関係を示す、みごとな言葉である。
戦後になって、「戦前は軍部の独裁であった」と繰り返す論者たちは、この「軍財抱き合い」という点を見逃している。軍部がいくら頑張ったところで、軍事物資がなければ何もできない。軍事物資を生産するのは民間の重工業企業である。かくして、財界の協力なくしては、軍部は何もできなかったのだ。この単純な事実をしっかり見る必要がある。
(「天皇財閥」p128)アメリカ人の日本学者であるT・A・ビッソンは、戦前に日本を調査し、次のように記している。
政党の指導者は財閥の国会における操り人形であったし、高級官僚や海軍将校の多くは財閥から圧力に対して、ただ従順であった。元首相によって形成された重臣たちを含む宮城の護衛者たちは、少数の権力者たちの主要な意見に合わせるために内閣を製造するのに懸命であった。(『Japan's War Economy[日本の戦争経済]』9ページ)
(前掲書p130)これは、関東軍暴走といわれる張作霖爆殺事件でも、財界の都合によるものが大きかったようだ。
張作霖爆殺事件の背景には、日本と奉天軍閥である張作霖の「マネー戦争」があった。
経済学者、小林英夫の『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』によれば、満州は農産物、とくに大豆の大収穫地であった。満州の農民は地主たちと「官銀号」という地方金融機関で結びついていた。大豆を売った代価で、「金票」と呼ばれた朝鮮銀行券、「鈔票」と呼ばれた横浜正金銀行の兌換券など、彼らにとっての「外貨」を取得し、一方で大豆の購入費には官銀号紙幣を充てていた。奉天軍閥は取得した外貨で武器を購入。さらなる軍事力増強のために外貨を取得すべく、官銀号紙幣が乱発されたのである。そのため、重大なインフレの懸念が起こったのだった。
満州を管理しようとする、日本の出先機関である満鉄と関東軍は、この事態を放置しておくことはできなかった。
多くの歴史書は、満州の侵略を、現地に駐屯した陸軍の暴走であると説明しているが、事態はそのように単純なものではない。日本と奉天軍閥の間での「マネー戦争」こそが、事件の本質なのである。
(前掲書p146)そして、欲張りすぎて、中国中枢部へ進出し、それは裏目に出て、日本は奈落の底へ落ち始めるのであった。
小林氏は『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』のなかで以下の点を指摘している。
華中での米・英をバックにした法幣との「通貨戦」さらには「物資争奪戦」のゆきつく結果が、この太平洋戦争だった(中略)太平洋戦争勃発と同時に、日本軍は上海租界へ進駐し、英・米浙江財閥系銀行を軍管理下におき、正金、三井、三菱、住友、台湾、朝鮮の六銀行が管理銀行になって清算業務をおこない所有金、銀を接収したのである。(『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』143ページ)
日本の中国進出の目的は、中国本土のマネーをみずから管理することであった。満州では英米資本は入っておらず、その占領は比較的容易に、また成功裡に進められた。しかし、中国本土では、すでにアメリカおよびイギリスが利権を持っており、それを占領することは不可能だったのだ。
上海における日本の進出。これこそが、アメリカの虎の尾を踏んでしまった行為なのである。満州に利権を持っていないアメリカは、日本の満州進出をほぼ黙認した。しかし、上海となると話は別であった。
(前掲書p149)ここからは本筋から外れるが、まあ本の紹介ということで読んでもらいたい。
東条英機という戦犯になった総理大臣がいたが、彼を指名したのは、木戸幸一内大臣である。
内大臣というポストは、現在では存在しないが、それでも、不思議な大臣であったことは確かだ。
これには、本人談がある。
木戸は、「内大臣とはなにかといことね」とこう語る。
「まあね、助言者なんだね。それで常侍輔弼って意味はだ、無制限なんだよね、と同時に表には出ないわけだ。だから、国務となったら国務大臣がみんな責任を持ってやるわけだから、その手前で(僕が陛下の)ご相談に乗り、こういうことをいったらどうだろうとか、こういうことをさせてみたらどうかだろうかと・・・。(中略)
だから、内大臣ってものは一体なんだってことになるとね、わからないんだ、本当は。あの、清水澄っていう憲法学者がおるがね、あの人は僕らが学習院で憲法を習った先生なんだよ。(中略)それで、“内大臣ったら一体なんですか”って聞いたんだよ、そしたら、“自分にもわからん”っていったね」(『決断した男 木戸幸一の昭和』180ページ)
(前掲書p192)その後、木戸によって、東条内閣は倒閣されている。
木戸内大臣の権力は大きく、東条英機は不運であった。
陸軍出身の東条英機は、極悪人だと思っていたが、話は簡単ではなかった。
不勉強による無知から、そう思ってしまうのである。
先に挙げた張作霖事件。
張作霖事件の背景には、上述のような財界の都合もあり、一応、日本軍が工作したということになっているが、それは本当だろうか、という説もある。
それはなぜか。
張作霖は虫の息ながら「日本軍の仕業だ」と言い遺したというが、これは真実なのだろうか。日本と奉天軍閥の共同調査が行われ、現場で集められた破片から爆弾はロシア製と判断されたという。
(「紙の爆弾」p93)当時、最もソ連に強硬な態度をとっていたのは、張作霖である。
ロシア製の爆弾が出てきた、ということは、まだ謎が隠されているに違いない。
ここからは読後の感想になるが、満州事変後、日本は南下し、アメリカやイギリスの利権に手を付け始めたことで、アメリカの虎の尾を踏んだことになり、それが太平洋戦争への導火線となった。
つまり、日本より先に中国を占領していたのは、イギリスやアメリカである。
これは、日本の学校教育でも教えられる。
中国では、どう教えられているのだろう。
アヘンを使った中国侵略は、極悪である。
それでも、中国は、日本ばかりいじめようとする。
この辺がよくわからない。
おそらくは、イギリスやアメリカだって、このことを突かれれば、何の返答もできなくなるはずだ。
posted by T.Sasaki at 09:21|
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