日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2016年07月31日

しろがね温泉♪

みなさん、こんにちは。

ますます情勢の悪くなるいか釣り業界です。
八戸では、15カ統ぐらいの大型まき網船団が稼動していますが、1日の水揚げが、たったの40トンから50トンの水揚げ。
こんな漁ならば、まき網船団は、他所行って、いか以外の魚を獲ったほうがいい。

木曜日は休みましたが、その日の浜値は、高値が何と7000円。
たぶん、昼いか始まって以来の高値じゃないのかなあ?
翌日に出漁したら、ほぼ皆無状態で、たったの14個。
自分だけ悪いのではなく、八戸の平均も14個。
これなら、平均単価4000円くらいするのかなあ、と思ったら、2300円。
ガクッときてしまいました。

昨日は昨日で、10時までたったの2個。
宮古に帰って、船を繋ごうかと考えましたが、かすかな模様から、何とか70個を超えました。
三沢から久慈までの各港にいくらか揚がったにもかかわらず、平均単価も金曜日よりもいいみたいでした。
金曜日の値段は、たぶん、木曜日に高く買いすぎたため、損切りしたのだと思います。

今度乗ってくれている乗組員は、八戸地元の人で、私より年上にもかかわらず、元気で機敏で私より若く見えるくらいです。
漁がなくても、「食べるものはちゃんと食べよう」ということでは同意し、もらったお菓子や果物など、暇になれば、ブリッジに持ってきてくれます。
人間できている〜。

大不漁でストレスがたまる一方ですから、もうこうなったら、体も心も元気で過ごすしかない。

そこで、大好きな温泉!

しろがね温泉.JPG

私は、しろがね温泉という銭湯に行ってきます。
ちょっと遠いのですが、自転車で登り坂をこいでダイエットし、帰りは、涼しい風で下り坂。
写真にあるように、しろがね軟水泉と書かれてあり、浴場には、飲料水を汲むところもあります。
私のお目当ては、温泉の湯花の入った浴槽で、ここへ浸かって、体中にイオウの香りを浸み込ませてくるのです。
着ているシャツやパンツにイオウの香りが移り、その上着にまでも移ります。
漁をしている最中、調子が悪い時、この香りがすると、心が安らぎ、救われます。

ストレスは、病気の原因、老化の原因になりますから、好きなものを食べ、もちろん、好きなものも飲み、温泉気分を味わうのです。
もちろん、適度に。

八戸には、銭湯がたくさんあります。
数を調べたことはないのですが、人口一人あたりの銭湯数では、日本一かもしれません。
街のいたる所に、○○温泉とか○○湯という看板が目につきます。
私の叔母の見解では、昔は、風呂のある自宅が少なかったそうで、銭湯利用が日課であったらしい。
その名残から、現在、自宅に風呂があっても、銭湯に行くのが、八戸人の掟なのだとか。
開洋丸に乗っていった叔父は、「小さい風呂では、入った気がしない」という理由から、もちろん銭湯通い。

銭湯へは、いろいろな人に誘われます。
いつも行くのは、館鼻漁港の近くの双葉湯。
次が、ちょっと遠い、しろがね温泉。
この前、友達には、寿温泉に連れて行ってもらいました。
その他、極楽湯、野馬の湯、金吹沢温泉、柳湯、松竹湯、などなど(たくさん行き過ぎて、あとはもう忘れました)。

今日は、しろがね温泉に行って、イオウのお香を付けてくる予定です(笑)。
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2016年07月24日

すべては、自分に、跳ね返ってくる

みなさん、こんばんは。

さて、乗組員の件で、さっそくコメントいただきましたが、その他、電話やメッセンジャーなどで話をしていると、どこの船主さんたちも、若い乗組員には頭を抱えているようです。
薬物中毒だった乗組員のことを、すでに私ですら、3人ほど他の船主や船方から聞きました。
メールで突然「辞めます」と伝えながら、ちゃっかり、最後に自分の車に燃料を入れて、それを船主に置き土産をしていった人もいるとか(笑)。

それでも、船主さんたちは危機感を感じており、新人を育てようとチャレンジしています。
ところが、仕事をなかなか覚えない。
すぐに忘れる。
一人前になるための努力をせず、目を離せば、サボるか、遊ぶこと(スマホ?)を考えているらしい。
向上心があるのかどうかわからず、ただ給料をもらえればいいのだとか。
私の同年代の乗組員たちも、そんな若者たちにはあきれています。

こういうことを書いていると、あの漁運丸の船頭は、今風にいえば、「うざいやつ」とたぶん該当する人(笑)たちは思っている。
「うざいやつ」と思っているうちが花で、いつかは、自分に、あるいは、自分たちに跳ね返ってくるのです。
「時代が違う」「周りがそうだから」とはよく聞く言葉ですが、彼らの時代に、彼らのような人間だけになった時代を想像してみてほしい。
これは、何も海に限ったことではありません。
オカの職業も同じで、責任感の乏しい人たちだけで、いろいろな事業ができるのかどうか。
仕事を覚える気もない人間たちで、繰り返し同じ間違いを起こせば、仕事は進まない。

これは、社会福祉や社会保障の分野にも影響を及ぼします。
向上心がないということは、もちろん給料も上がるわけもなく、また、それに伴い、企業業績だって下がるでしょう。
その結果、税金も納める額は少なくなり、医療、年金など、最低限の社会保障すら破綻するかもしれない。
生活保護を狙っている人が多いとも聞きますが、生活保護の資金さえ捻出できなくなる。
よく考えてみてほしい。
最後は、その年代のすべて人が不幸になるのです。

私の年代も、「今の若者は・・・」とは、よく言われました。
これは、どの年代も言われてきたものだと思う。
しかし、今の若者の意識は、どの時代の若者ともレベルが違う。
いずれ、人工知能を有する機械に使われるか、外国人(漁業ではインドネシア人)に、日本人が使われる時代が来るでしょう。
オラ知らね。



ちょっと話は変わりますが、昨年、あるいか釣り船の船主が亡くなりました。
その数年前に息子さんも他界し、その船主さんと飲んだ時に、「息子は、そういう寿命だったんだ」と口にするものでした。
事後だったからだと思いますが、冷静であっけらかんとしており、「ずいぶんあきらめが早いなあ」と思ったのを記憶しています。
大阪大学を卒業し、一流企業に勤めたけれど、自分のやりたい仕事ができないため、あきらめて船に乗った優秀な息子さんです。
その船主さんは、「起こってしまったのは、しかたがないんだ」とも言っていた。

今の若者たちに、仕事ができないことを理由に怒れないらしい。
まるで腫れ物をさわるみたいに。
すぐに辞めてしまうし、引きこもってしまう。
最悪の場合、自殺もあるかもしれない。

よく社会が悪いから自殺が増えると言うものの、自殺というのは、自分の判断でするもの。
自分の能力の無さを痛感し、自分を嫌になって、自殺する。
こういう書き方をすると、冷たい、というかもしれない。
しかし、寝たきり老人を、家族が死に追いやったとか、心中したとか、そういう話が世の中にはあるのを考えると、私は、自殺自体、そんなに悪いものではないと思う。
子どものいない私が書くだから、説得力がないかもしれないが、何もやる気がない、ただ遊んでばかりいたい、という子どもを持つ親は不幸です。
しかし、そういうように育てた責任は、その子の親にあります。
だから、その子どもが仮に自殺したら、それは社会のせいではない。
こうなると、上述の船主さんのように、「起こってしまったのは、しかたがないんだ」という考えを持ったほうがいい。
やる気のない人間、遊んでばかりいたいという人間は、改心しないなら、あきらめるしかない。
いちいち手を差し伸べる必要もないかもしれない。

それから、もう一つ。
勝手にやめる、つまり、上述のメール一本で辞めてしまうというのは、どう考えても約束違反です。
理由も言わずに勝手にいなくなる、というこんな行為は、社会的に許されるはずもない。
ウソをつく人も同じで、それを信じた人にすれば、約束違反に等しい。
明治維新に騙されるな!」で引用した「明治維新という過ち」という本には、武士の家に関する記述が随所に見られます。
日本人は、昔から約束を守ることにおいて、非常に神経を使っていた。

盟約とは約束である。古臭いことをいうが、命と引き換えてでも約束を守ることは、武家の倫理観の基本中の基本である。盟約に加わったがために、二本松も仙台も相馬も、福島も、そして、会津、庄内も三春を同じ奥羽の仲間だと信じた。二本松兵、仙台兵などは、三春のために命を落とした。三春藩は、そういう奥羽の友藩をあからさまに裏切ったのである。幼い藩主に代わってこれを首謀したのは、家老の秋田主税。奥羽の恥さらしという人もいる。二本松藩などは、盟約を守る、その一点のみで城を枕に藩ごと討ち死にしあのである。金銭しか基準にしない平成人からすればバカであろうが、盟約、約束とは武家の精神文化を尊ぶ者にとってはそういうものである。
(「明治維新の過ち」p226)


これらの精神文化を育むのは、親の躾(しつけ)にあり、しかし、その躾をできない親が、モンスターペアレントとなってくる。
せめて、「約束は守る」とか、「ウソはつかない」とか、その程度のことは、躾けるべき。

あ〜、最後は、バカくさくなった。
社会に出たら、こんなもの最低限の常識!
信用されなくなったら、誰にも相手にされなくなる。
すべて、自分に跳ね返ってくる。
posted by T.Sasaki at 20:03| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

明治維新に騙されるな!

みなさん、こんにちは。

小雨にもかかわらず、八戸館鼻岸壁朝市は大盛況。
しかし、八戸前沖のするめいかは、相変わらずの大不漁。
先週は、100個獲ったのが2回で、あとはダメでした。
金曜日には、主力の40入れの小さいいかが安くなり、がっがりしましたが、昨日は少し戻しました。

そんな中、魚類資源の敵、まき網船団が八戸にやってきています。
おそらくは、今夜から操業。
明日からの昼いかは、ますます不安です。
まき網漁業は、どの魚種を獲ってもいいんだから、「大不漁なのに、今年もまき網はするめいかを獲るのか?」でも書いたように、資源の少ないするめいかを自粛したほうがいい

いか釣りの歌といえば、「下北漁港」ですよね。
下北半島には、たくさんのいか釣り船がいて、数ならば、現在日本一かもしれません。
日本一というからには、他の地域のいか釣り船も減ったことも、その要因の一つになります。
昔々、私が小さい頃、岩手にも何百隻ものいか釣り船があったと聞きます。

NHK大河ドラマで放送された「八重の桜」の主役であった会津の人々は、その下北半島へと流されました。
斗南藩を作らされ、そこで生き延びました。
私は、原田伊織さんの書いた「明治維新のという過ち」を読み、長州藩出身のならず者たちに対する反感を、再認識しました(「中央政府 vs. 東北辺境」も参照)。
下北の船を見かけると、きっと会津出身の血も混じっているのだろうなあ、と思ってしまいます。

それでは、この本でメッタ斬りにされている人物を紹介します。
まずは、坂本龍馬。
彼は、お隣中国をアヘンだらけにした勢力の手先。
ぜんぜんヒーローではない。
彼を信奉する武田鉄矢さんは、少し考えたほうがいい。
また、元大阪府知事の橋下徹氏は、船中八策を口にしていましたが、そんなものは幻かも?
引用します。

 『船中八策』になると、これはもう、いつ、どこで発案したものか、全く分からない。そもそも伝わるような形の原案がそのまま存在したのかどうかさえ疑わしい。
(「明治維新という過ち」p14)


そして、よく持ち上げられるのが、吉田松陰。
しかし、彼は、単なる過激なならず者。
再び引用。

 「勤皇志士」などという。
 勿論、長州テロリストの“自称”であり、学校教育などを通じて今日までにそれが定着したに過ぎない。史実というものを尊重するならば、勤皇志士=長州テロリストと直訳していただくと間違いはない。
(中略。凄惨な記述の連続)
 仲間内でハクをつけるための無差別殺人というのは、まるでヤクザの世界の話のようであるが、長州テロリストが行った多くの暗殺は、その残虐さにおいて後世のヤクザの比ではない。ハクをつけるためという許し難い暗殺には、実は伊藤博文も手を染めているという説すら存在する。
 彼らは、これらの行為を『天誅』と称した。天の裁きだというのである。これは、もともと「水戸学」の思想に由来する。そして、自分たちが天に代わってそれを行うのだという。もはや狂気と断じるしかない。刃物をもった何とやらほど危険な存在はない。桂小五郎も吉田松陰も高杉晋作も、土佐藩の武市半平太、熊本藩の宮部てい蔵(←辞書に漢字がない)も、水戸藩の金子勇次郎も、皆こういうテロ集団の主導メンバーである。中でも吉田松陰は、その煽動者であり、その義弟となる久坂玄瑞は、超過激テロリストとしか表現の仕様がない存在であった。
(前掲書p76)


この文章の中に、水戸学が出てきますが、これには水戸黄門こと水戸光圀が関わっていて、本の中では、水戸光圀もメッタ斬り。
「諸悪の根源」という表現すら使われています。
そして、過激テロリスト、吉田松陰の考えが、日本を第二次世界大戦へと導いたのではないか、とさえ、筆者は書いています。

 例えば、松蔭の外交思想というものは余り語られないが、実に稚拙なものであった。北海道を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有するべきだというのである。これを実行するのが、彼のいう「大和魂」なのである。一体、松蔭はどういう国学を、どういう兵学を勉強したのか。恐ろしいことは、長州・薩摩の世になったその後の日本が、長州閥の支配する帝国陸軍を中核勢力として、松蔭の主張をした通り朝鮮半島から満州を侵略し、カムチャッカから南方に至る広大なエリアに軍事進出して国家を滅ぼしたという、紛れもない事実を私たち日本人が体験したことである。
(前掲書p124)

長州テロリストたちは、天皇にも刃を向け、「イスラム国」に引けをとらない文化財の破壊もやりました。

 「禁門」とは「禁裏の御門」の略称であり、これは御所の一部である。このあたりでの戦闘がもっとも激しかったので、長州過激派のこの侵攻を『禁門の変』とも呼ぶが、この戦闘中に長州勢は御所内部に攻め入り、御所に発泡、砲撃も行った。我が国の歴史上、御所が本格的に攻撃された唯一の事例である。
(前掲書p111)


 誰もが学校の歴史の時間に習ったはずの、この「廃仏毀釈」とは、俗にいう「明治維新」の動乱の中で、明治元年に長州・薩摩を中心とする新政権の打ち出した思想政策によって惹き起こされた仏教施設への無差別な、また無分別な攻撃、破壊活動のことを指す。これによって、日本全国で奈良朝依頼の夥しい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、僧侶は激しい弾圧を受け、還俗を強制されたりした。ひと言でいえば、長州・薩摩という新権力による千年以上の永きにわたって創り上げられた固有の伝統文化の破壊活動である。現代のイスラム原理主義勢力・タリバーンや「イスラム国」を思えば分かり易いであろう。
(前掲書p20)


最悪は、世良修蔵という人間で、奥羽各藩が長州・薩摩軍という仮の政府軍に協力し、会津に攻めようか、和平しようか、躊躇している時、世良修蔵という長州のならず者が、仙台藩で暴れまわった。
それにキレた仙台藩士が世良を斬り、この時に、奥羽越列藩同盟が成立し、戊辰東北戦争が起きてしまった。
新潟から東北にかけて、政府軍と戦う破目になってしまったのです。

 「奥羽三関」という。勿来の関、念珠ヶ関、そして、白河の関のことであることは、中学の歴史の時間に教わった通りである。これらが設けられたのは、乱暴ないい方をするが、平安時代のことである。当時、東北の人々が蝦夷と呼ばれて、南方人から蔑視、敵視されていたことも周知の通りである。即ち、奥羽三関は、北に住む蝦夷の南下を食い止めるために設けられたものである。しかし、奥羽三関がその目的に照らして役割を果たしたことは、歴史上一度もなかった。正しくは、蝦夷と呼ばれた人びとが南へ攻め込んできたことはただの一度もなかったのである。奥羽三関が存在したから南下しなかったのではないことは、いうまでもない。
 歴史上の事実は、真逆である。攻め込むのは、常に南方人であった。世界遺産に登録された平泉を攻め、藤原氏の華麗な文化を滅亡させたのは源頼朝であった。豊臣秀吉は、小田原攻めの後、『奥州仕置き』と称して軍事力を以って奥州を己の勢力下に置き、これによって天下を掌中に収めるという野望ともいえる事業を完成させた。もっとも新しい南方人による東北侵略が、戊辰東北戦争である。
(前掲書p200)


今回の参議院選挙では、長州出身で日本の親分、安倍総理の自民党に、東北が反乱を起こしました。
たった一人しか自民党が議席をとらなかった。
きっとこの本をみんなが読んだのでしょう(笑)。
そんなわけで、福島原発をはじめ、東北地区は、今でも長州にいじめられている(と筆者は過激に書いているんですよ。この辺は、行き過ぎかもね)。

それにしても、長州のならず者のやることときたら、凄い!
同じ日本人とはいえない内容。
ちょっと長いですが、これを引いて終わりにします。

 明治元年(1868年)9月22日、鶴ヶ城開城。城下には戦死体が放置されていたが、西軍はこの埋葬を禁止した。これによって、死体が鳥獣に食い荒らされあり、風雨によって悲惨な状態となった。みかねたある庄屋がこれを埋葬したが、彼は明治政府民政局に捕縛され、投獄されている。この時、次は首を刎ねると脅されて釈放されたが、会津・飯森山にはこの庄屋の行為を顕彰する碑が残されている。多くの請願書が寄せられ、民政局が死体埋葬の許可を出したのは何と半年後のことであった。強く指摘しておくが、死体の埋葬を禁止したのは「民政局」である。
 また、終戦直後、西軍の兵は戦死した藩士の衣服を剥ぎ取り、男根を切り取ってそれを死体の口に咥えさせて興じたという。更には、少年たちの睾丸を抜くということもやった。何という暴虐か。これを行った西軍兵は、確実に武士階級ではなかったはずだ。心までもが下賤な人非人、外道というべきであろう。しかし、彼らは日本の近代を切り開いたとされている「官軍」の兵なのだ。
 死体の処理がまたむごい。大きな穴を掘って、筵や風呂桶に死体をぎゅうぎゅう詰めにし、まるでごみのように穴に投げ入れたという。これを、徴用した「賤民」(約七百名強)にやらせた。そして、この穴を「罪人塚」と呼び、あくまで埋葬とは区別したのである。更にむごいことに、この処理に敗れた会津藩士約二十名を立ち会わせたのである。
 「会津に処女なし」という言葉がある。会津の女性は、ことごとく長州奇兵隊を中心とした西軍のならず者に強姦されたということをいっている。
 前出の、会津戦争史を多面的に検証されている会津歴史研究会の井上昌威氏が『会津人群像二十六号』に「会津にある小梅塚」と題する一文を寄せておられる。氏は、膨大な文献を調査するだけでなく、会津各地に伝わる伝承、遺跡なども地道に調査し、会津戦争の実態を立体的に整理されている点で、その成果は高く評価されるべきものである。
 会津領内の女性が如何に残酷な被害を受けたかについては、この井上氏の検証結果を参考にさせていただく
 山縣有朋が連れ込んできた奇兵隊や人足たちのならず者集団は、山縣が新発田へ去っていたこともあって全く統制がとれておらず、余計にやりたい放題を繰り返す無秩序集団となっていた。女と金品を求めて村々を荒らし回ったのである。彼らは、徒党を組んで「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、強盗、婦女暴行を繰り返した。集団で女性を強姦、つまり輪姦して、時にはなぶり殺す。家族のみている前で娘を輪姦するということも平然と行い、家族が抵抗すると撃ち殺す。中には、八歳、十歳の女の子が陵辱されたという例が存在するという。高齢の女性も犠牲となり、事が済むと裸にして池に投げ捨てられたこともあった。要するに、奇兵隊の連中にとっては女性なら誰でも、何歳でもよかったのである。
 坂下、新鶴、高田、塩川周辺では、戦後、犯された約百人に及ぶ娘・子供のほとんどが妊娠していた。医者は可能な限り堕胎をしたが、それよって死亡した娘もいたという。月が満ちて生まれてきた赤子は、奇兵隊の誰の子かも分からない。村人たちは赤子を寺の脇に穴を掘って埋め、小さな塚を作って小石を載せて目印にしたのである。村人は、これを「小梅塚」とか「子塚」と呼んだ。乳が張ってきた娘や子供は、自分の「小梅塚」に乳を絞り与えて涙を流していたという。井上氏は、実際にこの被害に遭った八歳の女児の末裔の方にお会いして直接話を聞くなど、各地を回って伝承や記録を精査されて、奇兵隊の蛮行の一部を明らかにされたのである。
(前掲書p263)
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2016年07月17日

STAP細胞ができたらしい

再び、こんにちは。

以前、「美人は毒を盛る?」「美人は、毒を盛る? 2」で、超有名な小保方さんのことを書きましたが、何と!ドイツでSTAP細胞ができたとか。

STAP細胞が証明された !ドイツ研究チームがSTAP再現に成功!(「Share News Japan」)

久しぶりに覗いてみたFaceBookで、他の人がシェアしてあったのを読んで、ちょっと仰天し、私もシェア。
「STAP細胞」で検索してみると、最新の話題がいっぱい出てきます。
その中でも、これもまた、読んでみたほうがいいと思います。
アメリカ訴訟社会の輪郭がわかりますし、小保方さんの論文を肯定しているわけでもないし、まあ、いろいろとわかってきます。

小保方氏のSTAP細胞、やはり米国に横取りされた? ネットで大きな話題に!(「エキサイトニュース」)

話は飛びますが、「美人は毒を盛る?」シリーズで、リンクしてある藤沢数希さんについて。
昨年新潟の紀伊国屋書店で、彼の著作「反原発の不都合な真実」という本を衝動買いしてしまいました。
結果は、失敗。
ぜんぜん勉強にならなかったし、彼は私より勉強していないと思った。
著者名と題名に釣られて買った私も悪く、これから店頭で買う場合、目次などを見てから買うようにします。
反省。

この本の批判は、こちらでやっていました。

http://ameblo.jp/ohjing/entry-11551396435.html(「そのたびごとにただ一つ、世界のはじまり〜瀧本往人のブログ

しかし、それ以外は特に目新しい説を展開しているわけではない。」と指摘されているくらいだから、そんなものです。
少し知識のある人なら、買わないほうがいい。

ちょっと脱線しましたが、「美人は毒を盛る?」のアップデート、ということで、ごめんなさい。
posted by T.Sasaki at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

八戸館鼻岸壁朝市

みなさん、おはようございます。

休日の前の日に、一杯を張り切らないと、翌朝は5時ごろには目が覚め、ウロウロします。
雨が降る前に洗濯をしに行こうとしたら、やはり降ってきた。
今年は、ヤマセが強い年のようで、気温は過ごしやすい涼しい日が続きますが、雨模様。
予想を裏切り、八戸沖は現時点で、昨年より水温が1度低い。
帰ってきた時など、11度から12度と低く、沖では震えていたほど。
この低水温にヤマセが吹き込むのだから、北東北の太平洋側は涼しいわけです。

館鼻朝市.JPG

小雨の中、八戸のいか釣り船が係船している館鼻岸壁には、たくさんの人が訪れています。
八戸名物となった朝市で、始めた頃に比べると、とんでもない店舗数になりました。
噂では、ちゃんとした店舗を構えるよりも、朝市の簡易店舗のほうが売り上げが多いとか。
やはり集客能力がモノをいうのでしょう。
何しろ、広い館鼻の岸壁が、簡易店舗と車と人で埋まります。
挙句の果て、本来、駐車禁止のはずの道路がご覧の通り。

館鼻朝市2.JPG

八戸を盛り上げるため、景気を良くするため、警察も特別措置を施しているのだと思います。
超法規的措置というのは、人間的です。
みんな機械じゃないんだから、これでいい。

朝市自体、何も異論はないのだけれど、店によっては、それほど安いわけでもなく、この辺はいずれ淘汰されます。
私があまり買いたくない理由は、領収書の発行を渋ること。
この2点、地元の知り合いも同意します。
きっと、私たち以外のサラリーマンや旅人には、人気があるのもしれません。

そんな中、あまり買わない私でも、この店には立ち寄ります。
繁盛しているみたいで、必ず客が並んでいます。

焼き小籠包.JPG

十和田から来ているのかなあ。
焼き小ロン包をその場で作って売っている店で、非常にジューシー。
1個100円というのは、おかずとすればちょっと高い(酒のつまみなら高くない)と思うけど、食べて満足!
並ぶ理由がわかる気がします。

以上、館鼻朝市は、毎週、盛況です。
posted by T.Sasaki at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月15日

開洋丸の見送り

再び。

去る7月6日に、日本で最後の残った大型いか釣り船、開洋丸が出港しました。

開洋丸2016.JPG

ロシア海域です。
その前航海は、ニュージーランド沖でマツイカを獲ってきましたが、これが大漁で、すべてのイカ類が品薄なため、高値で売れたそうです。

昨年もたまたま、出港時に八戸にいたので、昨年も見送りしました。

開洋丸2015.jpg

私の義理のおじさんが乗っていて、今まで見送ったこともなかったから、昨年など、一生に一度の見送りかなと思っていたら、今年も見送りました。
そのおじさんも、今回の私の顛末に憤慨し、「開洋丸に乗っているインドネシア人を3人やりたいくらいだよ。許されるなら」「インドネシア人は、モノが余ってしようがない日本人と比べれば、ハングリー精神が違う」

ちなみに、小型船でインドネシア人を雇うよう導入している漁協は、石川県の門前(朝ドラのロケ地にもなったらしい)と青森県の小泊。

もう日本人は、ダメかしら。
posted by T.Sasaki at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2年続けて乗組員がいなくなった(笑)

再び、こんにちは。

実は、私、乗組員に逃げられました。
八戸に帰ってきて、初日に水揚げをした日です。
次の日の操業は、天気予報が悪く、「朝3時に起きてから決定する」と乗組員に告げ、彼がコンビニに行ってくるというから、ついでに、昼に食べるおにぎりでも買ってくるよう頼みました。
作ったするめいかの刺身とおかずにラップをかけて残しておきました。
彼は、ご飯も食べずにコンビニに行った。

翌朝、長久丸で休みにしたので、私も休むと決め、乗組員に告げるため、船員室に行きました。
が、照明は点きっぱなしで、刺身やおかずもそのまま。
居ない。

「あれ?飲みにでも行って帰ってきていないのかな?それとも海に落ちたのかな?」

携帯に電話したら、電話に出ない。
でも、着信音が鳴ったので、海に落ちていないのはわかりました。
「遊んでいるのかな」と思い、再び、床に就きました。
朝6時頃起きて、気象をダウンロードしていたら、携帯が鳴り、相手はその乗組員。
早速電話に出て、「おはよう。どこにいだ〜や?」と聞いたら、相手が何かを変なことを言って、ガチャン。
それから、折り返し電話したけれど、出なかった。
後に、携帯の電源も切れっぱなし。

この時が金曜日で、土曜日はもっと天候悪く、日曜日は休みだから、3連休。
これを見越して、遊びに行ったのかなあ、と思い、友達に相談したら、「遊びに行ってオカに泊まってくる乗組員もいるよ」「きっと日曜日か月曜日の朝には来るよ」と楽観的。

土曜日には、いか釣り機械屋さんが来て、昼に食堂に入ったら、居なくなった乗組員らしき人がその食堂にいたらしい。
そこの主人と意気投合して、イカを持っていく約束をしたとか。
その翌日の日曜日には、奇妙なことが起きました。
乗組員の洗濯物が、船に投げ込まれていた。
手紙を添えられていて。
内容がまた意味不明で、領収書付き。
何だか、トラブルに見舞われた感じ。
しかたがないので、その洗濯物を干して、畳んで船員室に置いておいた。
乗組員の住居に電話したら、連絡が取れないとのこと。

結局、月曜日の出港時間になっても来ないので、あきらめて一人操業。
なぜか、畳んでおいた上着が一枚なくなっていて、パンや牛乳などが買って置いてあった。
このことから、彼はまだ八戸にいるのがわかります。
帰港してから、乗組員がいなくなったいきさつなどを、一応警察へ出向いて説明。
そうでないと、奇妙な洗濯物や手紙から、最悪の場合、事件に巻き込まれるがあるかもしれない。

ということで、その日から1週間、一人操業でした。
時化になったら、休もうと思ったのですが、その週に限って、良い天候が続き、最初の3日は、体力に余裕なし。
ブリッジからデッキへ、上がったり下がったり。
腰は痛くなるわ、疲れるわで、帰ってくれば、一杯やって、キューパタン。
でも、その後、後半3日は体が慣れてきて、元気になりました。
一杯で終わったのが二杯飲めるようになった(笑)。
まだ若いみたい(笑)

市場に水揚げする時には、かわいそうだというので、「船頭は休んでいないさい。水揚げは市場でやるから」とうれしいことを言ってくれました。
でも、そんなことで休むわけにはいきません。
みんなが水揚げ待ちをしているんですから。

今は、おじさんがお手伝いに来ていますが、年なのでいつまで持つか不安。
でも、乗組員がいない場合、八戸の友達が手伝ってくれる、というので、非常に心強い。

実は、昨年も同じように、7月末で、八戸から荷物ごといなくなった乗組員がいました。
でも、この時は、もう一人の乗組員がいたので、二人で操業できたから、まだマシだった。
荷物も送る手間も省けたし。
今回は、荷物が残ったままで、仲間の船の中には、「そんなもの、海に捨ててしまえ」と乱暴なことを言う人もいます。
次の日曜日に、この荷物を送るため、彼の住居に再び電話したら、あれまあ、本人がいるではありませんか。
いなくなった理由は、海に落ちて、あちこち打撲したから。
「海に落ちたら、落ちた、と、なぜ船頭に言わないんだ?普通は言うはずだよ」と問い詰めたら、無言。
無言だと会話にもならないから、あとは、もう乗らないことを確認し、荷物を送る旨を伝えて、電話を切りました。

辞めるなら辞める、と伝えないで、居なくなるのは、社会人として失格。
彼の場合、このブログを読んでいて、なおかつ、私がハローワークで求人したから、それで電話してきました(と簡単に書きましたが、これ以前の事情も複雑です)。
それなりに覚悟があったはずなのに。
こんなに暇で楽なことは、今までなかったのに。

とにかく、今や、乗組員確保が、どこの漁船も最重要課題なのです。

さきほど書いた、手伝ってくれるという八戸の友達は、「乗れる船があるということは、乗組員にとって、もっと重要なことだよ。頑張って船をやってくれ」と励ましてくれました。
彼には、ウソを見破る能力が、私の倍ぐらいあります。
非常に助けられました。
私は、人の話を信じることにしているのですが、もう、人間不信、いや、若者不信かな、そうなりつつあります。

そんなわけで、あちこちの八戸人がいろいろと情けをかけてくれました。
氷詰めを手伝ってくれる人もいたし、おかずを持ってきてくれる人もいる。
日本酒を持ってきてくれた友達もいた(笑)。
そして、やっぱり、話をしてくれる人が一番いい。

その中でも、いか釣り機メーカーであるサンメイの職員の話には、びっくりしました。
こういう会社の求人ですら、募集しても、従業員確保に苦慮するんだそうです。
今の若者の条件は、土曜日も休日であることが重要だとか。

「え?初めて就職したら、休みを要求する前に、仕事を覚えるのが先じゃないの?」「そんなもの、一人前になってからの話じゃないの?」と私が言ったら、「今は、そうじゃないらしいんですよ」との回答。

日本は、末期的だ。
posted by T.Sasaki at 11:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大不漁なのに、今年もまき網はするめいかを獲るのか?

みなさん、こんにちは。

八戸の昼いかは、天候悪く連休です。
相変わらず大不漁の様相。

ここでは書いてなかったのですが、新潟沖も粟島近海に漁場が限定されつつあり、混むのを嫌い、先月17日には深浦に行きました。
初日こそ、118個獲ったのですが、あとは二桁で、ついに13個と今季最低の水揚げとなり、23日には八戸前沖の昼いか。
来た日は時化模様だったこともあり、広い八戸沖に、地元の長久丸と私の2隻のみ。
ようやく32個獲って帰港。
広い館鼻の岸壁に、外来船は、ぽつんと私1隻のみ。
漁がないところに船はいない。

その翌日もダメで44個。
その次の日に漁が出て、110個。
これで次々と仲間の船に模様を出し、岩手の船が館鼻の港を占領した(笑)。

でも、ホント、大不漁です。
あと1週間ほどで八戸に1ヶ月いることになりますが、100個獲った日はたったの3日のみ。
最低は、たったの7個。

ところが、こんな大不漁なのに、八戸に船が集結しています。
日本海も漁が薄いから。
一時、秋田沖や奥尻近海で大漁だったのに、ここにきて一気にしぼみ、同じ箱数を獲るなら、燃料代のかからない昼いか狙い。
すでに、八戸沖には、100隻以上の船が操業しているかもしれません(八戸入港船で50隻ぐらいはいるし、三沢には、もっといると思う)。
こうなると、お互い分け合って終わり。

各漁業の天敵である、まき網漁船が、24日あたりから八戸に来るとか。
こういう時こそ、まき網には、するめいかを禁漁させたほうがいい。
水産庁は、指導力を発揮すべきです。
posted by T.Sasaki at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする