3回目。
昨年放送された、NHK朝ドラの「あんぱん」は、平和を問う作品だった。
単純に、アンパンマンを作った作者と奥さんの物語と考えてもいいが、「やなせたかしの生涯」という本では、「逆転しない正義」の意味が強調されている。
著者である梯由美子さんの良心が光る作品である。
ドラマでは、夫婦とも、「逆転しない正義」をそれぞれ言っているが、実は違う。
言っているのは、考えているのは、やなせたかしさんだけである。
しかも奥さんの暢とは、幼少期には知り合っていない。
その辺は、フィクションである。
私は、朝ドラ放送中に、「やなせたかしの生涯」を買って読んでしまった。
ので、だいたいのドラマのあらすじを知ってしまい、途中から熱心に見なくなった。
本のほうが感動するし、中身がわかる。
読書というのは、とにかく、副産物の学びが多い。
奥さんの暢の言葉で「私が食べさせてあげる」というシーンがある。
(※1)これは、どこかで聞いたことがあるなあ、と思ったら、伊丹十三監督の「あげまん」という映画の宮本信子さんのセリフだ。
「あげまん」という映画の主題は、ズバリ、この言葉だ。
言葉をそのまま受け取って、怠ける人はアホであり、そう言われて奮起するのが、普通の男だ。
安心と励ましを同居させた言葉である。
「やなせたかしの生涯」は、昨年(2025年)が初版であり、「あげまん」公開は、1990年。
この同じセリフが、どう関係しているのかわからないが、良いセリフだと思う。
私は、アンパンマンをよく知らない。
子どもの頃に、アンパンマンがなかったし、子どもを持つ親でもなかったから。
妹の子どもたちは見ているから、やっぱり妹も見ている。
したがって、朝ドラで初めて、アンパンマンの中身を知った。
そして、「逆転しない正義」。
これが大事だ。
「逆転しない正義って、何だ?」から始まり、本を買って読みはじめた。
「やなせたかしの生涯」には、「やさしいライオン」という作品の紹介がある。
(※2)ショックを受ける物語であり、心の残る。
妹は、私が涙もろいことを知っているから、NHKのEテレで、たまたま「やさしいライオン」のアニメをやったのを録画しておいた。
ショックのあとには、涙が出てくる。
獰猛な動物がやさしいと、人間に殺されるのだから。
アンパンマンは、子どもたちの絶大な支持を得られている。
大人の都合で、なかなかアニメ化されなかったが、絵本「アンパンマン」が最も読まれている事実から、絶対に売れる、と信じた日テレのプロデューサーにより、アニメは日の目を見ることになる。
(※3)なぜ、子どもたちは、他の絵本よりも、アンパンマンを読むのか。
これが、平和への鍵であったのだ。
もしかしたら、日本が平和ボケの国であるのは、やなせたかしのおかげかもしれない。
(※1)
漫画ブームのおかげで、嵩の仕事はどんどん増えた。やがて漫画家としての収入が三越の給料の3倍を超え、独立を考えるようになる。上京6年目の1953(昭和28)年のことで、嵩は34歳になっていた。
このころ嵩と暢は、四谷の荒木町に住んでいた。戦後のインフレの中、夫婦共働きで懸命に貯金をし、42坪の借地に小さな家を建てたのだ。そのため住むところについては心配なかったが、定収入のない暮らしになるのはやはり不安だった。
そんな嵩の背中を押したのは、このときも暢だった。
「会社、辞めなさいよ、なんとかなるわ。もし仕事がなければ、私が食べさせてあげる」
(「やなせたかしの生涯」p148)
(※2)
やさしいライオン
ある動物園に、ブルブルという名の子どものライオンがいた。生まれたときに母ライオンが死に、ミルクが飲めずいつもぶるぶるふるえていた。同じ動物園にわが子を亡くした犬がいて、ライオンはこの犬に育てられることになる。
成長したライオンは都会の動物園に移され、母犬と離ればなれになる。その後、サーカス団に売られて人気者になった。
月日が流れ、ある夜、檻の中で眠っていたライオンの耳に、母犬のなつかしい子守歌が聴こえてきた。
「おかあさんだ!」
ライオンは思わず檻をやぶって町に飛び出した。
ひたすらに駆け、町はずれの丘で見つけた母犬は老いて死にそうになっていた。
「おかあさん!こんどこそはなれないでいっしょにくらそうね」
そのとき、ライフルを手に追いかけてきた警官隊の隊長が「撃て!」と命令した ー。
(前掲書p165)
(※3)
だがアンパンマンは、絵本という限られた世界でのヒーローであり、一般の知名度は低かった。嵩はそれでかまわないと思っていたが、奇跡はさらに続く。
1980年代、アンパンマンをテレビアニメ化したいという話がくるようになった。担当者はみな熱心だったが、テレビ局の上層部からOKが出ず、なかなか実現しなかった。
NHKからも企画が持ち込まれたが、最終的には没になった。嵩があとで聞いたところでは、いくつかの候補の中で、アレクサンドル・デュマの「三銃士」と「アンパンマン」が最終候補に残ったが、採用されたのは「三銃士」のほうだったという。
そんな中で、あきらめずに何度も会社に提案を続けた人物がいた。日本テレビのプロデューサー、武井英彦である。
企画会議では却下につぐ却下。二度、三度と提案して没にされたが、めげずに五度、六度と説得を重ねた。だがそれでもOKが出ない。理由は、最初のころ絵本を非難した大人たちと同じ「顔を食べさせるなんて気持ちも悪い」、そして「テレビアニメとしてはインパクトがなくて地味」というものだった。
嵩はあるとき「きみはどうしてそんなに熱心なの?」と武井にきいてみた。すると彼は言った。
「息子の通っている幼稚園で、手垢まみれのアンパンマンの絵本を見たんです」
五歳の息子の幼稚園の参観日、武井は教室の後ろの本棚にあった、表紙の傷んだ絵本に目をとめる。ページの角はすれて丸くなっていた。タイトルは『あんぱんまん』。
不思議だったのは、たくさんある絵本の中でこれだけがボロボロで、手垢がいっぱいついていたことだった。
先生に、なぜこんなに汚れているのかと聞くと、子どもたちがとにかくこの本が大好きで、何度も読むからだという答えが返ってきた。
(税経書p219)
posted by T.Sasaki at 16:39|
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