日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2016年09月28日

漁師は、愛国心の塊

再び、こんばんは。

日本ハムが優勝しましたが、この写真、見てください!(関係ありませんけど)

ヤンマー亜鉛.jpg

日本の漁船は、常に、made in japan なのです。
こんなゴムパッキンまで。

考えてみると、船体からエンジン、航海計器、魚探類、イカ釣り機械、餌、網など道具まで、全部、made in japan。
全部、高価です。

漁業者は、日本を愛しているのです(笑)。
右翼でも、漁業者には、一目おくほどです(笑)。
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気仙沼に、生まれて初水揚げ

みなさん、こんばんは。

私は気仙沼に来て、宮城県に初水揚げしました。

気仙沼魚市場.JPG

たった30個でしたが、気仙沼魚市場の人たちも非常に親切でした。
「たぶん、もう今年は来ないと思いますよ」と言いましたが、それでも、「ぜひ来てください」とリップサービスをいただきました。
この辺は、宮古魚市場も見習うべきです。
魚市場も、殿様商売ではないのですから。

気仙沼といえば、まず、濱喜です、私には。
濱喜の佐藤さんには、非常にお世話になります。
さっそく、かつおとまぐろの美味しいところをいただきました。
ありがとうございます。

私がなぜ、気仙沼に来たか、というと、理由は、3つほどあります。

一つ目は、調査。
最近、宮城県のトロール船は、あまり振るわないのですが、それでも、数十トンはスルメイカを獲っています。
昨年の噂では、トロール船が獲っても、釣りは獲れない。
しかし、こんな大不漁だと、調査したくなるものです。

二つ目は、許可。
岩手県と宮城県が仲良く漁業をやろう、ということで、せっかく許可を出し合うことになったのですから、ぜひとも、宮城県で操業してみたかった。
しかし、水揚げした30個は、岩手の大槌沖で獲ったもの。
少なくとも、釜石以南の沖合いでは、何度、針を下げても、1匹も獲ることができなかった(かわいそうだけど、釣りというものは、そういうもの。それに比べると、トロール漁業は恵まれているが、資源枯渇と漁場破壊の原因となっている)。

三つ目は、上架(これが一番の理由。海草が生えすぎ)。
宮古漁協造船工場は、本来4隻上架できる能力があるのに、、震災の影響で地盤沈下し、2隻しか上架できません。
加えて、田老漁協の上架施設が復旧するつもりがあるのかどうかわからない状態です。
その上、台風10号の影響で壊れた船の修理のため、予約でいっぱいでした。
予約して上架する、という悠長なことを、今の私にはできない(そういうことができる船主を羨ましく思う。と同時に、私は田老出身の山本市長に問いたい。宮古地区の漁船保守についても。)。
そのため、この船の産まれた造船場に相談したら、「漁運さんが来るならば、他の船を下ろしても上げますよ」という、うれしい返事。
気仙沼は、私には、非常に、いいところ。

リップサービスにしろ、こういうところは、商売人ですよ。
私は、この造船場のすごさを知っている。
このブログでも、津波後のことを紹介していますが、彼らは被災して自宅も消滅したにもかかわらず、頑張っています。
若い人たちでさえ、夜8時までの残業に、文句も言わず頑張っています(こうなると、私も張り合うのです)。
ここに来ると、夜明けから日没まで、仕事をするのが普通だと思う。

今の気仙沼は、宮古と違って、まだ、復興土木作業の真っ只中(と書くと、宮古でぜんぜん土木工事になされていないように感じますが、気仙沼に比べると比較にならない。宮古はもう復興している)。
造船場街のある鹿折(ししおり)地区は、まだ、盛り土の真っ最中で、満足にできているのは幹線道路とコンビニのみ。
災害公営住宅も立ってはいるが、準備不足からか、入居しているのは2棟のみ。
家など、ない。
もちろん、私がお世話になっている造船場の自宅は、まだない。
「市場近郊の飲み屋街は、少しはできた?」と聞くと、「まるっきり」と答えられるのみ。
相変わらず、仮説店舗でやっているらしい。

ここに来て、粉だらけになって一生懸命仕事をしている人たちを見ると、怠けているわけにはいきません。
まだまだ、頑張らないと。
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2016年09月24日

豪栄道さん、おめでとう!

みなさん、こんばんは。

大相撲で、豪栄道関が優勝しました。
優勝インタビューで涙を流している姿を見ていたら、こっちまで涙が出そうでした。

以前、週刊誌の報道が発端となり、八百長騒動がありましたが、その中で、八百長をしない力士をガチンコ力士と呼んでいました。
そして、豪栄道関は、ガチンコ力士であったため、その当時、かなりいじめられたと書かれてありました。

その豪栄道関が、今場所、優勝しました。
これで、日本人なら、感極まらないわけがない。
相撲内容は、決して褒められたものではないと思います。
しかし、たぶん、勝利の女神が応援した(神様は、こういう時に、便宜的に使われる。先日の「天罰」と同じ)。
同じガチンコ力士の稀勢の里関も、いつか優勝してもらいたいですね。

周りに流されないで、強そうに見える力に立ち向かい、努力が報われれば、ホント感動します。
posted by T.Sasaki at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月17日

倉庫の屋根が・・・

みんさん、こんばんは。

八戸で獲る自信がなくなったので、帰ってきました。
狭い範囲にしかスルメイカがいなくて、船のほうが多い。
ああいう状態で、大漁できる船頭を尊敬します。
私は、まずダメですから。

そういうわけで、家に帰ってきたら、何と、倉庫の屋根が壊れていました(台風10号によるもので、私が知らなかっただけ。あの後いったん帰ったのに。汗)。
義援金を出そうと考えていましたが、それでどころでなくなりました。
もっと驚いたことに、道路も壊れていました(こっちは、台風10号の後の台風)。

壊れた道路.JPG

壊れた道路2.JPG

トラックもようやく通れるほどで、近くのT字路からバックで入れなければならない状態で。
それも、一度切り返しが必要です。
この道路が治るのは、たぶん、1ヶ月後かもしれません。
市内復旧で、こんな超ローカル道路など後回しにするしかない。

そして、警察の船である「第二さんりく」も、高浜港にいました。
閉伊川の係船施設が使い物にならず、しかたなく居候するそうです。

今朝の岩手日報には、台風10号による宮古市街地の浸水について、記事が書かれていました。
岩手大学理工学部の小笠原准教授は、「内水氾濫」であると指摘しています。
つまり、閉伊川の水位が上がり、そこで市街地にも豪雨が降り、その雨水を川へ排水できなくなった、ということ。
この原因が、閉伊川水門の工事にあると、ある市民によって指摘されています。

「3分の2も川がせき止められていた影響はあったと思う。津波対策だけではなく、河川の氾濫対策もしっかりしてほしい」と求める。
(2016年9月17日付「岩手日報」2面)


河口で3分の2もせき止められたら、確かに水位が上がる。
これは、ちゃんとした物理です。

山本宮古市長は、運が悪い。
たぶん、彼はそう思っている。
しかし、本当は、天罰です。

「罰が当たる」とか「天罰が下る」という言葉は、「運が悪い」を言い換えた言葉なのです(と思いますよ)。
posted by T.Sasaki at 18:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月13日

10億年後の地球

再び、こんにちは。

NHKの朝ドラ「常子」を観た後、「あさイチ」で、ネット依存症のことをやっていました。
特に、まあ、いわゆるネット中毒で、スマホがそれを増長していることもやっていました。
ここで、嫌なくらい書いているスマホ中毒。

20代のスマホ中毒患者を調べたら、何と!40代から50代の体になっているのだそうです。
数値計測ですから、脳だけでなく、体にも影響を及ぼしている、ということ。

すごいですよね。
薬物中毒、アルコール中毒、ニコチン中毒、ギャンブル中毒、スマホ中毒。
全部、カネ儲けの道具です。

最近、よく思います。

人間もただの動物。
その辺の昆虫や魚、動物と一緒。
一応、社会生活が大規模な分、少しは、頭が良くて、中毒を減らすフリはするけれども、しかし、金の亡者たちには勝てそうもない。
東京都の豊洲新市場の無様、あれが、社会生活を統括する人間たちのやることか。
責任感がない所など、他の動物と同じだ。
社会を見渡すと、とても頭のいい動物とは言えない。
悪いことに、人間は、福祉、という道具を使って、どんどん子どもを増やす。
そして、子どもを甘やかして、使えない子どもばっかりにする。
その子どもたちも、どっちみち、資源の消費者だから、地球をどんどん汚染する。
子をどんどん作れ、とはよく言うが、使えない子どもを作ったら、とんでもない話だ。
さっき「責任感がない所など、他の動物と同じ」と書いたが、こうなると、自然の循環の中にある動物たちのほうが、まだマシだ。
何が、人権だ!
くそ食らえ。
人ばっかり利用する怠け者に、人権など要らない!
ちゃんと仕事しろ!

ところが・・・

今日、たまたま「月の引力」で検索していたら、地球に未来はないのです。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160909/dms1609090830010-n1.htm
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160909/dms1609090830010-n2.htm
(「ZAKZAK」)

10億年後には、地球は100℃
この長いスパンの歴史では、豊洲市場で誰が毒を食らおうと、どうでもいい。
誰が、中毒になろうと、どうでもいい。
自分勝手に生きたい奴は、勝手に生きればいい。
どうせ、10億年後の地球は、死の星だ。

しかし、やっぱり、そうではない。
人に後ろ指を指されるような人間にはならないほうがいいと思う。
自分が、病気や怪我で動けない体になった時や死ぬ間際に、きっとそれを後悔する。

あ〜あ、何だか宗教の説教みたいになってきた(笑)。
posted by T.Sasaki at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

津波の記憶 13

みなさん、こんにちは。

早朝起きたら、八戸館鼻港では風が当たっていて、鮫角も南東10mだったため、休みにしました。
最近小さい反応の“一発”ばかりなので、魚探反応の映しにくい天候では、船頭のほうが嫌になりますし、乗組員も嫌でしょう。
それでも、反応自体が大きかったり、“流れっぱ”ができるなら、出漁を考えてもいいのですが。

そんな暇な中、ニュースを拾っていたら、超久々に、「津波の記憶」です。
月の引力と大地震の発生に、何らかの関係があるらしい。

http://mainichi.jp/articles/20160913/k00/00e/040/274000c(「毎日新聞」)

ちょっと前にも、アメリカでも似たような発表があったとか。

http://news.biglobe.ne.jp/it/0726/giz_160726_1100808749.html(「BIGLOBEニュース」)

つまり、私のような津波を警戒しなければならない船の関係者は、大潮の前後には、あまり船から離れなければいいわけです。
今まで旅行した時などに、「津波が来れば、おしまいだ」と考えていましたが、少し気が楽になって、温泉に行ってこよう!(と明るくなりましたよ)

と、朗報から記述します。

ここで、津波の記憶を思い起こしました。

震災の記憶として、カメラ画像やビデオ画像を残した人が数多くいますが、私は、たった1枚の写真もありません。
なぜ、携帯電話にカメラ機能がついていながら、何も撮らなかったのか?
ある程度、落ち着いてから、面白そうな写真を撮り、それを友人に送信したのはありました(例えば、信号機の修理中の写真や道路わきにあった道路交通標識を木か何かで立てた写真など。しかし携帯電話を変えたから、何もない)。
しかし、おぞましい風景は、撮らなかった。
いや、撮る余裕がなかった、と言ったほうが正しい。
もちろん、それは、私だけではなく、ほとんどの人がそうだったと思う。
Webにあるのは、その大多数に比較すれば、ほんの少しにすぎない。

私やその他大勢の人には、たぶん、携帯電話にカメラ機能があるのを、思い出す心の余裕がなかったのではないでしょうか。
みんな、切羽詰っていた。
家族のこと、家のこと、将来のことなどが頭の中を占め、「風景をカメラで携帯電話で撮る」という考えは浮かばない。
その点、カメラで撮ったりした人たちは、非常に冷静だったと思う。
おかげで、現場がどんな状況だったのか、後世に記憶されることになりました。

東北太平洋で、次に警戒すべきは、空白域である青森県東岸沖から北海道沖にかけての津波です。
特に、宮古湾は、北東方向を向いているから、被害は大きいと思う。
実際、浦河沖地震の津波の時、養殖施設が壊滅的な被害を受けたのは、宮古湾だけだった(この時の津波に比べれば、復旧作業は楽だったと宮古浦の漁師たちは言っている。彼らは津波に鍛えられている)。
津波が来るのは、何年後なのか、何十年後なのかわかりませんが、もし、生きていたら、また、嫌なものを見せられることになります。

次回、私は、冷静にカメラのシャッターを押すことができるでしょうか。

私はできない、と思う。

(「津波の記憶」シリーズは、これ以前の公開はストップしています。復興ヒステリックが収まるまで公開しないと思います)
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2016年09月11日

いか釣りの本

みなさん、こんにちは。

読書好きで、漁師でありながら、私は漁業の本をあまり持っていません。
そこで、足立倫行さんの「日本海のイカ」という本を読みました。
実際に小型船から中型船に乗船し、いか釣り漁業を経験してきたルポルタージュです。
平成3年に出版されてから、第2版は発行されていないみたいです。
ですから、私の場合、amazonの中古本を手に入れました。


amazonのレビューでは、あまり良いことは書かれていませんが、しかし、読む人にとっては面白いのです。
読解力のない人もたくさんいますし。
私としては、日本海で大漁する秘訣でも書いてあるのかなあと期待しましたが、そんなものは、ぜんぜん書いてありません。
ただ、昔のことやいかに関するいろいろな由来などが書いてあって、結構面白かった。
例えば、日本史上で、いかはいつ頃から登場しているかについては、

 日本人がいつ頃からイカを捕食しはじめたかは定かではない。けれど、幾つかの貝塚からコウイカの背甲片が出土しているのを見ると、古代においても少なくともコウイカ(骨が残らないので断定できないがおそらくスルメイカやヤリイカも)は食べていた。そして平安時代になると『延喜式』の諸国貢献品の中に、若狭や丹後、隠岐、出雲から献じた烏賊が登場する。これらは、生イカではなくすべてスルメ、しかし一括して烏賊と扱われている。
(「日本海のイカ」p32)

ここに烏賊という漢字が用いられていますが、この語源は、というと、

 たとえば、なぜ“烏賊”と書いて、“いか”と読むか。イカが海上に浮いているとカラスが突っつきにくる、そこを10本の腕で巻いて海中に引き込み食べてしまうから、イカはカラスを賊害する者(中国の古書『南越志』)
(前掲書p33)


からすはどうか知りませんが、少なくとも、するめいかは、海上の鳥と勝負すれば、ほぼ100%負けます。
黒い鳥(オワリの子)は、いか釣り機械が順番に上がってくるのを学習していて、船の前から後ろへと伝わって、いかが針からはずれて落ちるのを狙っています。
かもめは、流しの上に残っているいかを狙っています。
たぶん、するめいかなら、からすも勝つと思う。
しかし、むらさきいかみたいに大きくなると、やはり鳥のほうが負けるのかも。
人間だって、でかいミズダコには負けるかもしれない。
けっこう足の力が強い。

私が岩手県以外で操業する場合、協力金などを支払って、操業しようとする県の許可を取ります。
最近は、北海道が大人気で、新規の許可は出さないそうです。
そして、違反行為をすれば、許可も取り消される可能性があります。
だから、旅に出たら、各市場から配布される書類を読んで、揚げ足を取られないような配慮が必要です。
昔は、いろいろと争いがあったらしいですね。
私も刃傷沙汰というのを先輩たちから聞いたりしました。

 自県内の海域での他県船の操業をどこまで許可するかはどこでも頭の痛い問題となっているが、隠岐沖という好漁場を持つ全国最大の生鮮イカの水揚げ港である境港では、地元の小型船の船主たちが昭和56年12月、沿岸船いか釣り協議会(会員73名)を結成して他県船の許可承認制に踏み切った。この時、協議会結成の引き金となったのが福井船、中でも越前町の船の「目に余る違反行為」(協議会事務局)だった。地元船と越前町の船の間で出刃包丁ざんまいの乱闘が繰り広げられたこともあったという。
 現在、協議会は県外船34隻に境港水揚げの許可を与えているが、その中に福井県籍の船は一隻もない。昭和57年以降実質的に福井船は山陰沖から締め出された恰好になっているのだ。
(前掲書p72)


そうこうしているうちに、いか釣り漁船は、どんどん減少しました。
私が飯炊きで乗り始めた頃は、日本海から太平洋へと回航するとき、どこまで走っても、集魚灯が切れ目ないほど続いていたものですが、今の回航では、本当に大漁のところにしか点いていません。

 昭和58年現在、全国にイカ釣り漁船は3万2千隻ある。単一魚種を対象とする船の中では一番多い。このうち遠洋大型船が141隻、沖合い中型船が1016隻、残りがこれまで僕が各地で乗ってきた沿岸小型船という構成になっている。そして、スルメイカの年間漁獲量19万2000トン中約9万トンを漁獲し、イカ釣り漁全体の中で中心的な位置を占めているのが、大型急速冷凍庫を備え一ヵ月も二ヵ月もイカを追って航海を続ける中型船なのだ。
(前掲書p183)

2010年10月1日時点の許認可隻数は127隻で、十分の一となり、小型船についてはじっくり調べないとわかりません。
もう3万隻なんていないでしょう。
若者たちが、船乗りになるなんてことをしなくなりましたから、これからもどんどん減っていきます。

現在の小型いか釣り漁業は、昼いかがメインとなりつつあります。
昼いかをマスターしないと、いか釣り漁業を事業としてやっていけない時代になりつつあります。
燃油価格が下がったにもかかわらず、漁がないのですから、やはり、水揚げ金額が燃油代金を下回っては、赤字になります。
そんな薄漁ならば、燃油消費量の少ない昼いかを選ぶのは、事業者として当然の選択です。

残念ながら、「日本海のイカ」では、昼いかに関しての記述は、ほぼ皆無です。
しかし、私たちが読む資料としての価値は高い、と思います


posted by T.Sasaki at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月09日

道路の再構築

みなさん、こんばんは。

今年は、波高しです。
海上模様も漁模様も。
そして、山津波。

宮古市内しか見てないので、岩泉町の被害は想像できませんが、報道から、3.11津波に匹敵するような惨状なのかもしれません。
携帯電話もつながらないらしいし、孤立地帯も解消されるまでに、何と1ヶ月もかかるとか。

www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160909_4(「岩手日報 Web News」)

県内漁業関係者で深刻なのが、鮭のふ化場が壊滅的被害を受けたこと。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/news.cgi?ec=20160908_1(「岩手日報 Web News」)


ふ化場で放流した鮭が、すべて地元の定置網に入るわけではなく、沿岸をうろついている鮭が、各地の定置網に入り、入らなかった鮭が放流された川に帰る。
したがって、どこのふ化場が壊れても、県内漁協の定置網にとって、打撃となるわけです。
漁協が赤字に転落すれば、組合の中で、いろいろな事業や投資ができなくなります。
この影響は、結局は、組合所属の漁業者や職員たちに、降り注いできます。
したがって、ふ化場に限っては、各漁協が、協力し合って復活させたほうがいい。

あれ? 本当は、これが本題ではなかった。

本題は、道路網について。

みなさん(もちろん被災者である私も)の復興増税分2%(?)を支払っていて、そのおかげで被災地では、道路などさまざまなインフラ復旧が行われています(復興特別所得税)。
3.11では、沿岸と県央との道路も寸断されたため、盛岡と宮古を結ぶ横断道も建設されています(もしかして財源が違うかも)。

http://www.thr.mlit.go.jp/road/fukkou/(「国土交通省 東北整備局」)

せっかく、このような立派な道路が作られているのですから、これを基幹道路にして、それから、枝葉となる支線を作って、集落へと道路網を引っ張ったほうがいいと思います。

というのは、今回の大雨で、特に川沿いを通る国道106号が使えなくなったからです。
これからも、川沿いを通る道路は、川の増水で壊れる可能性が大きい。
当時の技術と予算では、川沿いを通したほうが比較的安価で簡単だったのでしょう。
今や、どんな場所にでも、道路を作ります。
復興道路を作っているのを見ていると、本当にそう思う。

少なくとも、現在作っている宮古盛岡横断道が完成すれば、旧道の106号は廃棄して、この横断道から集落へと枝線道路を引く。
きっと、この横断道は、洪水や浸水とはあまり関わりのないような設計でしょうから。

三陸縦貫道についても同じ。
部分開通のため、一応「無料供用中」としていますが、全線開通した場合、「無料」でなくなるのかは怪しい。
こんな田舎に、国道と平行して、特別な道路を引いてもらって、タダというのは良くありません。
もし、ずっと無料とするならば、同じような考えで、旧道になってしまう国道45号も廃棄し、縦貫道を中心とした枝線道路を再構築したほうがいい。
そのほうが、道路予算を効率的に使っている、といえるものです。

どっちみち、三陸は超過疎になるのがわかっているのだから、あきらめるところはあきらめたほうが、後の世代のためになると思います。
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2016年09月04日

河川堤防の高さ

再び、こんばんは。

しろがね温泉に浸かっていたら、また疑問が出てきました。
以前、津波防潮堤の高さを、学問的(科学的)に決定しているのではなく、政治的に決定しているのだ、というようなことを書きましたが、河川堤防もきっと、学問的に高さを決定しているわけではないでしょう。
1時間に80ミリから100ミリの雨量に、降雨面積を掛け、さらに、降雨時間を掛け算すれば、その河川流域の降水量が決定できます。
あとは、どれくらいの時間で本流にそれらが流れ着くかを考えれば、予想最大流量も決定できます。
そして、その最大流量を無事に海へを排出するのに、どれくらいの堤防の高さが必要なのか、ということが、計算できると思います。
今のコンピュータなら、そのシュミレーションはできるでしょう(春の雪解けシーズンは、難しいかもしれない)。

しかし、そういう計算結果というのがあるのかどうか。
もしかして、公表されないだけで、あるのかも知れない。
私の自宅のある沢は、実は、土石流の起きる可能性のある地域であることが、ネット上で公開されていました。
だから、予想最大流量などというのは、きっと計算されている。

安全な堤防の高さというのは、もっともっと高いはず。
しかし、堤防が十分に高くても、街の中に降った雨を河川に排水できなければ、住宅には浸水するのです。
結局、一番いい方法は、急がず、ゆっくりと、自分の都合に合わせて、高台移転する。
その間、不幸にも災害に遭ってしまったら、「しかたがない」とあきらめたほうがいい。

今の施策は、自然現象を制御するために、みんなの税金で、自然破壊をしているようなもの。
いつか、また天罰が下るかも。



それにしても、家を建ててから、土石流の可能性のある地域だと気付くなんて、何て間抜けなのか!
それとも、最近、防災マップを作ったのか?
でも、土石流の通り道である道路から離れているから、まあ、大丈夫かな。

要らないストレスは、病気の元。
気にしないことにしましょう。
posted by T.Sasaki at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昔の水産高校のボクシング部

再び、こんにちは。

昨夜、隣の船(釜石)の人と一杯やりましたが、昔の宮古水産高校のことを聞きました。
彼らの年は、60歳くらいです。
当時の水産高校ボクシング部の話が面白い。
今や、女子高と化している宮古水産高校ですが、その頃は、男子生徒は、喧嘩したくてうずうずしていとか。
喧嘩したくてなのか、それとも、しかたなく喧嘩したのか、本当のところ、わかりません。

水産高校の男子といえば、格闘技が代名詞のような学校だったので、柔道やボクシング、レスリングは、強かった(もちろん、昔の話)。
隣の船の人が水産高校に通っていた当時、今から40年以上前のことになりますが、高校総体でボクシング部が出場する場合、人数が足りなくて、いろいろな部の人が代表選手として出場したのだそうです。
それでも、岩手県内で簡単に決勝まで行ったそうです(決勝の相手は、いつも黒沢尻?とか)。
素人が出場しても、決勝まで簡単に行く、ということは、たぶん、他校でもボクシングがあまり普及しておらず、似たような人たちが出場したのかもしれません。
普段、殴りたくてしようがない水産高校の生徒が、「グローブをつけて殴れ」と言われれば、きっと喜んで殴った(笑)。
そういう勢いがあって、水産高校のボクシング部は強かった。
きっとこんな感じかな。

ちなみに、隣の船の船頭は、その元水高生(船頭の弟)を、短気だと評しています。
そういう性格の部分というのは、一生ものなんですね。
とにかく血気盛んだった水高生。
彼らに「殴れ」とは、間違っても言わないように(笑)。
posted by T.Sasaki at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

閉伊川の水はあふれていなかった

みなさん、こんにちは。
そして、ごめんなさい。
前回の「山本宮古市長は辞職すべき」にある「宮古市の閉伊川からは、かなりの水があふれたらしいこと」は、ただの噂でした。

沖を休んで2日に宮古へ行ってきましたが、まるで津波のみたいな泥が市内の道路を覆っていて、その回収作業で渋滞していました。

NTT前の泥.JPG

友人の話では、閉伊川があふれたのではなく、一瞬に豪雨が降ったため、排水が間に合わなかったらしい、とのこと。
市役所の1階は、腰まで水位が上がったとか。
もしかしたら、下水の水が、閉伊川から逆流してきたものもあるかもしれない。
建設中の水門工事のため、閉伊川の水がその場で滞ったため、余計に水位が上がり、市内の水はけが悪くなったのではないか、と意見する人もいます。
この点に関して、もし、水門が完成していれば、ほぼ水門は全開でしょうから、問題がないような気もしますが、各支柱の占める面積が、水流に影響するかもしれない。
しかし、この程度の計算は、専門家たちがやっているとは思います。

それにしても、あの大量の泥は、どこから来たものなのか、ちょっと不思議です。
私はてっきり、閉伊川があふれたための泥かと思った。
しかし、閉伊川はあふれていないのだから、あとは、下水を通じて逆流したか、あるいは、豪雨で山から一瞬に黒い山土が流れてきて堆積したか。

自宅に帰ったら、何と!前にある道路が、川になっていた!
沢の上流で、小規模の土石流が発生していて、道路一面を覆ったらしい。
私が行った時は、道路の土砂や流木は撤去されていましたが、下水には土砂がそのままあって、流水はしかなく道路を流れていたのだと思います。
市内幹線道路の復旧が終わってから、最後に復旧されるのかな。
そんな辺境の土地に、何と!山本市長が視察に来たとか。
ご苦労様です。

津波防潮堤、および、閉伊川水門に関することで、私は、やはり、これらの建設には賛成できません。
そもそも、人口が、2040年で今の半分になると予測されていますから、宮古市の住民は、十分に移転できます。
長い時間がかかりますが、それでもいいと思う。
そんなに頻繁に1000年に1回の津波が来るわけでもなかろうし。
もし、明日来るのであれば、水産業など維持できないし、“すぐに”来ない前提で、いろいろな事業を進めているのです。
この点には、誰も反論できないと思います。
だから、人口自然減を見込み、宮古市を出て行った人の高台の土地へ、順次、移転すればよい。

今回の洪水も、結局、河川堤防のかさ上げをしたところで、低地の家が浸水するのは確実なのだから、被災者たちは、次の一手を考えるべきです。
つまり、彼らも、より高台の土地へと移転する。
もちろん、すぐにではなく、例えば、代替わりする時とか、家を建て替える時とか。

したがって、復興ヒステリック(←と名づけました)の象徴である津波防潮堤の建設、および、かさ上げ、水門建設は要らなくなります。
長期的視点でいろいろな事業計画を立てることの重要性を、特に、津波震災や浸水被害は教えていると思います。

と、みなさん、感じませんか。

山本宮古市長は辞職すべき」で過激に書きましたが、閉伊川水門は、多数の市民が反対していたのにも関わらず、建設しています。
この点ですでに辞職ものです。
市民の選択を無視したくせに、水門建設による将来の影響や負担に対し、責任を負うことも彼は不可能だからです。

(「復興ヒステリック」は、「復興を早くせよ」と口癖のように唱えること。何でもせっかちに進めてうまくいくことはないと思う。復興事業もいろいろな点で無駄や不満が露見してきているから、嫌味をこめて、復興ヒステリックと名づけました)
posted by T.Sasaki at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする