日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2017年04月12日

野球好きの人が読む本

再び。

暇なので、「兵隊になった沢村栄治」という本を読んだ。
沢村栄治といえば、沢村賞の沢村である。
これは野球の話である。

私は、ある年齢になって、巨人の振る舞いが嫌いになった。
カネで強くなろうとするからだ。
子どもみたいだと思われるだろうが、性格だからしかたがない。
再三、ここでも書いているが、私学中心の高校野球にもげんなりしているから、野球自体にも興味がなくなった。

しかし、沢村栄治は別である。
彼は、日本プロ野球の創生期に、来日したアメリカの選手をきりきり舞いにした投手であり、戦死した人間だからである。

この本を読む前、沢村栄治のイメージとしては、せっかくそんな良い選手を戦争がつぶしたのだから、戦争がなかったら、もっとすごい選手だったのだろう、である。
もちろん、戦争がなかったら、もっと活躍しただろう。
しかし、最後は、もう使えなくなり、巨人を放り出され、最後に戦死した、というのが、本当である。
がっかりしたか、と言えば、そうではなく、生身の人間である沢村栄治が、そこにはいた。

沢村栄治は、3回も出征し、3度目で死んだ。
戦争は人を変える。

 前回の出征で、比島へ向かった沢村はミンダナオ島に上陸すると、現地にいた日本人小学生に持っていた菓子をすべて差し出すなど心やさしく接した。しかし、戦火が激しくなるとそうした心の余裕はなくなり、目も血走っていく。
 沢村はマニラの市街に突入すると、あるホテルの厨房で日本人が惨殺された光景を目の当たりにした。さらに、日本人女性への強姦事件が多発しているのを知ると、再び鬼と化した。犯人をみつけるやいなや、「金網をまるめた棒切れで叩きのめし」たのだと、青田に話したのだった。
(「兵隊になった沢村栄治」p229)


沢村栄治やその他の選手の話も感動するが、権力からの独立を目指した野球連盟理事たちの奮闘も感動する。
権力から独立して、プロ野球(職業野球)を興行しようとした努力は、読んでいて居心地がいい。
ましてや、相手は、戦時中の強大な権力である。

昔のプロ野球の功労者といえば、正力松太郎が有名である。
読売新聞初代社長である。
しかし、日本プロ野球創生期を描いたこの本では、たまにしか出てこない。
この当時から、巨人は傲慢だった。
その傲慢さと軍の無理な要求の狭間の中でプロ野球を守ったのは、鈴木龍二と赤嶺昌志らであり、読売巨人とは、全く別である。
野球好きならば、外せない本だと思う。



今、東芝が窮地に陥っている。
戦時中、選手たちを戦地へ送り込まない方法として、軍の工場で働かせる、という手段を、野球連盟は選び、東京の選手たちは、東京芝浦電気にお世話になった。
原発メーカーだった東芝の不買を私は書いたこともあり、そういう人間がこういうことを書くのもおかしな話だが、プロ野球、特に読売巨人は、その恩返しに、一肌脱いでもいいような気がする。

それにしても、私はバカだ。
「原発推進=東芝=読売新聞」なのを知っていて、こんなことを書くのだから。
「助けるのが当たり前だろ」と言えなくもない。
原発連合だもの。
posted by T.Sasaki at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本の裁判の大きな欠点

こんばんは。

鮭の刺し網裁判について」で、「裁判の秘密」という本を持ち出したが、これは、ずっと前、「漁師のつぶやき保存版」で紹介している。

http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-kansoubun11.html

私がこれを書いたのが2003年だから、14年前のことである。
最初の「裁判の秘密」の出版は1997年で、それが「新版 裁判の秘密」となって再発行されのが2003年。
その文庫化されたものが、私の手元にある。
したがって、文庫本には、「あとがき」が3つ記してある。

単行本「新版 裁判の秘密」は、最初ものから6年目で出版されたが、その「あとがき」について、少し触れる。
6年の間、司法試験合格者を6倍に増やす、という改革が議論された。
これは、日本のどこの誰も要求していない。
要求したのはアメリカである。
アメリカとは、そういう国だ。
そこで日本の裁判環境が変わっても良さそうなのだが、「しかし本書の中で描かれた数々の旧弊の法曹慣行は現に行われており、一部を除いて変更や改善点はない」と書かれてある。
文庫化は2008年で今から9年前である。

一昨年、新潟の紀伊國屋書店で本を物色していたら、「絶望の裁判所」が目に留まった。
これは2014年発行の比較的新しい本である。
これを読んで唖然とした。
やめた裁判官自身が書いた本である。
「第5章 こころのゆがんだ人々」を読むだけでいい。
裁判官が、どういう性質の人間であるか、読むのが嫌になるくらい記してある。

「新版 裁判の秘密」は、自分自身、もしかして裁判に関わることがあるかもしれない、ということから、津波で流失したものを買い戻したものだ。
これにも「第13章 裁判官とはこんな人種だ」にも、同じようなことが書かれてある。
だから、およそ9年経っても、変わっていないことになる。

全くこのような分野の本を読んだことのない人が、この2冊のうち、どちらを読んだらいいのか、というと、「新版 裁判の秘密」のほうに軍配をあげる。
身近な裁判実務を、比較的やさしく説明しているからだ。
著者は、わかりやすい文章を書く副島先生であり、また、弁護士の実務にかかわっているのが、山口宏さんである。

2点、少し長文引用するが、法律や規則を作るとき(もちろん、身近なものも含めて)、どういう考えでやったらいいのか、ということを、これから汲み取ってほしいと思う。

 通常の、平均的な裁判官僚を考えてみると、この業界にはさしあたって学閥はない。しかし現実に裁判官になるのはやはり東大出が多いから、まず東大に入るのに勉強をする。少なくとも、暴走族をやりながらは入れないと思う。法学部に入るとすぐに司法試験の勉強を始める。つまり、法律学だけをやるわけだ。
 実際に、現役だ、卒一だ、卒二だというきわめて若い年齢で司法試験に受かるためには、本人たちはカッコつけて「僕はあんまり勉強しなかった」などと言っているが、それなりに猛勉強している。それで受かって、司法研修所に入ると、今度は裁判官になるために努力する。裁判官になるためには一生懸命、いい点数が取れる模擬判決などを書かなければならない。
 弁護士志望の者たちはこの研修期間の間タラタラ遊んでいるのだが、裁判官志望となると遊べない。これで、晴れて任官して裁判官の世界に入れば入ったでまたしぼられる。こういう事情を考えてみると、彼らにとって楽しい青春なんてものはありえない。
 結局、この人たちは、独自の判断というものができないのではないか。
 私は、社会のルールなるものをきちんと習得している人びとが独自の判断をもって正義判断するということが最も望ましいと思っている。ところが、この秀才たちは、日本社会を真に規律しているものが何なのか知らない、習わない。教える者がいない。いや法律があるではないかと言ったって、これまでに何度も説いたように、現に存在する法律などというものが、何かを判断するときの根拠になるわけがないのである。「人様から金を借りたら返しなさい」という判断はあるのだが、これはなにも、法律がそれを要求しているからそれが正しいのではない。それは世間のルールだからだ。
(「新版 裁判の秘密」p297)

 日本における真の法とは何か。日本の社会を真に規律している本物のルールとは何か。それは、塩月弥栄子女史の往年のベストセラー『冠婚葬祭入門』(光文社)であり、旧大名華族である前田家出身の酒井美意子女史の「図解・マナー全科」(家の光協会)なのである。私たち日本人は日頃、互いにどのようにご挨拶をし合っているか、どのような人間関係をとり結んでいるか。それらは、端的には日本の冠婚葬祭の礼儀のなかにこそ見られるものである。日本人のまごころをうつ、本当の法やキマリとは、まさしく、私たちの日々の礼儀作法と行動様式のなかにあるのであって、あの「六法全書」の法律のなかにあるのではない。
 現行の日本国憲法を無闇にありがたる、勘ちがい人間たちが今でも国民の圧倒的多数だが、あれは、占領軍であったマッカーサーGHQ(本当はSCAF)司令部のなかのアメリカ人の法務将校たちが九日間の突貫作業で作文して、日本国民に与えた英文であり、その翻訳文である。だから、何十回読んでもじつのところ少しも私たちの琴線には触れないし実感に迫らない。
 現在の民法典も商法典も刑法典も、十九世紀のドイツ法典を富井政章と梅謙二郎がほとんど正確に一条ずつ翻訳しただけの代物である。当時、無理やりにでも一気に近代国家の仲間入りをせねば格好がつかないと思った国家指導者たちが明治二十年代に行ったやっつけ仕事である。
 だから、日本社会の地面から生え出たような、私たちの体をさし貫く本当の規範を、私たち日本国民は自分たちの手でさぐりあててゆく作業を、今からでも始めなければならないだろう。日本の法律家(法曹)はこの輸入品の法体系を取り扱うことを自明の職業にする人びとである。この舶来輸入品そのままの洋服(六法全書)を着せられてその服を取り扱うことを自分の一生の仕事にしているものだから、どうしても、その服(六法全書)が体に合わずしっくりこなくて気分が悪いのだ、ということに各種法律を生業にしている人びと全員に早く気づいていただきたい。そこには、内閣法制局の法律条文作成官僚たちや大学法学部の法学者たちも含まれる。
 山口氏の説く、日本の世間なるものから自然に流れ出てくる日本国の真の法を私たちは見つけてゆく作業をこれから敢然と行ってゆくべきだ。だからここで、日本の真の法のその最高法規は、じつは日本の冠婚葬祭の儀礼のなかにこそあると鋭く発見し提起した山口宏弁護士こそは、もしかしたら現在、日本最高の法学者・法思想家なのではないか、と私は長く考えてきた。今のこの考えに変わりはない。
(前掲書p334)


私たちの善悪の判断、やって良いこと、やって悪いことの判断は、法律群から学んだことではなく、オギャーと生まれたときから、親にしつけされ、その後、友だちと遊んだり学校へ入ったりして、社会生活を経験し、学ぶものである。
「誰かが一生懸命やっていることを、横取りしてはならない。ただし、その誰かの許可を得るならば、その限りでない」という価値判断は、私は正しいと思う。
漁船漁業の漁師は、回遊魚を「流れモノ」というが、調査中に「流れモノ」の魚群を発見した人は、どこでも尊重される。
その模様を感じ取って後から来た漁師が、最初に発見した人の前で乱暴な振る舞いをすれば、それは非難される。
これは暗黙の了解事項となっている。
水産六法に、こんな規定はあるわけではない。
以上のことから「鮭の刺し網裁判について」で、私は、バッサリと断定的に書いた。
最後に、なぜ、鮭放流河川の流域住民への余計な配慮が出てきたかというと、引用文の「世間なるもの」を考えた場合の価値判断が働いたからである。

さて、あることをやって、訴えられたらどうしようか、と考えることがあるが、もう開き直って、素直に訴えられる覚悟である。
やるかやらないかは別にして。
「こうことがあって、こうだ。これはおかしいと思わないか」と10人に聞いて、10人が「おかしい」という類のものである。
しかし、日本の裁判は、簡単に、それが正しい、とは言わない。
「新版 裁判の秘密」を読んで、それがわかった。

疲れる話である。
posted by T.Sasaki at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月11日

漁師の試験

みなさん、おはようございます。

「日本の漁業が崩壊する本当の理由」を読んで、昨夜は悔しくて、寝たような寝ないような気分だ。
さっそくこの本を紹介してくれた人から、「獲って獲って獲りまくるのが漁師の仕事」と思っている人が大多数ではないか、と指摘された。
ますます悔しくなって、眠れなくなった。

日本の漁師は大バカものだ」と書いたが、そう感じる人間と感じない人間の両極端な気がする。
感じない人間というのは、自分以外のことを考えることのない人間だ。
社会生活を営むにあたって、周りの人間を無視できるわけもなく、みんなと仲良くやっていこうとするのは、義務である。
「オレには関係ない」というのなら、すべての社会制度を利用するな。
トランプ大統領ならば、「自分のことは、自分で全部やれ。自分の周りのインフラは、自分でペイしろ」と言うだろう。
生まれたときから、社会制度を無意識に利用してきた私たちにとって、自分勝手な行動など許されるものではない。
漁師も、公共の海面を利用しているのだから、自分勝手など許されないし、「獲って獲って獲りまくる」影響というのも、考えなければならない。

漁業先進国ノルウェーでは、漁師に試験を課しているそうだ。
勝川俊雄さんの発言を引用する。

ノルウェーだと漁業者が漁業免許を更新するときに水産資源のテストを受けるんですよ。漁業者たる者、水産資源について勉強して知っておかなくてはいけないよねっていうことなんですね。
(「日本の漁業が崩壊する本当の理由」p106)


これは、いい方法だと思う。
まずは、漁師に、魚の管理は、漁師自らがやるんだよ、という意識を植え付けなければならない。
各漁業許可の更新の際でいいだろう。
ついでに、魚類資源増大を目指すため、どうやっていったらいいのか、ということを書かせて提出させる。

もう資源を管理するなどという生ぬるい感覚ではダメだ。
資源の増大を目指すべきである。
posted by T.Sasaki at 05:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚類資源の減少について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

日本の漁師は大バカものだ

こんばんは。

さっそく「日本の漁業が崩壊する本当の理由」を読んでしまった。
読んだ感想は、非常に○。
疑問はあるが、○どころか、三重丸以上!

これほどの本なら、水産庁の役人たちはすでに読んだと思うが、全国の漁協の組合長たちは、まだ読んでいないと思われる。
組合長だけでなく、理事、参事、指導課長、市場のある組合ならば、販売課長も読むべき本である。

 FAOや世界銀行の分析を見ると、日本の海とその魚の状態が、世界からどのように見られているのかよくわかります。2013年〜2015年の水揚げ量平均を元に、FAOが予測した2025年の水揚げ量によると、世界全体では17.4%の増加が予想されていて、各国が均衡もしくは増加となっている中で、日本は13.7%のマイナスと突出して悪く予想されています。次に悪いのが韓国で2.9%のマイナス。ちなみにノルウェーは18.9%の増加です。
 また世界銀行は世界の漁業について、2010年時点の漁獲数量と2030年の予測を海域ごとに比較しています。世界全体の水揚げは平均で23.6%増加していますが、表の中で1ヵ所だけマイナス9%を示している海域があります。それが日本周辺の海域なのです。
(「日本の漁業が崩壊する本当の理由」p43)


私は、これを読んで、少なからずショックを受けた。
魚が獲れなくなったのは、海況の変化によるものが大きいと思っていたが、そうではない。
もし、海況の変化だけならば、世界全体の漁獲も減少するはずだ。
日本は、魚を獲りすぎてしまっているのだ。
獲るのがなくなったから、小さいのを獲るしかない、という悪循環があり、そして、それを改善しようとしない日本人を見越して、世界の諸機関は、このような予測を立てている。

日本の漁業者、関連産業、それらを統括する水産庁をはじめ、研究機関まで、みんなバカなのだ。
こんなことも知らなかったのだから、私もバカの一員である。
そして、魚類資源の減少を感じながら、まだ何でも獲ろうとしている人間は、もっとバカである。

持続可能な漁業を行うことにおいて、日本は超後進国であり、大きな差が開いて、他は先進国である。
先進国の取り組みを簡単に書くと、成熟するまで小さい魚を獲らないこと。
そして、魚の再生産を妨げないこと。
集約すれば、ほぼこの二つに尽きる(ただし、するめいかのような短寿命の魚は、再生産のほうに重点を置かざるを得ない)。

それを達成するために、TACをたくさんの魚種に設定し、その消化率を100%になるように設定する。
つまり、常に低めに設定する。
消化しても、漁期中は増枠しない。
IQを有効に使い、IQの不正消化を防ぐため、小さい魚の投棄禁止。

もちろん、資源管理先進国でも、ダメな取り組みがないわけではないが、日本のそれとは、レベルが違いすぎるのである。
数年の禁漁もいとわないほどであり、日本海で行われたハタハタ禁漁を彷彿させる(しかし、その後、漁を再開した秋田では、漁獲量をごまかすことがあったらしい)。
水産行政トップの政治家のリーダーシップも強く、それ対する漁業者の猛反対は、もちろんどこの国にもある。
本の中の対談で、勝川俊雄さんという東京海洋大学准教授が言ったことを引用する。

いまは成功しているノルウェーやニュージーランドも、最初は大反対だったんです。俺たちの生活を破壊するのかって。でも「量より質」の考え方で規制が入って、5年もしないうちに漁業が儲かるようになると、両国で「え、日本って漁獲枠ないの?それはダメだよね。信じられない!」って言われる。オマエらも最初反対してただろって思うんだけどね。漁獲規制があることで自分たちが儲かるなんて経験をしたことがないわけだから、想像するのが難しいのかなって。
(前掲書p103)


TAC設定は、小型船を最優先に設定する。
これは、本の中で、成功しているノルウェーの事例を持ち出しているが、読んで、なるほどなあと思う。
資源量が減少傾向にあるときは、小型船の漁獲割り当ての減少比率を最小限に抑え、中型、大型の順に、減少比率を大きくする。
確かに、漁獲効率が大きい漁業ほど、減少比率を大きくするのは、資源管理のために理にかなった方法である。
そして、逆に資源量が増加傾向のときは、中型、大型の割り当てを大きくしてやるそうだ。
いか釣りをやってみて思うのだが、小型船は、いくら大漁でも、増枠分、獲った試しがないから、そんなものだろう。

岩手県沿岸漁船漁業いか釣り部会では、TAC設定に関し、まき網やトロールの減少比率を大きくすべきだと提案している。
これは、まさのこの事例に相当する。
その後、どうなったか知らないが。

さきほど、日本の漁業者はバカである、とけなしたが、これには、どうも恵まれすぎていることに理由があるようだ。
対談の中で、前述の勝川さんが言ったことを引用する(言われてみれば、その通り!)。

日本は漁場に恵まれすぎていて、漁場を守ろうという意識が低いですね。魚がいっぱいいる海って、世界を見てもそんなに多くないんです。地中海だってそんなにいない。日本は寒流と暖流がぶつかるなど条件がよくて、極めて豊富な水産資源があります。これはアラブの人たちが自分たちの土地から石油が涌いてくるのが当たり前だよねって言ってるのと同じで、日本人は海に魚がいるのは当たり前だって思ってる。でも実際は違って、世界でもこんなに豊かな海はないってことに、日本人は気づいていないんです。あと、豊かな漁場の漁業者ほど、資源を守ろうという意識が低い。いくら獲っても魚が涌いてくるって思ってる。ただしそれは昔の漁具を使っていたころの話。今の漁具では獲りきれてしまう。その点、昔からやせた漁場の人たちは資源を残す工夫をします。日本は恵まれすぎていて、資源を守る意識が全然育っていないんです。このままでは先がないですよ。
(前掲書p112)


つまり、私たち漁業者が、「いつかまた魚が涌いてくる」と勘違いしているわけだ。
本当にバカだ。

しかし、これくらい恵まれた海ならば、資源増殖の取り組みさえしっかりやれば、世界に向かうところ敵なし、ということである。

これを危惧しているのが、漁業先進国ノルウェーなのである。
再び引用する。

 ノルウェーサバの資源管理方法について漁業関係者に詳しく聞き始めた際、あまり教えたら日本のサバ資源が復活して、ノルウェーからの買い付けが不要になるのではないか?と心配されました。ノルウェーにとっては、それほど日本の魚が消えていく原因とその対策は、明白なものなのです。
(前掲書p143)


ヨーロッパから日本へ輸出するのは簡単であるが、逆は、大きな障害がある。
エコラベルである(これはずっと前からやっている。昔「地球白書」で紹介されていた)。
MSC、ASCなどがあるらしいが、これは、持続可能な漁法で獲った魚のみ流通できるようにしたしくみである。

http://www.wwf.or.jp/activities/nature/cat1136/cat1143/(「WWFジャパン」)

これだと、岩手の2そう曳きは、まるっきり対象外である。

ここで2そう曳きが出てきたから、この問題に触れないわけにいかない。
まず、日本のトロールに関する記述を2点引く。

 200海里漁業専管水域が設定されると、日本のトロール船はアメリカ・ソ連(当時)のEEZ内のスケトウダラ漁場から出ていかねばならなくなります。後に「ドーナツホール」と呼ばれるベーリング公海(公海とはEEZに入らない海域)でスケトウダラの好漁場を発見、年に約100万トンもの量を日本船が韓国、ロシア、ポーランド、中国船とせり合いながら1986年から1990年にかけて漁獲しますが、わずか5、6年で獲り尽くしてしまい、1994年以降、ドーナツホールでのスケトウダラ漁は停止となっています。
(前掲書p17)
 中層トロールの場合は問題ありませんが、網が海底に着底する場合は、海底の環境が荒らされることで砂漠のようになってしまい、資源がそれこそ「根こそぎ」いなくなってしまうことが問題になっています。
 たとえば、九州南部の海域で行われてきた「以西底曳き漁業」の水揚げは、1960年代には30万トンほどあったものの、近年では1万トン弱に激減しています。
(前掲書p84)


三陸沖漁場は、前述のように、私たちが平和ボケして感じなくても、世界屈指の好漁場である。
好漁場であるからこそ、かけまわしを2そう曳きにしても、今までもったのだ。
もし、好漁場でなかったら、今頃、岩手沖合いは、死の海になっていた。
このくらいのことは、自覚すべきである。

アメリカでは、トロールの混獲を、約1%としており、鮭を獲らないシステムもあるそうだ。
「サーモン・エクスクルーダー・デバイス」というものらしい。
2そう曳き業界に心あるならば、ぜひ、導入すべきものである。

その前に、かけまわしに、すべて戻すべきである。



次に疑問点。

p126に「投棄禁止断行でノルウェーのマダラ資源を救った漁業大臣」と題した章があり、小さいマダラを投棄禁止したのまではわかるが、それが、マダラ資源の維持につながるかどうかについての関連がわからない。
自分流に勝手に解釈するが、TACの割り当ての中に、小さいのをちゃんと含めて計算し、TAC消化した時点で、パッと終漁にする、ということだろうか。
小さいマダラの割合が多い場合も容赦なく。
なおかつ、TAC数量を大きくしないことが条件であれば、確かに資源量は上向く。
それとも、小さいマダラが、網を引き上げる前に抜けるよう、漁具の改良をしたというのだろうか。
マダラは、ある程度浮いてくれば、プカンと浮いてしまって、再び潜ることができない魚だ(まれに、産卵の終わったやせた奴は、潜ることがある)。
この点がはっきりわからない文章である。

みんな買って読んだほうがいい。
日本の漁師は、笑いものにされているのだ。
posted by T.Sasaki at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚類資源の減少について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

ネットサービスについて

再び。

最近、SNSなるもの、ソーシャルネットワークサービスなるものが、自分に不向きだとわかった。
今、手元にある「日本の漁業が崩壊する本当の理由」という本がある(今から読む。「魚類資源減少について」シリーズが的を得ているのかどうか、楽しみだ)。
これをFaceBookで紹介してくれた方がいて、しばらくFaceBookにアクセスしていなかったら、その投稿が、ず〜っとず〜っと下のほうに行っていた。
あのサービスは、毎日アクセスするのが必須事項のようだ。
もうあきらめて、今はほぼアクセスしない(笑)。
有益な情報ばかり見たいけれど、どうでもいいような投稿が山のように積まれていると、目がおかしくなってくる。

ブログ連携も途中でできなくなり、設定しなおさなければならないから、もうやめた。
あれは、欠陥サービスだ。

LINEというのもやってみたが、どこがいいのか、さっぱりわからない。
あれもやめた。
電話機能を使ったことがないが、通話品質が悪いらしい。
FaceBookのメッセンジャー電話のほうは、一度使ってみたが、通話品質はいいような気がした。
FaceBookメッセンジャーの場合、PCで簡単に打ち込めるが、LINEのほうは、いろいろ制約があるみたいだ。
メッセンジャーソフトの性能なら、LINEよりFaceBookに軍配を上げる。

このブログというサービスも、実のところ、私は不満である。
どこからでも、どのPCからでも、どのスマホやタブレットでも投稿できる点は、確かに便利であるが、ツリー状に編集できないのは、もう致命的欠点である。
カテゴリー分けが一応できるが、それでは、十分ではない。
以前、何を自分が書いたか探すのに、非常に時間がかかるからだ。
最近は、探すのも面倒だから、リンクも貼らない。
重複している文章がたくさんあるだろう。
こうなると、昔のように、HTML言語を使ったソフトを使うほうがいいような気がする。
もう一つ、ブログの欠点をあげるならば、表示が重いこと。
バックグランドで動いているプログラムがたくさんあると思われる。
一方、プロバイダーのレンタルスペースは、非常に軽く、瞬時に表示される。
ただし、この場合、ソフトの入ったPCでないと、アップできない。
これが唯一悪いところ。
だから、ブログの文章を集約したものを、昔の「漁師のつぶやき」形式でアップするほうがいいと思う。
しかし、記事数が600以上にもなるから、この作業をやる気が起きない。

1ヶ月くらい前、GEOに行って、中古のスマホを買ってきた。
税込み2000円くらいの古いやつ。
動くかどうか不安だったが、ちゃんと動いた。
スマホといっても、タブレットのような使い方を試してみたかった。
メモリーが0.8G(たぶん1Gなのだろう)しかないようだが、ちゃんと動いた。
しかし、メモリーを要らないアプリが占領するため、いちいちメモリーを解放してやらないと、速度が遅くなる。
これらの端末は、2Gのメモリーが必要だと思う。
実際、一番最初に買ったソニーの10インチタブレットは、2Gのメモリー実装なので、遅くなったことがあまりない。
だから、安いから、という理由で、メモリーの小さいのを選ぶべきではない。
イライラするだけである。

この「イライラする」のは、PCも同じで、今や、ハードディスク(HDD)実装のPCなど買わないようがよい。
少々高くても、SSDのほうを選んだほうがいい。
起動からシャットダウンまで、全部速い。
SSDを使っていると、HDDのPCは、イライラする。

電話は、ガラケーのほうがいい。
電話は時々落とす。
私の場合、ガラケーをスマホにしたら、すぐに壊れて話にならないだろう。
ガラケーからテザリングでスマホ(タブレット)を動かしたほうが、ベストだと思う。

いい大人が、街中でスマホをいじっているのを、私はみっともないと思う。
私だけの感覚かもしれないが、不健康極まりない。
頭の中の疲労も蓄積するだけだろう。
スマホ中毒は、救われない。
posted by T.Sasaki at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

法事の意味

再び、こんばんは。

法事などの仏事は、寺の坊主のためにあるのであって、やってもやらなくてもいい。
坊主たちは、仏に手を合わせろ、とはいうが、何のご利益もない。

3.11の母の葬式の際、私は、寺の和尚に食ってかかった

「神や仏を毎日拝んで、結果はこれか?」

私の顔つきや言い方が悪かったんだろう。
いつも威張っている和尚も、さすがにたじろいでしまって、「自然の力は偉大だということがわかった。云々」としか言えない。
父は「あんまり言うな」とさえぎったが。

私に子どもがいないから、私が死んだ後、漁運丸一族の仏は、無縁仏となるのだろう。
だから、墓参りには、いつも無縁仏の墓石の前で、手を合わせる。

自分の家の墓を維持するということは、ちゃんと結婚して子どもを作って、その子どもにもいろいろと言って聞かせなければならない、ということだ。
しかし、5代先や10代先に、一族があるのかどうか、を考えると、ない方が多いような気がする。
実際に、墓参りをした跡のない墓もあちこちに散見されるから、数百年先には、現在ある墓地は墓地跡という程度にしかなっていないだろう。
つまるところ、仏事というのは、坊主たちの収入手段でしかない。

こういう結論から、法事などというのはやらなくてもいい、と、一時思ったものだが、今回の法事で、その意味というのを少し考え直した。
法事は、寺の坊主のためにあるのではない。
主催する一族のためにある。
たまにしか会わない親族と飲んだり雑談したりする機会なのだと思う。
だから、そういう機会を設けるために、寺の坊主を利用しているのだ、と考えれば、気分もスッキリする。

しかし、私の一族は、仲がよいから、何かあれば、すぐに集まる。
だから、いつも法事をやっているようなものかもしれない。
坊主の出番は、もうない(笑)。

話題は、いとこや姪や甥の将来に集中する。
みんなやさしいことしか言わないから、私が、「そんなんで大丈夫か?」「頭がちょっといかれていないか」と喝を入れたりする。
一人ぐらい、そんなのがいて、バランスが取れるだろう。
posted by T.Sasaki at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

津波の記憶 15

こんばんは。

私の家の横には、山に重機を上げるための細い道路があった。
内陸の建設業者が違法工事をやり、それがバレて指名停止処分を食らった時のものである。
だから、もちろん行き止まり。

3.11大津波の時、逃げ場がなくて、そこへ車が逃げ込んだらしいが、モロに浸水し、助手席に乗っていた子どもが意識不明になった。
私の地元の先輩が、その親子を病院まで案内したという。
国道を行けるわけもなく、山道である。
高浜は、国道45号のできる前には、山道が生活道だった。
私の小さい頃は、その山道で遊んだものだ。

案内した先輩は、私に、ショッキングなことを教えてくれた。
私の母とおじが、津波に流されていった、と、その親が証言した、ということを。

それを聞いた時、その場の過酷な状況と母とおじの表情を、嫌でも想像してしまったのだ。



3.11大津波から6年目の日、私は、FRPの仕事をしていた。
サンダーをかけていたので、サイレンの音など聞こえもせず、全く別世界。
世の中は、いつになっても、追悼行事や追悼番組ばっかりで、嫌になる。

3.11といえば、母とおじが流されていった、あの時の想像を思い出してしまう。
首を振り払って、目をそむける。

「風化させない」とか、誰か言っているようだが、「風化する」などとよく言えるものだ。
決して忘れるものではないのに。
思い出したくないほどだから、「津波の話はやめよう」と口走るのは、いつものことである。
そんなものを悼むことより、自分が未来に対し何ができるのか、ということを考えるほうがいい。
母もおじも、きっと、そう望んでいる。

「頑張れ!」「でも、あんまり無理すんな!」

私の家の法事では、津波の話など、たった一つも出てこない。
posted by T.Sasaki at 17:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

魚類資源減少について 12

今夜は4回目の投稿となる。

いさだ漁の景気がいいのに、漁運丸は港に繋がりっぱなしで、こんな文章を書いているのは変じゃないのか?とみんな考えるかもしれないが、これには、しかたがない事情がある。
肝心の乗組員がいないからなのだ。
宮古でいさだ水揚げトップの先輩からは、乗組員を見つけてやったほうがいい、という助言を頂いたりしたが、できなかった。
この原因は、漁船経営者としての資質がない、の一言につきる。
あるいは、漁運丸がいさだを獲る能力がない、ということを、世に知らしめていることを証明しているようなものだろう。
この事実に関しては、甘んじて受け入れるしかない。

しかし、だ。
他の業界から嫌がられることを知っていながら、このような書き物をなぜやっているかという理由を考えるならば、それほど魚類資源の減少を危惧しているからにほかならない。

ここからは、あまりに子どもじみた話になるが、少し付き合っていただきたい。

例の毛がにの特別採捕に関わる件について、特別採捕の許可条件として、従来の許可条件に違反行為があった場合、特別採捕は即刻中止する、というのがある。
私は前述の通り、特別採捕なるものに反対であるから、ここで少し考えた。
私が、違反操業すれば、特別採捕は、中止になるのだ。
私自身、この通り、毛がに資源減少と将来の漁船経営とを考えて、漁を切り上げたから、故意に違反操業して、岩手県漁業取締船に電話して、捕まる手法もあった。
これにより、特別採捕が中止されれば、来年の毛がにはそれなりに漁獲は増える。
資源増殖に関する取り組みの一つである。
この行為で、トロール業界のメリットは、ほぼない。
なぜならば、毛がにを獲る漁法において、トロールはかご漁業に及ばないからである。

しかし、私が同業者の殺生権を握るほど偉くはないし、この行為が独善的であることは否定できない。
だから、考えるだけにして、やめた。
世の中なんて、そんなものだろう、と大人になった自分が勝手にそう思っている。

岩手の2そう曳きの親分は、宮古市の金沢漁業らしい。
その社長は、宮古高校の先輩でもある。
他界した私の叔父の同級生であるという。
同じ同窓生ならば、それも、宮古高校であるから、想うことはいっぱいある。
宮古高校の校歌を、もちろん同窓生ならば、忘れるはずはあるまい。
今は亡きミュージシャンが、CDに遺したほどの校歌である。
あの校歌を誇りに想う卒業生は、私だけではないだろう。
というより、ほぼ100%に近い割合で、想うところはある、と思う。
そんな同窓生だから、本当のところ、分かり合える部分はあるのではないかと、期待を持っている。

私は、金沢漁業の社長と会ったことも話をしたこともない。
もちろん、顔も知らない。
宮古漁協の理事であるからには、私の父と顔を合わせていたのだろう。
こんな文章を書いている私とは、話をしたくないかもしれないが、私は、徹底的に話をしたいと思っている。
何を話すかというと、もちろん、2そう曳きが魚類資源に与える影響と宮古市や岩手県に与える影響についてである。
もし、社長の心に余裕があるならば、私の彼の腹の底まで聞いてみたいと思っている。



岩手県沖合の漁業行政に変化が、このままないならば、きっと、いったん、みんな貧乏になって終わるだろう。
その先は見えたもので、増田前岩手県知事の人口予測より、沿岸地区の人口は減少する。
弱肉強食という学問的真実を、そのまま人間に適用するならば、社会制度など必要ない。
社会保障制度などというのは、その時点でやめたほうがいい。

しかし、そうではないだろう。
周りの人間と仲良く、たとえ一杯やったらその場で喧嘩することもあるだろうが、そういう機会があるのも、楽しいと思わないか?
社会保障制度、社会制度というのは、同じ地区、同じ国で、少々の小競り合いはあっても、仲良くやっていくためにあるのだ。

私は、公務員という職業に就いている人間を、本質的に好きでない。
しかし、若い時分の理想と現実とを比べて、なってしまった公務員たちも社会に対する葛藤はあると思う。
そういう人たちと正直に話をしていると、それを感じてしまうのだ。
むしろ正直でない、同類である漁業者のほうに、人間性、日本人性、という表現が正しいのかどうかわからないが、疑問を感じてしまうのである。
魚類資源減少について」のシリーズに関しては、以上をもって、いったん終わりにする。

私は、今でも自分のことを半分ぐらい大人で、半分ぐらいは子どもだと思っている。
子どもの疑問は、純粋だ。
その純粋な疑問こそ、みんなを仲良くする手段だと、私は考えている。
posted by T.Sasaki at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚類資源の減少について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

魚類資源減少について 11

再び。

昨年のロシア海域での漁獲量は、どの海域でも増加しているのだという。
これは、新聞記事だったと思うが、私も以前のようにマメではなくなっているので、記事転載できない。
が、最近の記憶だから事実である。

前述Nさんから聞いた話になるが、彼もただ年をとっているわけではなく、いろいろな経験をしているから、その話は貴重なものだ。
彼はロシアに漁業指導に行ったことがあり、その時のことを教えてくれた。

ロシアでは、日本のように、オカの受け入れ態勢が整っていないのだそうだ。
だから、あまりたくさん魚を獲っても、買ってくれない。
まるで、以前の宮古地区のいさだ漁業と同じだ(笑)。
そのため、たとえ密漁があっても、乱獲になるほど獲っていない。

その話から考えると、漁獲量が増加した、ということは、オカの受け入れ施設が増加したのであり、ロシアも魚をたくさん獲り始めた、ということになるだろう。

ここで思うのだが、三陸沿岸では、震災復興のいろいろな補助金活用で、加工工場の冷蔵庫がたくさん建てられた。
つまり、受け入れ施設が充実し、たくさん魚を獲っても、さばけるようになった。
だから、2そう曳きのトロールが、市場のタンクにたくさん入れるのを喜んでいる。
これをどう考えたらいいのか。

スルメイカは、大陸棚の斜面で産卵することがわかっている(今、事情があって別のPCを使っているので、論文のリンクは後で貼るかも)。
オカ寄りの斜面は、場所にもよるが、水深100mより浅いほうが、斜面の傾きが大きい。
それより沖合いは、170m以深から急に斜面がきつくなる。
だから、スルメイカが岩手沖で産卵する場合、100m以浅か、170m以深だと考えていいのではないか。

昨年、一昨年と、スルメイカが定置網で漁獲されないに等しい。
特に、秋鮭終盤から1月にかけての産卵期に、ぜんぜん入らない。
ということは、トロールの網の入らないオカ寄りで、スルメイカが産卵していないことになる。
その代わり、トロールは、秋から冬にかけて、スルメイカを獲っている。
今年は、2月まで獲った。
つまり、産卵場が沖合いに移動しているのに、それをいいことに、たくさん獲ったことになる。
これでは、三陸のローカル群は、発生しない。
事実として、夏イカが、近年ぜんぜん定置網に入らない。
これは、ローカル群の消滅を意味していると思う。

ここで加工業界に提案である。
1月以降の産卵期のスルメイカを、買わないことにするのだ。
あるいは、成熟割合が大きくなった場合、スルメイカを買わない。
それくらいやらないと、スルメイカのローカル群は増えないだろう。
魚類資源が減少する、ということは、各冷蔵庫が空の状態が続く、ということであり、いずれ、行き詰ることになる。
価格ばかり上昇し、中身は残らない。

魚類資源の減少は、地域経済に影響を及ぼすことにもなり、ますます過疎なる。
魚市場の仲買人たちも、どうやったら、魚類資源を増やすことができるのか、考えるべき時が来ている。
posted by T.Sasaki at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚類資源の減少について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岩手の2そう曳きは操業日数も多い(魚類資源減少について 10)

再び、こんばんは。

八戸のトロールが全船かけまわしであることは、すでに記述していると思うが、彼らは、悪天候が予想される場合、すぐに休む。
私たちが、八戸にスルメイカの昼釣りに行っている時でも、あの独特の地鳴りのするエンジン音をたてて帰ってきたりする。
そんな中、小型のいか釣り船は、操業することもある。
トロールが出ない日は操業しやすいし、はやり網を使われる場合と使われない場合とでは、釣り針にスルメイカも乗りも違う。
冬は、1週間に1回か2回ぐらいしか出ないそうだ。
北ほど季節風が強いからしかたがない、ということである。

一方、岩手沖は、北上山地が迫っているせいか、八戸沖と比べて季節風は弱いし、南北に長い海岸線を擁するため、季節風が強い時には、県南を操業することができる。
小型船が操業できる日は、間違ってもトロール船が休むことはない。

したがって、八戸沖と岩手沖とを比較すれば、操業日数の点でも、魚類資源に脅威なのは、明らかに岩手沖のトロールである。
その上、全船かけまわしの八戸と違って、岩手は、ほぼ2そう曳きなのだから、資源増加など見込めるはずもない。
posted by T.Sasaki at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚類資源の減少について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岩手の沖合底曳網漁業の歴史(魚類資源減少について 9)

みなさん、こんばんは。

岩手の沖合底曳網(トロール)漁業の歴史について、少々。
聞いた話で申し訳ないが、これは、ある小型船の船主Nさんが教えてくれたことである。

Nさんのお父さん(故人)が、トロール漁船の船頭を昔やっていたそうだ。
岩手県でも、八戸のように、かけまわししかなかった時代である。
その頃のトロール漁業は、1年の半分、つまり6ヶ月操業で、6ヶ月休漁だった(現在は10ヶ月操業で2ヶ月休漁)。
戦後なのか、高度成長期なのか、よくわからないが、日本の国が、とにかく食糧増産を推し進める政策を採り、そのため、6ヶ月操業を10ヶ月操業にしたのだという。
その後、日本は、貿易などの恩恵により、食糧難ではなくなった。
前出の船頭の話では、食糧難でなくなったその時に、元の6ヶ月操業に戻せば、それほど魚も減らなかっただろう、と述懐していたそうである。

ところがだ。
それを元に戻すどころか、最悪の2そう曳きをやり始めたのである。
2そう曳きのトロールは、宮城県で行われている開口板(オッターボード)使用の1そう曳きトロールより悪い。
これでは、ますます魚類資源が減って当たり前なのだ。

岩手で最初に2そう曳きをやった会社は、現在、辞めてしまって存在しない。
だから、全船かけまわしの時代を知っているのは、引退間近の船頭ぐらい。
今、かけまわしで残っているのは、金勘漁業の25勝運丸のみとなっており、この船頭の腕前は、確かなものなのだろう。
断言する理由は、いさだ漁で、正確に網を入れないと獲れない、というのを、私たち小型船は経験しているからである。
ところが、2そう曳きは、そんな正確さなど必要ないと思う(やったことがないから、こればっかりは「思う」としか書けない)。
だから、2そう曳きの船頭の優劣というのは、漁経験と漁場の選択のみ、と言っていい。
かけまわしの船頭と違って、まず、普通の人ならば、誰でもできる、と考えてよいだろう。

以上、トロール漁業の変遷を粗く記したが、昔、半年操業であったことなど、調べてもなかなか出てこない。
関係機関で出向いて調べるしかないが、ここでは伝聞による記述で許していただきたい。

2そう曳きトロールは、開口板使用の1そう曳きトロールの馬力アップ版と考えてよい。
曳き網は、曳いた瞬間から水圧がかかり、網の目は、皿の形のように潰れ、正方形の目ならば抜けてしまうような魚も入ってしまう。
アバ桁や足桁をつけて、目を広げる方法もあるとは思うが、曳く馬力により、魚が横になって網に付いてしまえば、抜けなくなる。
これは、私たちがかごを海中から挙げるとき、よく見る現象である。
本来、抜けてもいい小さい魚が、横になってしまうと抜けていかないのである。
一時、トロール業界も、小さい魚が抜けるような取り組みをやったことがあるらしい。
これは、私の父からの伝聞であるが、その取り組みは成功しなかったようだ。

2そう曳きトロールは、底魚を獲る漁法としては、非常に効率がいい。
効率がいいということは、それだけ資源減少を促進させる、ということだ。
したがって、特に、2そう曳きトロールの操業には、たくさんの制限を設けるべきである。
歴史を振り返れば、かけまわしのみの時代でさえ半年操業であった時代もあったのだから、それを元に戻し、2そう曳きは、漁獲能力の効率の高さから、その半分でもいいだろう。
あまりに操業期間が短くなるならば、盛漁期のみ稼動して、あとは休漁する、ということもできるはずだ。
そういう複雑な操業方法が嫌ならば、2そう曳きは廃止して、全船かけまわしにしたほうが、魚類資源にはいいと思う。

2そう曳きの船頭なら「まず、普通の人ならば、誰でもできる」と私は書いたが、書かれた当事者は、「このヤロー」と思うだろう。
それくらい元気があって自信があるならば、魚類資源の増大へ向けて、ぜひ、船主に向かって、「かけまわしにしよう」と提案してみてはどうか。
そのような気概のある船頭がいることを、私は期待する。



現在、60歳以上の船頭たちには、その父親から聞いた話というのがあると思う。
伝聞には、もちろん、記憶違いというのもあるが、一致した話は、貴重なものとなる。
その昔は、ブログはおろか、個人が記録を残しておく、という考えなどなかっただろう。
今は、それができる。
私自身、それをやってみたい気持ちもある。

八戸には、高齢から、「やめようかなあ」という小型いか釣り船の船頭たちがいる。
漁協の理事もやったこともあり、まき網漁業やトロール漁業などとの会合にもほぼ出席し、発言してきた人間を私は知っている。
彼は、八戸沖の漁業紛争の生き証人である。
時間があったら、いろいろなことを聞いて、全部記録しようかなあ、と考えたりもしている。
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2017年04月07日

鮭の刺し網裁判について

再び、こんばんは。

かご漁業の話から、忘れないうち記しておく。
例の秋鮭を刺し網で獲らせろ、という裁判で、訴えた側が勝訴したらしい。
かご部会の会員の多数が、この訴えた側のメンバーであるという噂である。
私は、本当のところ、誰と誰が、正式なメンバーなのか、知らない。
負けた県側は、控訴したようだ。

鮭の再生産は、大昔と違って、人の手によるものである。
人工ふ化は、各漁協がやっており、それが、漁協の事業を支えている。
人工ふ化事業の前なのか後なのかわからないが、春鮭鱒の延縄漁は、私の父親の若かりし頃から存在する。
もしかして、秋鮭の人工ふ化を行う前からあるのだろう。
そうでなかったら、水産六法に、鮭延縄の制限する法律があるはずもない。

一方、刺し網で鮭を獲る、というのは、宮城県のみの許可であり(10トン未満のみ)、ごく最近できたものである。
鮭王国である北海道など、他の県では許可していない。
そもそも、ある人たちが、一生懸命育てて放流したものを、その人たちの言い分を無視し、他の漁業者が「獲らせろ」という話が、社会一般で通用するのだろうか。
私は、その時点でおかしいと思う。
例えば、宮古漁協の隣の重茂漁協では、あわび増殖に関して一生懸命であり、単協の重要な戦略の一つである。
それをそんな努力の片鱗もない人間が、「同じ漁師なんだから、獲らせてくださいよ」という人は、まずいない。
恥ずかしくて言えない。
他人が一生懸命やっている事に、「都合良く」参加できるわけがないではないか。

秋鮭の漁獲できる方法は、定置網、鮭延縄、河川捕獲の3つであり、これは以前から変わっていない。
一般の漁船漁業者には、ちゃんと延縄漁業という漁獲機会があって、岩手県沿岸漁船は、当初みんなやった。
それが思うように獲れなくなったから、県の許可制度が悪い、というのは、「都合が良すぎる」。
普通の日本人の感覚を持ち合わせている人間なら、そう思う。

私は今、「裁判の秘密」という本を読んでいるが、法曹界の人間というのは、本当に信用していいいのか悪いのか、ますます考えるようになった。
上記のように、日本人一般の感覚からかけ離れた判決がなされたりするのを目の当たりにすると、げんなりする。
控訴審も県が敗訴するとなると、これは各県に波及するだろうし、他の漁法でも、「獲らせろ」が始まる。
この「獲らせろ」論には、限界がない。
私は、これに関わっている弁護士や裁判官の頭の中を覗いてみたいし、いろいろなことを聞いてみたいと思っている。

大雨で川が増水し、川留めの設備が流失して、上流へどんどん鮭が遡上することがある。
この場合も、その流域の一般住民は獲ってはならず、鮭が産卵して役目が終わっても、獲ることはできない。
その後は、カラスや野鳥の餌になり、最終的に腐ってしまうのだが、私はその鮭を、流域住民が獲ってもいいように法改正したほうがいいと思う。
流域住民は、川をきれいにする努力をしているし、増水で被害を被ることもある。
人間的に考えるなら、川留めが壊れた場合、流域住民に幸運を与えてもいいような気がする。
少なくとも、これを「都合が良すぎる」とは誰もいわないだろう。

私は最近、モノを言う人が、どういう人間か、じっくり観察するようにしている。
心に裏がある人間は、信用できないからだ。

信用というのは、最後の最後は、カネや業績ではない。
基本的な人間性にある。
それが否定されるなら、この日本は終わりだ。

私が小学校卒業の時、先生から送られた言葉がある。
それは「心豊かに誠実に」である。
存命しているかどうかわからないが、それは照井先生という方であった。
50歳にもなって、この言葉を非常に重く感じる。
今まで日本人として生きてきて、この言葉に重みを感じなかった自分を恥じている。
posted by T.Sasaki at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私が「嫌なやつ」でも結構

みなさん、こんばんは。

もう書くことをやめようと思ったが、たまにではあるが、「隠れファンです」とか、「見ているよ〜」と言われると、「やめないほうがいいのかなあ」と思ったりする。
実は、今日も意外なところで意外な人物と遭遇し、告白された。
私がブログをやめて喜ぶのは、まずは2そう曳きのトロール業界だろう。
その他、槍玉にあげられた人たちが喜ぶわけだ。

私は、予定通り、3月末日で毛がに漁を切り上げた。
時化が来たりして、延期したけれど、31日の夕方にすべて道具をあげてきた。
したがって、特別採捕という漁業には加わらない。

毛がにの特別採捕とは、簡単にいえば、4月末日まで甲長8cm以上の毛がになら採ってよい、という許可である。
3月から採れ始めた年もある、という人もいたから、一応、許可を取っておいたが、せいぜいよくて50kg程度しか採れないので、私は切り上げた(8cm以上なら半分以下)。
資源が少ないと思うなら、自主的にやめるべきなのだ。
今日、特別採捕許可を返してきた。
こんなものやっていても、漁業者自身が消耗するだけで、未来はない。

しかし、大方のかご漁業者は、獲りたいようだ。
ミズダコの小さいのも獲りたくて獲りたくてうずうずしている。
こんな綱渡りの資源状況で、改善しようという気概が全く感じられない。
だから私は、「この人たち、頭おかしいんじゃないの」と思うのだ。

このような資源状況とこんなお粗末な資源管理の中、もし、私に息子がいたとしても、「漁業を継げ」などと言うことはできない
何も改善されないならば、楽しい職業とは言えない。

何が楽しいか?
それは二つある。
一つは、文字通り、大漁すれば、金儲けになる。
もう一つは、漁をする楽しさ、というのがある。

しかし、かご漁業というのは、金儲け以外に、何の楽しみもない。
調査してそれを狙う、という漁業ではないからだ。
ある人に言わせれば、「バカでもできる」のだ。
一方、流れものを獲る漁業は、先ほどのように、、探して獲る、という楽しみがあり、これは、「バカ」ではできない。
「流れもの」とは、回遊魚を指し、例えれば、今年は景気がいいいさだ漁業、いか釣り漁業、さんま漁業、さけ延縄漁業などを指す。
ここで「バカ」という言葉を使ったが、「頭をあまり使わなくてもいい」ということを表現したものととらえてほしい。

こんなあんばいだから、後継者、という言葉を使うことに責任を感じてしまう。
後継者がいる場合、漁船漁業をやらせるほうが良いのか、良くないのか。
私は、先ほども書いたように、「やれ」と言うことはできない。
私が先代の後を継いだ時代とは、全く違う。

私は、大学を終わってから家業を継いだのだが、ほぼ給料というのをもらったことがなかった。
厳しい父親で、ちょっとでも遊んでいたりすると、怒鳴られた。
だから、あまりよその人たちとも話もできなかった。
そんな状況で仕事をしてきたものだから、これが普通のことだと思っていた。
しかし、ある時、いいのができて、その女に指摘された。

「それは普通じゃない」

結局、その女は、自分までずっと仕事をさせられて貧乏すると思ったのか、私と一緒になるのをやめて、さっさとほかの男と一緒になったらしい。
まるで、浜田省吾の「Money」の世界だ。
何が「愛してる」だ!(笑)

ところが、習慣というのは恐ろしいもので、仕事ばっかりするのに、それほど苦痛を感じなくなる。
仕事好きと言ったらいいのだろうか。
恐らくは、高度成長期を支えてきた日本人の多くは、同じように仕事好きだと思う。
仕事好きというより、モノを作るのが楽しい、のかな。
実際に、現在の私は、漁をするにあたっての、システム作りに傾倒している。
どうやったら、楽に仕事をできるのか、ということだ。
自分自身が年をとってきて、いずれ、今みたいに仕事をできない時がやってくるのを見越して、という理由もあるし、昨年のように、一人で操業しなければならない事態も想定している。
一人でも操業できる、ということは、同じ仕事を二人でやるなら、ずっと楽にできる。

若い時分に、比較的無駄使いしなかったため、今の自分があり、ほぼ震災前の設備を取り戻した。
こうなると、日本人の「もしかのための」貯蓄性向は、正しかったことになる。
つまり、私の父の厳しさは、ある面、正しかった。
(考えてみれば、「愛している」と言った女と甘い生活を営んでいたら、たぶん今の自分はないと断言できる。自分のことしか考えない女だったから。女を選ぶのは難しい。笑。逆に女の側も男を選ぶのは難しいだろう。特に今は)。

こんな私が、他のかご漁業者と同じように、資源増殖を無視する覚悟をもってやるならば、容赦なく獲るだろう。
周年操業で、コソコソしながら、いろんな漁業を平行してやる。
実際に、そのような灰色な話は、いろいろと耳にするから、やる気なれば、やれる。

でも、気分が悪いなあ。
だから、やらない。

あ〜、何となくスッキリした。

私は、みんなに「嫌なやつだ」と思われる。
でも、そんなのが一人ぐらいいてもいいじゃないか!
それでいろいろと考える人が出てくれば、本望である。

コメント欄に、名前も名乗らずに勘違いを記した人もいるが、労働環境の改善は、どこの事業者も考えていることだ。
厳しく育てられた後継者ほど、労働者のことを考えている(と思う)。
私は、そろそろ、日本人らしくない日本人に頼ることをやめたほうがいいのではないか、と考えている。
このことについては、後で記述することになると思う。
posted by T.Sasaki at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする