日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2017年03月09日

勧められない起業

再び。

こういう大不漁が続くと、問題は、カネが続かなくなる、ということ。
もちろん、これを見越して、今年使う道具を前年に買っておく、という対策は練ってはいるが、本業のするめいかが、前沖で2年も大不漁を食らうと、非常に厳しい。
さまざまな魚類資源は減少傾向にあり、秋鮭も見通せない状態が続いている。
これでも、船の付属品などは、容赦なく消耗し、出費は減ることを知らない。

現在、私の懸案は、主機関のプロペラである。
ちょっとしたことが原因で起こる振動対策で、プロペラを小さくし、その分、スリップが大きくなるから、ピッチを少し立てた。
直線走行では、狙い通り振動は減ったが、舵を大きく切った時、逆に振動が大きくなった。
1kwのハロゲン作業灯の球が、切れてしまうのである(これが1灯1万円もする!)。
その後、対策として、電源を切ってから旋回するようにしたら、球は切れなくなった。
おそらく、振動でショートしたのだと思う。

しかたがないので、新造の時の最も古いプロペラに取り替えた。
しかし、実は、これも、流木を乗り越えてしまった時、裂けてしまったプロペラである。
修正してもらったが、ほんの少し欠けている。
このためか、いか釣りの艤装を解除した軽装備の時、いくらか振動する。

そこで、今回、思い切って、プロペラを買うことにした。
ついでにバイタも交換することにし、費用がちょっとかかる。
4枚プロペラのハイスキュー。
船の振動は、長期的には悪いので、先行投資ということである。
これは、つい2日前に決断した。

震災以前の漁ならば、この程度の出費など気にならなかったのに、今は深刻だ。
若くて、小型船で起業したいと考えている人は、この岩手では、思いとどまったほうがいいと思う。
本当は応援したいけれど(このブログには、若い人向けに、たくさんのヒントが書かれてある)、限られた漁場を、先輩たちが譲るほどの余裕はないと思うから。

この大不漁の原因が、本当のところ、何なのか、誰にもわからない。
わかるのは、海全体を見渡すことのできる神様だけだ(そんなのがいるはずもない)。
もし、私たちが獲り過ぎた、というならば(そう私は思っている)、これは、私を含む先輩たちの責任である。
だから、どうやって資源増殖していくのかを考えるのは、先輩たちのやるべきことなのだ。
posted by T.Sasaki at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毛がにの大不漁

こんばんは。

ご存知のように、毛がにが大不漁で、不漁だった昨年の3分の1も獲れそうにない。
しかし、単価が異常に高いため、乗組員の給料ぐらいは払えそうになった。
他の船の人たちからは、「あなたはタダ働きね」とからかわれたりするが、しかたがない。
このまま異常な高値が続くとは思えないし、確保してある餌がなくなり次第、切り上げるつもりいる。
あと7回ぐらいの操業で、海から道具を回収して、来年に期待しよう。

漁がない時は、さっさと切り上げれば、その分、魚も増えるだろうし、育つだろう。
漁師は、こういう時、リフレッシュしたり、勉強したりするのがいいと思う。
漁がある時は、時間がいくらあっても足りない、という事態になるのだから。

いるはずの小さい毛がにがいない、ということをすでに報告しているが、昨年夏のたこかご漁の時は、小さい毛がにはたくさんいたそうだ。
まさか、短期間に、まだらが食べつくしたわけではないと思う。
もしかして、低水温が押し寄せないため、広範囲にまばらに散らばっているのかもしれない。
と、希望的考察を書いておく。

私は今年、ミズダコを昨年より多く漁獲している。
ミズダコ資源が多くなっているのかな、と思っていたら、宮古魚市場の水揚げは減少傾向なのだという。
岩手県内のミズダコ水揚高がトップであることを考えると、これは不安材料である。
春先の水揚げの増加は資源増大を意味する、と、先日、岩手県水産技術センターでは説明していた。
水温上昇による影響が、じわじわと出てくるのかもしれない。

このミズダコの野郎、憎たらしいことに、長い足で餌だけ横取りして、かごの中に入らないのがいる。
たぶん、20kg以上の大きな奴だろう。
10キロ以上になると、オスは生殖活動した後に、死ぬそうだ(オスはかわいそうだ。笑)。
昨日、24kgのミズダコを獲った。
私にしては、最大のタコだ。
仲間内では、成熟してセックスしたオスが死ぬことを知ってから、「遠慮なしに、でかいタコは獲ったほうがいい」と話をしている。
死ぬ前に獲って食ったほうがいい。
posted by T.Sasaki at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

千年に一度の経験

NHKで見たくもない震災関連のリバイバル番組などをやっている。
「見たくもない」という理由の一つには、自分の涙もろさもある。
今日、ボーっとしてテレビを見ていたら、若い女の子が涙したシーンで、思わず、もらい泣きしてしまった。
津波のことで、いつも冷たく言い放ってはいる私であるが、ここで、プラス思考的に行ったほうがいいよ、と書いておく。

もうかなり前に書いたことだが、いつもお世話になっている機械屋さんに、「リセット」と励まされた。
肉親や家、倉庫などを失い、元気のないところで、リセットなのだ。
今まで不自由のない生活ができたのは、親のすねかじりのおかげなのであり、これからは、自分の力でやるしかない。
自分の力を試す機会を、天に与えられたのだ。
そう教えてくれた機械屋さんは、エライと思う(摂待鉄工所の社長です)。

それと同じ思考方法で、震災をプラスに考える。
特に若い人たちにとって、震災は、通過点の一つにすぎない。
千年に一回の規模の津波だったのだから、千年の一度しか経験できないことに遭遇した、と思えばよい。

今、20代の若者たちは、いずれ年老いて、私くらいの年齢になれば、あの時はこうだった、と子どもたちや若者たちに伝えることができる。
その頃には、苦労した経験が、きっと生きると思う。

苦労を乗り越えるかどうかは、気持ちの問題だと思う。
苦労と思えば疲れるだけだし、苦労を肥やしだと思えば、ぜんぜん平気。
私自身、苦労したと思ったことがあまりない。
なぜそうなのか、というと、今みたいにいろいろな製品がなかった時代を思い浮かべ、「昔は大変だっただろうなあ」と考え、それに比べれば、「今は楽だよな」と思うから。

自分より厳しい環境にいる人たちと自分を比較し、恵まれていることを自覚したほうがいい。
posted by T.Sasaki at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

恥ずかしくないのだろうか

これが天下の田老港であり、田老の壁である。

田老の壁.JPG

遠くてわからないと思うが、自慢の防潮堤を3.11で破壊され、さらに大きく復旧した。
これで田老は大丈夫だから、野球場を作った。
三陸鉄道の新駅も、この防潮堤の中に作るそうだ。
税金を使った施設は、たろう観光ホテルもある。
日本人はバカだから、いちいち震災遺構として残さなければならないという(こういうものを残さないと忘れる、というのだから、バカと言われてもしかたがない)。

宮古市民は、永遠に、これらを維持する税金を納めなければならない。
そして、それだけでは絶対に足りないから、東京などの都会人に、これらにかかる経費を、永遠に納めさせることになる。

「永遠に」という言葉を使ったが、もし、途中で「やめよう」というのなら、最初から震災遺構など必要ないのだ。

現宮古市長は、田老出身である。
だから、田老の壁(防潮堤)のように、宮古湾を醜く囲み、それでは足りないから、市民や議会の大反対を押し切り、閉伊川の水門まで作った。
その結果、昨年の台風10号の大浸水を招いた。
宮古市民はおとなしいから損害賠償を請求しないようだが、これは、損害賠償ものである。
民意に逆らって行った事業なのだから、市長に明確な責任がある。

しかし彼は、責任をとるどころか、また市長選に立候補するそうである。
厚顔無恥もいいところ。
恥というものを知らないらしい。

田老から来た現市長は、宮古を破壊している。
ふるさとの景色はありがたきかな」では、すでにない。
石川啄木と宮古市民は、かわいそうだ。
posted by T.Sasaki at 21:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ふるさとの景色はありがたきかな

数日前の早池峰山。

早池峰.JPG

思わず綺麗なので、パシャっとやった。
私のカメラでは、これが限界(ヘタクソ!)。

宮古高校時代には、天候の良い日には、いつも校舎のベランダから見ていた。
あの当時、山を見ても、あまり何も感じなかったが、今は、月山や早池峰山を見て、「お〜、いいな」と思うようになった。
石川啄木の詠んだ短歌の

ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

を実感できる年頃になったようだ。
ようやく大人になったかな(笑)。

宮古から盛岡へ向かうとき、区界峠を越えると、岩手山が見えるようになる。
東京などから帰省してきて、盛岡駅から出ると、岩手山が見える。
その時やはり、「お〜、いいな」と思う。

そして、3日間も盛岡などにいて、宮古に帰ると、海が見える。

「お〜、いいな」

山に限らず、ふるさとの景色は、ありがたいのだ。
posted by T.Sasaki at 20:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

逃げてしまう原発労働者

こんばんは。

最近、連絡もなしに、乗組員が来なくなった。
30代の若者で、ちゃんと奥さんもいて、子どももいる人である。
何度電話しても出ない。
これが尋常なのか。
あきれ返って、もう笑うしかない。

一人一台携帯電話を持ち、どこにいても連絡できる時代なのに、居留守を使い、電話に出ない人間は、携帯電話を持つ資格がないような気がする。
しかも、今回のように、突然職場放棄するなど、社会人として失格である。
「仕事を嫌になったので辞めます」くらいは、言えるはずだ。
せめて、「辞める」の連絡くらいはすべきである。
このことによって、彼は、少なくとも私の周りでは、信用を失ったことになる。

今の若者の全部が全部、このような人間ばかりでないことくらい、私は知っている。
テレビで頑張る若者を取り上げているのだから、ちゃんとした若者は、たくさんいるだろう。
しかし、何度もどろんされると、「大丈夫?」と疑いたくもなる。
もしてかして、素晴らしい若者とやる気のない若者の両極端になっているのではないか。

こういう両極端な労働者の構成で困るのは、国家的セキュリティの必要な職業であろう。
それは、ズバリ、題名の原発労働者である。

私のような、「どんな人でも使ってみるか」的な事業なら、たとえ逃げられても、社会に与える影響は少ない(私的には影響は甚大ではあるが)。
しかし、原発で事故が起きた時、現場を投げ出して逃げられては、とんでもないことになる。
福島原発事故で、その場で頑張った人たちが、もし、逃げ出すような若者であったならば、今の日本はない。
こう考えると、ぞっとするではないか。

この観点から、現状の原発はやめるべきである、と私は思う。
posted by T.Sasaki at 20:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする