日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2016年04月15日

私の夢

みなさん、今度こそ、こんばんは。

熊本県を中心とした大地震には、びっくりしました。
日本の国というのは、災害列島である、という現実を受け入れて生活していかなければならない、ということを改めて実感させられました。

最近、私は、災害で失った本、それも竹内久美子さんの訳書シリーズを読んでいます。
この一部を、本好きの人に貸してあったのですが、「返してほしい」と頼んでも、一向にその兆しがないので、amazonの中古本を仕入れました。
よって、もし、貸した人がこれを読んでいたならば、返さなくてもよし。
もう相手にしなくてもよし(たぶん、相手はそうであると、私は解釈するしかない)。

その訳書シリーズの中に、「シンデレラがいじめられるほんとうの理由」というのがあります。
これがまた、読む人によっては、感情的になってしまうと、まず読めない代物。
私みたいなクール?な人間なら、まず大丈夫。
中身は、継母が継子をいじめる可能性は少なくなく、これはしかたがないのである、というもの。
著者は、マーティンン・デイリー、マーゴ・ウィルソン。

この論文にさかのぼって、ロバート・トリヴァースという人が、「親の投資」という言葉を定義しています。
これについて、ちょっと引きます。

彼は1972年に発表された、後に非常に影響力を持つことになった論文のなかで、「親の投資」というものを定義しているが、それは子どもの将来の適応度(適応度とは簡単に言えば、生存と繁殖の可能性)を増加させるためにする親がする努力や与える資源のすべて、である。
(「シンデレラがいじめられるほんとうの理由」p31)


著者は、この定義を使い、次のように書いています。

そもそも親は、既にいる子どもの間で、あるいは今いる子どもと将来に生まれるであろう子どもとの間で、自分たちの投資をどう配分するのがベストであるかという問題に直面している。トリヴァースが示したこの問題の答えは、それぞれの子どもの立場からの配分と親の立場からのそれとでは、一貫してずれがあるということである。このような理論的発展は研究者を大いに刺激し、親の投資とその配分を測ろうとする研究が行われるようになった。そして当然導き出された考えは、子どもが本当にその親の子どもかどうかを示す手掛かりによって、つまりその本当らしさの程度に応じ、親が差をつけて投資を分配するだろうというものである。もし、投資の受け手が自分の子どもではないことを示す、何か進化的に信頼できる手掛かりがあれば、親の心理としては皆に等しく投資するのをやめる方向に進化してきたはずだ。実際、両親が子育てをする動物で、子どもがまだ一人前になる前に片親が死んだりいなくなったりして後から継親がくるとする。すると、そういう現象がはっきり起こるのである。
(前掲書p32)


人間以外の動物では、子殺しというのは、よくあることです。
と書くと、びっくりする人がいるかな。
でも、こんなもの、ダーウィンを知っている人なら、ほぼ常識です(これに関しては、「ハヌマンラングール」で検索すれば、他の動物に関しても出てくるはず)。
ナチュラル・セレクション(自然選択、自然淘汰)の世界は厳しい。
しかし、ナチュラル・セレクションがあったからこそ、人間も進化し、生き残ってきた。

人間の場合も子殺しが多く、読みたくない人がいるとは思いますが、実の親子の場合よりも、継親と継子の関係では、前者の数倍から数十倍多くなっています。
死に至らしめる子どもの年齢も、後者のほうが若く、しかもその方法もひどいやり方であり、嫌悪感が感じられるといいます。
これからもわかるとおり、実子と継子の両方に、同じ感情で接する、というのは、データ的に無理がある。

と書いてしまうと、みなさんから、反感を買うでしょう。
実際、この著者両名は、世界中から攻撃されているらしい。

ここでちょっと休憩し、本の巻末にある竹内久美子流の噛み砕いた文章を紹介します。
彼女は、要約を書く天才です。

慎重に論を進め、誤解を最小限に押さえようとしているデイリー&ウィルソンには悪いが、本書の内容をかなり端折って紹介すると、何しろ、

 継子に対して、実の子と同じように愛情を注げと言われても無理である。実の親が実の子を虐待する傾向よりも、継親が継子を虐待する傾向の方が高いのも当然である。しかしそれでもたいていの場合、継親は継子を虐待するまでには至らない。それは人間の場合にはそうしてみても意味がないからである。世間の評判というものがあったりするからである。そして継父の場合には、何より妻が「私の子にそんなひどいことをするなんて・・・。あんたの子なんか絶対、産んでやらないからね!」と機嫌を損ねるのを恐れるからである・・・。

「恐ろしい考え・・・。よくまあそこまで人間を悪く捉えられるものだわね。そうだ、あなた方の心には悪魔がすみついているのよ!」
 あるいは、
「私は継子も育てているけど、一度だって実の子と愛情のかけ方を差別したことなんてありません!他の継子のいる家庭を見たって皆さんおんなじです!」
 といったところか。
 念のために言うと、デイリー&ウィルソンの主張する、継子には実の子ほどには愛情をかけられないというのは、あくまでもそういう傾向があるということ。絶対にそうだという意味ではないのである。
(前掲書p104)


学問で積み重ねたデータから読み取れる結論を、「人間的でない」と一蹴し、否定してしまうことほど不幸なことはありません。
「シンデレラがいじめられるほんとうの理由」のp86から、「我々にできることは何か?」という章が書かれてあり、現実にある継親継子間の虐待を認めない場合、その継子たちを保護することすらできなくなる、と危惧しています。
また、虐待をする前段階の親の悩みに関しても、次のように記述しています。

もし継親が悩んでいるアンヴァレントな感情や苦しみというものが、実は誰にでも現れるものなのだとわかったら、もし自分の連れ子を新しい配偶者が世話することを義務とはせずに相手に感謝の気持ちを持つようにした方がよいとアドヴァイスされたらなら、その方がよほど気持ちが救われるのではないだろうか。実際に成果を挙げている家族関係のセラピストはこういう現実を直感的に理解しているのだ。原則に則った理解だけがうまくいくのである。
(前掲書p92)




なぜ、こんなことを、私が書こうとするのか!
あ〜、自分には、そんなことなど、縁のかけらもない。

いや、ところがそうではない。
誰もが、ナチュラル・セレクションの対象なのだ!

私のやっている、漁業に関する記述は、非常に気前が良すぎる、と思いませんか。
しかし、何のことはない、自分に「親の投資」をするだけの子どもがいないから(この投稿で、上述の必要とするところは、「親の投資」の引用だけ。でも、本の結論まで書かないと、著者の名誉にかかわってしまうし、みなさんもきっと知りたい)。
以前、つまり、津波前にこの本を読んだ時は、それほどの自覚はなかった。
しかし、時間が経った今、それを自覚してしまった。
もし、自分がまともな「人間」であって、すなわち、ちゃんと細君がいて子どもがいたら、こんなことは書いていないのではないか、と思っています。

でも、どうかな?

というのも、漁業で成功する本質というのは(たぶん、漁業だけではないと思う)、誰よりも自分の頭脳や体力を使う努力をすること、だと思うから。
自分の子どもにそういう資質があるかどうかは、別問題。
ここ「漁師のつぶやき」で、漁に関することを書いたからといって、それを鵜呑みにして成功できるわけがない。

私が漁という事業をするのに、最適ではないかなあ、と意見をするのは、ほんの信頼できる人間だけであり、その数は、日本全国合わせても、両手に足りない。
その程度。
ここには、そんな有益なことは書いていません(とはっきり書いておきます)。

戻って、ナチュラル・セレクションの話。

私が、そういうふうに教える、または、相談する相手を選んでいるのには、理由があります。
そう、ナチュラル・セレクション。
自然淘汰、自然選択というのは、個体が生き残るために獲得した遺伝的形質。
誰にでも、生き残るすべを教えるほど、世の中は甘くない。
男にしろ、女にしろ、人口が増えれば増えるほど、自分の生き残りに知恵を絞る(正しくは、自分の生き残りというよりは、自分の子孫の生き残りか)。

現在、岩手沖の漁業環境は非常に厳しい、というのは、岩手県水産技術センターがいちいち指摘するまでもない状況です。
そんな中で、私が知らない人間に対し、仲良くもない人間に対し、全部、教える?
そんなことは、決してない。
鮭にしろ、いか釣りにしろ、本当のところは、教えるはずがない。

もちろん、上には上がいて、私よりたくさん獲る船はいる。
その人たちは、もっと厳しい。
誰もが、確実なものは教えない。
ヒントは教えても。
教えれば、それは、ナチュラル・セレクションに反すること。
そういうわけで、ナチュラル・セレクションに関する本を読んで、自分のやっていることを自覚した次第です。

私は、話をしてみて、素直な人間であると思わない限り、打ち解けて話をするつもりはない。
岩手県沿岸漁業漁船組合の各部会会合に出席し、地区の都合による戦略的な話に付き合わせられて以来、素直な自分の人間性から、他人に疑いを持ち始めている。
だから、基本的に、自分にだけ有利になるような戦略的な話をする人間に対しては、特に、信用しない。

相手を陥れようとする魂胆を、相手に見せつけることで、相手の性格そのものを変えてしまう。
極端になれば、そういう事例ができあがってしまうことを、ここを読んでいる人は、自覚してほしい。

というわけで、信頼できる仲間と情報交換することは、特に、私以外の後継者がある船主さんたちには、大きな利益となり、ひいては、自分の子どもたちに、親のあらゆる資源を残すことができるのです。
だから、信頼できる仲間を大切にすることは、ナチュラル・セレクション、すなわち、淘汰の波をかいくぐる手段なのです。

今回のブログの題名は、「私が漁業に関する技術を公開する理由」だったのですが、中身は、「シンデレラがいじめられるほんとうの理由」の読書感想文みたいになってしまった。
ところが、・・・。
ところが、途中で、その題名は、「私の夢」になった。

以前、漁運丸は、9.7トン型漁船2隻でやっていたのは、まあ、ずっと読んでいた人、あるいは、岩手の小型漁船に詳しい方は知っていると思います。
これは、モロに血縁関係に依存するもので、それこそ、ナチュラル・セレクションの産物。
私はこれを、再びやるのが、夢。

「もう1隻9.7トン型か、それよりも小さい船をやって、若いやる気のある人にいか釣りのやり方を教え、相手が自分より水揚げが少なかったら、私が威張る、という構図を描いてみたい。オレは、性格悪いから」と、仲間には言いふらしている。

これが、私の夢。

何となく、個体淘汰、特に、自分の遺伝子を一番、とする、ナチュラル・セレクションに反するように感じられるかもしれません。
しかし、私なりの解釈は、こういうこと。

ナチュラル・セレクションに耐えられる遺伝子、というのは、そういうもの(血縁関係による個体)だけではない、のではないか。

やっぱり、才能のある遺伝子が、生き残るのではないか。

だから、自分のもつ遺伝子は、大していいものではないらしいから(これには、異性の判断が重要であり、その判断に自分は適わなかったということ)、あとは、自分以外の遺伝子に、漁業をやっていく才能を託すしかない。

ということで、ナチュラル・セレクションをもとに厳しく指摘している「シンデレラがいじめられるほんとうの理由」を酒のつまみして、今のところ、経済的にもできそうにない「私の夢」を書いてしまいました。

ちょっと、考えすぎかな。
posted by T.Sasaki at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プラスチックゴミを魚が食べる

続いて、またゴミの話。

プラスチックゴミを魚が食べて、海の生態系に影響を及ぼしかねない、というのを、またまたNHKでやっていました(これもちょっと前のこと)。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3725_all.html(「NHK クローズアップ現代」)

重茂漁協のある船主さん(はっきり言えば、共恵丸)が、「ゴミを海に捨てるな!」と私に言ってから、10年くらい経ちます(そんなに経ってないかも?)。
それから、彼の言うことを真に受け、今に至りますが、これまでには、いろいろな話がありました。

浮遊するゴミに、秋刀魚が産卵していたりします(たとえば、日本海でパラシュートアンカーを入れていると、秋刀魚がそのロープに産卵しているのです!)
だから、ある程度のゴミも必要なのかなあ、と考えたりしたこともありました。
中には、「海にゴミを捨てないなんて、漁師じゃないみたいだなあ」と同業者から笑われたこともあります(本当ですよ。しかも、他県の秋刀魚船など、宮古魚市場前の海に、目立つくらいゴミを捨てていたりした!)。

ところが、ここにきて、マイクロプラスティックの問題が知られ、彼(正確には、重茂漁協の人たち)は、正しかった。

やっぱり、前回書いたように、自然に分解できる物質は海に捨ててもいいが、空き缶やびん、紙類、プラスチック類は、オカのゴミ箱へ捨てるべき。
特に、プラスチック類!

と言っても、なかなか誰も実行しないでしょうね。
知らない人のほうが、ほぼ9割方だと思うし。

早く、生分解性プラスチックができればいいですね。

調べてみると、マイクロプラスチック同様、マイクロビーズが意外にもたくさん使われているんですね。

http://www.mynewsjapan.com/reports/2060(「My News Japan」)

日本メーカーさん、何とかしてください。
posted by T.Sasaki at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海をきれいにしすぎてもダメ?

みなさん、こんにちは。

今日は、昼間から、パソコンとにらめっこしています。

意外にも、海をきれいにしすぎると、魚がいなくなるそうです。
昨年だったか、朝のNHKでやっていました。
瀬戸内海に魚がいなくなったのは、あまりに海をきれいにしすぎたせいだとか。
主たる原因は、基本的な栄養素である窒素が不足したから。
検索してみたら、ありました。
やっぱ、NHKでした。

http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/10/1025.html(「おはよう日本」)

でも、NHKで取り上げる前にも、TBSラジオでもやっていたんですね。

http://www.tbsradio.jp/stand-by/2012/09/post_4946.html(「森本毅郎 スタンバイ!」)

ちゃんとした論文もありました。

https://www.fra.affrc.go.jp/bulletin/fish_tech/7-1/070105.pdf(「国立研究開発法人 水産研究・教育機構」)

「海を適度に汚せ」というブログも!

http://sitakisou.blog.fc2.com/blog-entry-858.html(「雑想庵の破れた障子」)

昨年の岩手沖では、するめいかの夏漁がほとんど絶滅状態でした。
これは海況の変化が原因でしょうから、しかたないにしても、ここ10年くらい、オカ寄りにぜんぜん入ってきません。
陸上からの養分が足りなくて、植物プランクトン、ひいては、動物プランクトンが少なくなっているのかも?
一応、「森は海の恋人」というフレーズで、植林などの事業を行っていますが、それが反映されているのかどうか。
私は、途中のダムや砂防ダム(正確には砂防堰堤と言うらしい)が、せっかくの森の栄養分をさえぎっているのではないか、と疑っています。
やっぱり、雨が降ったら、山の養分が土砂と一緒に流れてくるくらいでないと、きっと海は豊かにならない。
砂防堰堤は、土砂災害を防ぐために作られたもの。
皮肉にも、地域社会に対する防災が、地域の産業を台無しにしている可能性があります。

これに対し、積極的に土砂を放出するダムが、排砂ダム。
近年の海洋侵食の土砂を補いながら、ついでに山の養分も海へ、というプロジェクト。
で、調べてみると、びっくりぽん!

排砂ダムで、漁業者が電力会社を訴えた裁判があるとか。

黒部川排砂ダム被害訴訟ネットワーク

これって、「逆じゃないの?」と思ってしまいました。
有害物質を貯めて流しているわけではないのに。



私は、漁船の上では、食べ物のかすを、海へ捨てています。
海上保安署の職員が見れば、逮捕するかもしれません。
もちろん、おしっこやうんこも、海へやっています。
でも、これって、貴重な魚の栄養源なのです(笑)。

海に捨ててダメなのは、海の中で分解できないもの。
例えば、プラスチック類など。
空き缶やびん、紙類、プラスチック類は、オカのゴミ箱へ捨てましょう。
posted by T.Sasaki at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

刺網がよくて、かごがダメな理由を知りたい

再び、こんばんは。

例の「鮭を刺網で獲らせろ!」という裁判を起こした漁民組合が、勝つのではないか、という噂を聞きました。
もちろん私は蚊帳の外でして、世の中、変わったものだなあ、と思っています。
他の魚種で、「獲らせろ!」というのはわかりますが、漁協がふ化放流事業をやっているものを、まるで「漁協が悪い。岩手県が悪い」という勢いで、「獲らせろ!」ですから。

たぶん、私は、きっと袋叩きになりますね。

「あいつには、刺網の許可を与えるな」

でしょうね。
でも、私は、要りません。
延縄で鮭を獲りますから。

ところで、先日の「毛がに資源は、あまりよくない」にある「資源管理型漁業かご漁業者協議会」の席上で、漁民組合のある組合員の方が、「かごで毛がにを獲れるのは、南ばっかりだ。公平性を保つために、北でも獲れるようにすべきではないか」と、ありがたいご発言。
そうなのです。
宮古沖までは、何とか、かごで毛がにを獲ることができますが、これより北では、ほんの少し獲れる程度。
北部ほど、海区設定が陸寄りになっているからです。
岩手県としては、本当のところ、沖よりに是正したい。
ところが、この是正には、大臣許可の沖合底曳網漁業との合意が必要らしい。
実際には、同じく毛がにを獲ってもいい刺網は、かごの制限ラインよりずっと沖出しして操業しています。
だから、沖底船は、その外側ばっかり、海底を荒らしながら操業している。
「なぜ、刺網がよくて、かごがダメなのか?」と私が問うたところ、大臣許可との話し合いがうまくいかない、ということらしい。

どんなに頑張っても、沖底船では、かごのように、毛がにを獲ることはできません。
だから、沖底船の水揚げで、毛がに祭りなど絶対できない。
この時期の旬の味、毛がにを消費者に届けたいという気持ちがあるのならば、1月から3月までは、かごの沖出しをせめて水深180mくらいまでできるように、北のほうまで海区設定をすべきです。

これは、毛がにを獲るという、ちゃんとした目的のある漁業です。
一方の沖合底曳網漁業は、何を獲ってもよい漁業。
特定の魚を獲るという目的がない。
比較したら、どっちに軍配があがるかは、一目瞭然!
毛がに漁に関しては、かご漁業側に理がある。

裁判の流行る気配がありますが、こんなもの、理論だけで大臣許可を打ちのめすことができるはず。
でも、同じ裁判するならば、「鮭を刺網で獲らせろ!」というより、こっちのほうが、ずっと勝てると私は思います。

(何で、小型漁船が、漁協や岩手県をいじめるの?小型漁船は、漁協や県を味方にして、大臣許可をやっつけるのが本筋じゃないの、と言いたくなります。資源枯渇の原因は、大臣許可にあるんだから)
posted by T.Sasaki at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やるべきことは、人材育成

みなさん、こんばんは。

今日は雨でしたが、いか釣りの準備もしなければならないので、昨日から船の板子やその下を洗っています。
乗っている乗組員は、もうすぐ70歳ということで休ませて、一人寂しく。
午後1時くらいまでかかり、その後昼飯を食べて、あとは、寒いので、読書していました。
以前「地方消滅」という本に関し、何度か書きましたが、その続編的な「地方創生ビジネスの教科書」も買い置きしておいたので、それを。

第1章は、ある天才が山形県鶴岡市にやってきて、世界最先端のハイテク素材を開発した、というものですが、そんな天才が地方に来て、事業をやるというのは、非常に特異というしかありません。
第6章まで読んで、「あ〜あ、買わなければよかったかなあ」とがっかり。
というのも、「どこよりも早く商品開発する」「どこよりも早くセールスする」というケースが多く、これだと、どこかがその地域の事業に追いつけば、その商品はあふれてしまう。
結局は地方同士の競争となり、何も目新しいものではありません。

ところが、第7章の岡山県西粟倉村は、別モノ。
ここは、ファンドを作り、それから人材作りが始まった。
「共有の森ファンド」というのが創設され、一口5万円の出資を全国から募りました。
400人以上から、4000万円の出資金が集まり、その使い方が、出資者の心をくすぐります。
少し引用します。

ファンドで調達した資金は、森林管理に係る生産性の向上と施業費用を低減する高性能林業機械の購入費用などに充てられたが、投資家に限定した西粟倉村ツアーや、地域産品の優待販売を行って、地域ファンを増やすことも大きな目的の一つだった。森林事業のための資金は、過疎債などを利用して役場が捻出することもできたが、それではコミュニティとして成長していかない。ファンづくり、お客様づくりを通じて、村と消費者の開かれた関係をつくるには、ファンドで資金を集めることが重要だった、と牧さんは語る。
「ただ応援しますよ、ではなく、多少なりともリスクをとって関わっていただく。お金を出してくれる人は熱心に応援して下さり、一口5万円という金額は少し勇気を振り絞って出す金額ですが、結果として良質なお客さんが集まることになります」
(「地方創生ビジネスの教科書」p129)


少し戻って、第6章。
和歌山県北山村。
人口460人の村で、「じゃばら」というみかんの販売で成功を収めています。
奥田村長の発言こそ、弱小自治体の今後のあり方を語っています。

「過疎化、少子化と悩んでも現実は仕方ない。この地域を守っていくなら、過疎でもない過密でもない、ここに見合った過疎だと思って、村民みんなで頑張ったらいいと思っています。いきなり人口が倍になったら、村のいろいろな整備がおいつかず、かえって大変な状況になる。しかし、高齢化が進んでいくので、せめて若者と子どもを増やしていき、今の460人が600人ぐらいになるのがちょうどいい」
(前掲書p118)


少ない人口でどうやってやっていくのか、ということを真剣に考え、高望みしないこと。
現在の宮古市は、「復興」という言葉を叫び、将来の人口減を勘案しないで、インフラ整備ばっかりやっています。
その維持費用は、誰が払うのか?
アメリカ共和党の大統領候補トランプいわく「メキシコに払わせろ!」のように、「東京に払わせろ!」が本音でしょう。
そんなことより、人材育成というソフト面にカネを使ったほうがいい。
軟弱なスマホ中毒の若者たちを、打たれ強い若者に変える。
這いつくばっても仕事をやる。
そういう人間は、何をやっても大丈夫。
強い気持ちのある人材を作っていかないと、社会はきっと破綻する。
宮古市は、でかいパチンコ屋のすぐそばに、豪華な新市役所を建てようとしています。
あんなところに建てたら、交通渋滞は必至であり、緊急時に役に立つのかどうか。
宮古市に言いたいことは、ホント、山ほどありますよ。

脱線してしまいましたが、「地方創生ビジネスの教科書」の10章ある事例の共通項は、いずれも、地場産業が基礎になっていることです。
成功する秘訣は、きっとここにある。
そして、インフォーメーションテクノロジー(つまりIT)を使うこと。
これが必須。

宮古市の地場産業は、やっぱり漁業。
原料は海だから、産業として、これ以上の好条件はありません。
しかし、漁業従事者の減少率は、宮古市の人口減少率より大幅に上回っています。
これでは、宮古市に未来はない。

それでもようやく、普代村、野田村、洋野町は、漁業就労者を増やす施策をやり始めました。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160403_6(「岩手日報 Web News」)

人材育成にカネを使うべきです。
posted by T.Sasaki at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月01日

今年もまた寿命が縮まるみたい

みなさん、こんばんは。

嫌々ながら、今年も日本海に行くことを決定しました。

というのも、毛がに漁をしながら、ある船から、「海が狭くなるから、今年も日本海に行ってね」という定番のお言葉をいただいたからです。
つまり、夏のたこかご漁の話。
ミズダコの資源は、少しずつ増加傾向にあるとはいいますが、昨年の宮古地区は、あまり良くなかった。
苦し紛れに、たら延縄に転業した人もいたほどですから、どんな漁だったかは想像できると思います。

その景気のいいたら延縄も、獲れる場所が決まっていますから、私の入る余地はありません。
昨年など、「え?これが先輩のすることなのかなあ?」ということがあったほどですから、比較的広範囲に獲れる秋までは、遠慮したほうがよさそうな気配。

残る選択肢は、いか釣りで旅歩き。

あ〜あ。
嫌だなあ。
特に新潟沖の操業は、船頭の命を削るようなもの。
1年行けば、1年寿命が縮まる。
それでも、今年は、燃油価格が安いから、「まあ、いいか」って感じで、精神的に楽なのが救いです。
posted by T.Sasaki at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする