日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2017年07月04日

「武士道」を読もう!

再び。

新渡戸稲造の「武士道」に関して要約し、ここにアップしようとしたが、やめた。
日本人なら、読んでいい本であるからだ。
でも、少しばかり書いておく。

私たち一般の日本人は、ほぼ「武士道」の精神を受け継いでいる。
日常生活や日本人特有の微笑みなど、「こういうことだったのか」ということがわかる。

日本人論なのか、日本文化論なのか詳しく知らないが、ルース・ベネディクトの「菊と刀」が有名らしい。
彼は、日本の文化を、恥の文化としているが、それは、見方が小さい。
日本人をよく観察しなかったと思われる。
だいたいにして、題名に、「菊」という言葉を使うこと自体、間違っている。
日本は、「桜」の国なのだ。

全部記すのは、非常に骨が折れるので、「武士道」を端的に表している文章を少し引く。

 嘘やごまかしは、ともに卑怯とみなされた。武士は、みずからの社会的地位の高さゆえ、商人や農民よりも高い水準の信を要求されると考えた。「武士の一言」 ― サムライの言葉、あるいはドイツ語でいう「リッターボルト(騎士の言葉)」と全く同じ意味 ― は、その言葉が真実であることの十分な保証であった。
 武士の言葉には重みがあり、その約束は一般に証文なしで結ばれ、かつ履行された。証文などを書くことは、武士の威厳にもとることだと考えられたからだろう。「二言」、つまり二枚舌を死によって償った人びとについて、多くの恐ろしい物語が伝わっている。
(「現代語訳 武士道」p78)


武士は、卑怯なことを嫌い、金銭のために、自分の志を曲げることもしない。
幼い頃からそれは教育され、みだりに刀を抜かない。
水戸黄門などという番組はただの娯楽であり、あんなに刀を抜くことはなかったのである。
以前、明治維新の長州勢力のやったことを書いたが、あれは、日本人として、恥ずべき行為である(「明治維新に騙されるな!」参照)。
「武士道」のかけらもない。

「こんな理不尽なことがあるのか。許せない!」と思う任侠的な心があれば、それは武士道の名残なのである。
そして、その精神は、同時代、つまり、サムライの時代の士農工商の末端まで及んでいたのである。

次にぜひ紹介したいのが、男と女のこと。
今の若い人たちは、自分の奥さんのことを褒めちぎっているかもしれないが、私の親の年代は、奥さんのことを蔑称で呼んだり、けなしたりした。
しかし、これは、武士道に起因することだったのである。
「自分を褒める」という行為を、普通の日本人はしない。
夫婦は一体である、という考えから、細君を褒めることもしないのである。
これを表している文章を、再び引く。

 私は、一知半解の外国人の間に皮相な見解が広まっていることに気づいている。― 日本人は自分の妻を「荊妻」などと呼んでいるから、妻は軽蔑され尊敬されていない、というのである。しかし、「愚父」「豚児」「拙者」などの言葉が日常使われているのを告げれば、それで答えは十分明らかなのではないだろうか。
 日本人の結婚観は、ある意味においてはいわゆるキリスト教徒のそれよりも進んでいると私には思われる。「男と女は一体となるべし」(『創世記』)。だが、アングロ・サクソンの個人主義は、夫と妻とは別々の人格であるという観念を脱することができない。したがって彼らが争う時は、それぞれの権利が認められるし、仲良くなればあらゆる種類の馬鹿馬鹿しい愛称や無意味な甘い言葉を交わす。
 夫や妻が第三者に自分の半身のことを ― 善い半身か悪い半身かは別として ― 美しいとか、聡明だとか、親切だとか何だとか言うのは、日本人の耳にはたいへん不合理に響く。自分自身のことを、「聡明な私」とか「私のすてきな性質」だとか言うのは、趣味のいいことだろうか。
 私たちは、自分の妻をほめるのは自分自身の一部をほめるのだと考える。そして日本人の間では、自賛は控えめに述べた場合でも悪趣味だとみなされている。― そしてキリスト教国民の間でもそうなってほしいと願っている!自分の妻をけなして呼ぶことは礼儀にかなっており、武士の間では通常よく行われた習慣だった。
(前掲書p163)

そして、本当は、日本人の夫婦は、仲良しなのだ(笑)。

 父親が息子を抱くと威厳を損なうとされ、夫は妻にキスをしない習慣だった。― 家の中ではしたかもしれないが、人前ではしなかった。ウィットのある青年が言った、「アメリカ人の夫は妻と他人の前でキスをし、私室では殴る。日本人の夫は妻を人前で殴り、私室ではキスをする」という言葉には、いくぶんかの真理があるだろう。
(前掲書p117)


新渡戸稲造の「BUSHIDO The soul of japan」は、明治32年にアメリカで出版され、日本では翌年出版された。これは世界的なベストセラーとなったようだ。
できれば、これくらいの本は、みんな読むべきだ。
私たちの心にあるものが、説明されている。

5000円札に新渡戸稲造が印刷されている理由が、ここにあるのかもしれない。
造幣局のデザイナーは、粋な計らいをしていると思う。
posted by T.Sasaki at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鷲崎で良い空気を満喫

こんにちは。

秋田から出港し、一応針を下ろしたが、2時間操業で、たったの5尾。
これはダメだ、ということで、ゆっくりと佐渡島の鷲崎へ。
そこで、一杯やって一晩ぐっすりと眠り、凪待ち。
何もないところと聞いてはいたが、港にあるのは、ジュースの自動販売機のみ。
非常に静かでいいところ。
こういうところで本を読むのは幸せ。

朝起きて、Google mapを開き、旅館を探し、電話で風呂を注文。
「シャワーだけなら、OKです」というありがたい返事をもらい、さっそく行ってきた。
坂を上がって少し弾埼のほうへ歩くと、寂れた旅館があり、シャワーだけのはずが、ちゃんと浴槽にもお湯を入れてあった。
お金を払おうとしたら、「要りませんよ」というが、「タダというのは良くないですよ」と1000円置いてきた。

鷲崎.JPG

これが、旅館の前で撮った鷲崎の風景である。
半農半漁の生活なのだろうか。
「GDP4%の日本農業は自動車産業を超える」では、農家の規模について記述があったが、このような超過疎地では、半農という生活は、しかたがないと思う。
いくら日本農業のためといっても、全否定は良くない、と思い知らされた。

お昼ごろ、風も凪ぎたので、それから出港。
なかなか、いかの反応を見つけられず、それでも4時ごろから上がり始め、夜の集魚灯点灯操業は、今年初めて100個超え。

良かった。安心した。

今年の電気いかは、やってみても20個か30個しか獲れず、電気設備が悪いのか、といつも首を傾げていた。
しかし、ちゃんと獲れたのをみると、自分の位置取りが悪かっただけだったのだ。
とにかく安心した。
再び、新潟へ入港。
posted by T.Sasaki at 16:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月30日

医者を選べ!

再び。

新潟にいた時、「新 治る医療、殺される医療」「がん治療のウソ」の2冊を読んだ。
前者は、小野寺時夫さん単独の著作であり、後者は、近藤誠さんと小野寺時夫さんの共著である。

小野寺時夫さんは岩手出身であり、すでにかなり高齢な方だ。
昭和5年生まれというから、80代ということになる。
「新 治る医療、殺される医療」は2001年に出版されていて、「がん治療のウソ」は、比較的最近の2014年である。
この間、変わったのは、診療報酬の改定のみかもしれない。
友だちの医療関係者に聞いたら、昔の出来高払い制度が、少し良くなったらしい。
出来高払い制度というのは、患者を薬漬けにし、検査をたくさんやれば、医者がたくさん儲かる仕組みのことをいう。

「新 治る医療、殺される医療」では、医者をすべて善人と思うな、と警告している。
普通の一般人と同じように、ちゃんとした医者もいれば、ダメ医者もいる。
私が思うに、その中間がいないのではないか。
良い医者、良い病院ほど、儲からない。
それは、患者に対する無駄な投薬や検査、手術をしないからである。
一方、ダメ医者というのは、まず、腕は悪いか、勉強不足で知識がないか、カネ儲けのために上記の行為を過剰にするか、どれかである。
なぜ、そんなことになったのか、という最大の原因は、無能な厚生労働省と圧力団体と化した日本医師会、それにぶら下がる製薬業界、献金を受ける政治団体、これらすべてである。

もう一つ、重要な原因がある。
「お医者さま」と言って、すべての医者を信じすぎる私たち日本人である。
私たちは、大事な自分の体を診てもらうのだから、医者や病院を選ぶのは当たり前の話なのだ。
しかし、実際の日本人は違う。
医者や病院を選ぶ判断は、せいぜい口コミ程度の評判だろう。
欧米、特にアメリカでは、患者が医者を選ぶための、過去の情報、というのが、開示されているのだという。
だから、欧米では、ダメ医者は、淘汰されるらしい。
日本の場合、そういう情報が記録開示されないから、患者が医者を選ぶこともできず、ダメ医者は淘汰されない。
しかたがないといえばしかたがないが、良い医者とダメ医者と見分けるスキルを、私たちが身につけなければならない。

米倉涼子主演の「トクターX」を以前取り上げたが、あれは、媚を売る人間を嫌っているドラマである(「ドクターXの人気の理由 (私の嫌いな人 4)」参照)。
みんな、あのような外科医は存在しない、と認識しているとは思うが、一応、現実を引用しておく。

 特に外科領域では、治療法の進歩につれて専門知識に加えて特殊技術と慣れを必要とすることが多くなり、今日では、大病院の外科の部・科長であろうと大学教授であろうと、消化器、肺、乳腺、甲状腺、血管などの全ての手術技能が優れているなどということはあり得ない時代である。それどころか、消化器の外科に限っても、食道がん、肝臓がん、膵臓がん、直腸がんの全ての手術が一流だという外科医は一人もいないと言ってよい。これは、消化器外科に限ったことではなく、たとえば整形外科医でも、膝の関節の内視鏡手術も脊椎関連の手術も人工関節の置換手術も皆一流などという人はいないのである。名医の評判の高い眼科医でも、白内障の手術も斜視も糖尿病網膜症の手術も皆上手だなどということはない時代になったのである。
(「新 治る医療、殺される医療」p103)


「がん治療のウソ」という本によると、各臓器のがんは、それぞれに合った治療というのが存在し、手術や抗がん剤、放射線治療などが選択される。
手術がすべてのがんに効くとか、抗がん剤がすべてのがんに効く、というのは間違いである。
効かない抗がん剤をいつまでも使い、患者を副作用で苦しめる医者は、金儲けしか頭のないダメ医者である。

粒子線治療(陽子線、重粒子線)という新しいがん治療は無駄であり、その設備には、数十億円から百億円もかかるという。
これには、電気をいっぱい使ってもらいたい電力会社の思惑もあるそうだ。
患者はこの治療に数百万円を支払うことになり、したがって、そんな治療を受けることのできる患者は限られている。
この設備はすでに日本全国に7ヶ所もあり、その他、建設中計画中の設備が4ヵ所もあるそうだ。
これを認可するお役所は、「頭おかしいんじゃないの?」を言われてもしかたがないだろう。

粒子線治療より絶対的に安価な放射線治療は技術革新された。
この部分を少し引用する。

 従来のX線治療も飛躍的に向上している。放射線治療装置・リニアックの技術革新により、「IMRT(強度変調放射線療法)」が登場する。コンピュータで制御しながら、がんの大きさや形状に合わせて放射線の強度を調節できるようになった。また、複数の方向からがん病巣に放射線を集中する技術「定位放射線照射」も開発され、周辺の臓器など正常組織への影響も少なくなった。
 このためX線に比してメリットとされた粒子線の特性が著しく減退したのである。
(「がん治療のウソ」p156)


この本には、高濃度ビタミンC点滴療法を題材にした記事がある。
結論は、効果がわからない、というもの。
これを書いた石川れい子さんは、断糖療法との組み合わせに関しても、調べてほしかった。
高濃度ビタミンC点滴療法は、断糖しなければ、意味がないのである。

http://platinum-room.seesaa.net/article/415389574.html

この2冊の発行には、10年以上のタイムラグがある。
しかし、ダメ医者の存在比率は、本を読む限り、変わっていないのではないだろうか。
posted by T.Sasaki at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秋田に入る

こんにちは。

数日前から秋田にいる。
新潟で1日皆無の日があり、さらに、その翌日の朝、気分悪いことがあり、新潟を去ることを決意。
秋田沖に来てみたはいいが、船だけはたくさんいるが漁はパッとしない。
漁がパッとしないから、船も解散状態。
休み明けに、どうなることやら。
これは、飛島を北側から写したもの。

飛島.JPG

もし、ダメなら、また移動することになる。
選択肢として、3つある。
北海道積丹半島に向けるか、八戸に向けるか、新潟に戻るか。
このうち、積丹半島案は、船がたくさんいるとのことで却下。
八戸沖は一昨日あたりから気配を見せてきている。
今日でトロールが切り上げだから、漁は上向くと予想される。
漁が出たら、すぐに行くことになるが、それがいつになるか。
新潟沖は、船も少なくなり操業しやすく、漁も復活したようだ。
しかし、漁場が遠くて嫌になる。

今日は休日。
バカは高いところが好きだから、さっそく、港にあるポートタワー展望室へ。
新潟のホテル日航展望室(140m)よりは低く、100mだそうだ。

ポートタワー.JPG

海岸線に沿って風力発電設備がある。

秋田港.JPG

このでかい船は、昼夜クレーンが稼動している。
交代勤務の操業だろう。
30年前に入港した時には、風力発電はなかった。
ポートタワーもあったかどうか、記憶にない。

http://www.selion-akita.com/
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2017年06月20日

安心の証拠

再び。

北朝鮮がいろいろと各国を挑発しているようだが、まだまだ大丈夫だと思う。
なせか?
新潟港には、海上保安庁の大きな船が、悠々と係船されてあるから。

さど.JPG

これは、「さど」であるが、もう1隻、「ひだ」もいる。
何か、ニュースが騒がしくなって、2隻とも港内にいなくなった時こそ、有事であり、危ないのかもしれない。

ケータイによくかかってくるが、「ミサイルに大丈夫当たらないのか?」という心配は、やめてほしい(笑)。今朝など、寝ようと思って、シャツとパンツ1枚になったところ、海上保安庁の若いネーチャンに声を掛けられ、一緒にいた男性署員には、写真を撮られそうになった。
私が「パンツ姿は困ります」言うと、笑いが出るほど新潟はのどかである。
安全操業を促す各船への巡回である。
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「新潟の魚」

こんにちは。

最近の新潟にしては珍しく、天候がよい休日である。
遊びに行けばいいのに、街のネーチャンたちにカネを搾り取られるだけなので、読書ばっかりしている。
先日は、武士道に関する本の2冊目を読み、今日は、「新 治る治療、殺される治療」という本を読んでいる。
著者は、小野寺時夫さんという方で、生まれは、岩手だそうだ。
この本は、津波以前持っていたものを、再度、アマゾン中古で買ったもの。
なぜ再度読む気になったか、というと、ちゃんと、他の医者のことも書いてあるから。
一般人と同じで、医者にも、「良い医者」「ダメ医者」「ずるい医者」がいることを、彼は教えてる。
本来、「ダメ医者」「ずるい医者」は、淘汰される運命にあるのだが、そうではないのは、一般社会と同じであり、受診する側が賢くならなければならないようだ。

沖合いの風が強くて休みの時、地元船の水揚げを少し手伝った。
この時、箱を見て、少し驚いた。
箱に、「新潟の魚」と書いてある。

新潟の魚.JPG

以前、いか釣り船のいか箱にも、「新潟の魚」と刻まれてあったのだが、何せ、新潟産のするめいかは評判が悪く、この箱で他県で水揚げすると、とんでもなく悪く言われる。
だから、いか釣り船の方から、この「新潟の魚」という刻印はやめてくれ、と言われて以来、いか箱には、この刻印はない。
そもそも、なぜ、新潟産のするめいかが評判を落としたか、というと、先日も書いたように、小さいサイズのいかを自分の金儲けのためだけに、平気で大きいサイズのいかとして、水揚げしたからである。
これが最大の原因である。
旅の人間が、旅先の産地市場の混乱を引き起こしたのである。
一方、地元の小型船たちは、健気に、地元産の魚を大切に扱う(いか釣り船ではない。新潟港にはいか釣り船はいない)。
私は、ここにお世話になっている身分だから、乱暴なことはしない。
礼儀として、これは正しいと思う。
新渡戸稲造氏の「武士道」に関する本を読んでから、特に、そう思うようになっている。

この前の土曜日、ちょっとしたことでいか釣り船の船頭たちと飲む機会があったが、その時、話題になったことを記述する。
新潟産するめいかの評判を著しく落とした原因は、旅のいか釣り船だけにあるわけではない。
新潟の仲買人にも責任はある。
故意に小さくいかを並べている箱を、安く買わないから、こうなってしまったのだ。
高値から安値まで300円程度しか差をつけず、しかし、25入れと30入れの価格差は1000円も違う。
だから、30入れサイズのいかを25尾並べて、25入れとして水揚げしたほうが、平均単価は上がるし、水揚げ箱数も増える。
頭の良い商売人なら、わかるだろう。
簡単な話だ。

このブログで以前にも記述したことがあるが、これを解決する手段は、25入れの安値より、30入れの高値を高くすること。
これで仲買人が損することはない。
30入れサイズが25尾入っている箱より、30いれサイズが正直に30尾入っているほうが、歩留まりは大きいから。
これをちゃんと消費者に示すことにより、新潟産のするめいかは、評判を回復することができる。
それから、販売方法として、「せり」だけではなく、「入札」もやるべきである。
このことは、試験的にやってみてはどうか、と新潟漁協の理事さんに提案したこともあるが、却下されたらしい。

私が岩手県いか釣り部会の宮古地区の役員をやっている頃は、宮古魚市場や仲買人に、「ダメないか箱は、買い叩いていいんだ。それが産地市場の評判を良くする」と言っていた。
事実、あの頃、秋いかが獲れて、宮古産のするめいかは、引き合いが強かったらしい。
買いが強い時は、函館からも買いが入ったと聞く。

旅歩きして水揚げする人たちは、地元でないために、その産地の評判を気にすることが少ない。
しかし、立場を逆に置き換えて考えれば、こういう行動はよくないとわかるだろう。
自分の地元に旅の船が来て、乱暴なふるまいをすれば、地元船は、怒る。
そういう理解が必要である。
行き過ぎは、何でもよくない、ということは、ある年齢になるとわかることなのだ。
わかっていながらやる、ということは、卑怯な人間である。

私は、独行船で旅歩きする人間だが、人情のある人からは、声を掛けられたりする。
もちろん、私がどういう人間であるか、ということを前提に声を掛けてくるのだろう。
だから、話やすい場合が多い。
そういう人たちから、このいか釣り業界の裏話を教えられると、びっくりするのだ。
人は見かけによらないし、大漁するからといって、人間性が豊かとは限らない。
もうこの年になると、大漁するしないにかかわらず、自分だけのことしか考えない卑怯な人間とは付き合いたくない。
posted by T.Sasaki at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

200円カレー

こんにちは。

天候悪く、今朝の水揚げが終わって、もしかしたら、3連休。
まだ水温が低いせいか、するめいかもまだ小さく、40入れやバラが主体であり、30入れは、いつも一桁。
「休めば、いかが大きくなる」とプラス思考で、一杯やっか。

今朝、久しぶりに、漁協のネーチャンに話をしに行ったが、その時、「鮮イカ相場表」というものをもらってきた。
18隻で3114箱。
平均173箱。
私は146箱。
まあ、こんなもの。
最初から、船の塊にめがけていけばいいのに、反対方向も調査してみようか、ということで、反対へ行ったら、何もいなかった。
戻って行ったら、よく調査する船も行ったり来たりしていて、もう終わってる感じ。
あとは、ヤケクソ。
最後に、底反応ばっかりになり、太平洋モードで少し挽回。
最近、こんなパターンが多いから、あきらめモード。
逆に、ツボにはまると、とんでもなく漁に当たる。

「鮮イカ相場表」を見て驚くのが、30入れが多いこと。
総数3114箱のうち、30入れが1074箱もあるから、つまり、3割。
まあ、そんなものだろう。
勝手にやればいい。
こういうことをする人たちは、信用を大切にする商売には向いてない。
そうまでしなくても、十分やっていけるのに。

そんなことはどうでもいいことで、主題は、カレーの話。

今日、昼に起きてから、船体に塗るペンキを買いに、パワーコメリという所まで自転車で行ってきた。
その途中に、原価率研究所というカレー屋さんがある。
200円のカレーライスで、味はまあまあ。
学生時代の学生協のカレーに味は似ている(かなり昔だから今は知らない)。
200円という安さにはビックリするが、それでもちゃんと儲けているのだそうだ。
これは、何を示しているか、というと、困っている人たちにも提供できる、ということ。
実際に、東日本大震災でも、このカレーを被災者にご馳走している。
詳しくは、こちら。
新潟発の事業で、1000店舗が目標だとか。

http://genkaritsu.jp/

ただ、感心しないのが、容器の使い捨て。
このことを店員さんに指摘したら、「もったいないですよね」と言っていたけれど、洗う手間、つまり人件費より、容器の使い捨てのほうが安いとのこと。
これがカレーの原価を下げる一つの方法なのだろう。
「洗うのを機械化したら、どうなの?」「社長さんに言ってみたら」と提案してきた。

こういう飲食店業界の儲ける秘訣は、サービス内容とシステムのバランスを考え、原価を必要最小限に抑えること。

あとは、度胸があるかないか。
posted by T.Sasaki at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

漁船漁業と養殖漁業は兼業すべきでない

こんにちは。

「GDP4%の日本農業は自動車産業を超える」を読んで、いつも私が思っていたことを、吐き出すことにする。
この本には、日本農業の潜在能力の高さが書かれてあり、今まで、農林水産省とその族議員、そして、農協であるJAが、日本農業の進歩を妨げてきた、としている。
農家の数が多ければ、日本の狭い耕作地を分け合うのだから、一人あたりの耕作面積は少なくなる。
本来、そこに税金を使った保護策がなければ、中途半端な兼業農家は消滅し、やる気のある専業農家が伸びるはずだった。
したがって、規模の農業が、日本でもできるはずだったのである。

兼業農家にも専業農家と同じ、偏らない補助金を配られたために、いずれ消えるはずの兼業農家は、今まで生き残ってきた。
その結果、一人当たりの農家の取り分が、多くなるわけがない。
農家が減れば、誰が困るか?
その既得権益を離したくない、農林水産層と族議員、JAが、困るのである。
だから、このように、税金が使われてきた。

それが、ここ数年のうちに、農家の高齢化で、一気に耕作放棄地が多くなるのだという。
これにより、その農地を引き受け、大規模化と効率化を兼ねた、世界の農家と渡り合えるような農家が誕生することになるそうだ。
日本の米でさえ、国内価格が下落したため、経費節減などの努力により、すでに輸出できるほどになっている(何と!韓国産の米より日本米のほうが安く、食味はもちろん日本米が良い)。
だから、もう、TPPでも何でもオッケー。
従来の日本人の気質、武士道気質がある限り、農業だって、ちゃんと国際競争力をつけることができるだろう。

さて、この話が、私のやっている小型漁船漁業と、どんな関わりがあるか、というと、漁船の数と魚類資源の数についてである。
以前、地区の先輩から、岩手沖合い海面の漁業許可について、「1隻あたりの持つことのできる許可数を制限すべきだ」と言われたことがある。
たぶん、以前の漁運丸みたいに、たくさんの許可を持って、いろいろなことをやっていることに不満もあったのかもしれないし、純粋に魚類資源に関することを考えていたかもしれない。
魚類資源や漁船経営に関して言えば、彼の言うことは正しい。
漁船の数が多くなり、そのすべてが操業すればするほど、魚類資源は少なくなり、1隻あたりの収入も減るだろう。
だから、1隻あたりの持つ漁業許可数を減らせば、それなりに、資源も増え、1隻あたりの収入も増える。
確かに論理である。
これは、先程の農家の数と耕作面積の話と同じ話である。
しかし、私は、「その前にやることがある」と反発した。

現在、漁船漁業と養殖漁業は、平行してできる。
つまり、これも、漁業許可をたくさん持っているのに等しい。
1隻あたりの許可数を制限する前に、まず、漁船漁業と養殖漁業の兼業をやめるべきだと思う。

漁船漁業は、この通り、魚類資源減少から、経営が厳しくなっている。
すでに、中途半端な兼業で船を動かしている人たちは、その事業単体では、漁船漁業の経費を払えない事態になっているであろう。
彼らは、養殖漁業で儲けたカネで、その経費を賄っている。
漁船の経費というのは、単年度で言っているのではない。
消耗するエンジンなどの、いずれ交換しなければならないようなすべてを考えての経費である。

漁船漁業と養殖漁業の兼業をやめただけでも、漁場の窮屈性などが少なくなり、1隻あたりの収入は増えるだろう。
また、魚類資源も少しは改善される。
1隻あたりの持てる許可数の制限は、それからやるべき案件である。
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2017年06月04日

諦める、ということ

こんにちは。

今年の日本海は、非常に天候が悪く、そして、寒い。
例年より休みが多く、今日で3連休。
先日も3連休した。

あまりに暇なので、本屋さんで物色し、新書を6冊も買ってしまった。
今まで近くの紀伊国屋書店に行っていたが、他の船に乗っている友だちが、「大きな本屋があるから一緒に行こう」という催促に応じ、行ってビックリ。
ジュンク堂書店というのだが、各社の新書版が、ほぼ揃っているのだ。
だから、注文する、ということが必要ない。
新書版だけだと思うが、それほどの蔵書だから、逆に探すのが大変だった。
目がおかしくなる。

私の友だちは、最近年寄りくさい趣味を持つようになった。
いろいろな木を庭に植え、その成長を喜んでいる。
こうやって旅歩きしている間に、それらを盗む人が来ないことを祈っているが、もし、無くなっていたら、その落胆を大きいと思う。
その友と本を探していると、「GDP4%の日本農業は自動車産業を超える」というのがあり、これを買って私が読み、「内容を教えろ」ときたもんだ。
まあ、面白そうだから、買ってしまった。
これを今から読もうと思う。
「農業やって、二人で儲けっか!」

曽野綾子さんの「人間にとって成熟とは何か」。
これには少しいいことが書いてあった。
もちろん、「違うなあ」という記述もある。
しかし、いつものように、良いところだけを取る。

人権を強調する人たちは、特に、「格差」について、非常に問題視することがある。
格差があるからといって、貧困ではない。
所得が小さいからといっても、ちゃんと生活している。

 私は25年間くらいアフリカの貧しい土地だけに度々行っているせいか、本当の貧困というものを、何度もはっきりと見せられてきた。いつも言うことだが、貧困の条件はたった一つしかない。貧困とは「今夜食べるものがない」ことを言う。その条件に当てはまる人は間違いなく「貧しい人」である。
 しかしそれ以外の、家のローンが払えない、子供を大学にやる費用の捻出がむずかしい、新車を買えない、などという理由は、世界的に見て全く貧困の条件にはならない。
 貧困の苦悩はもっと「積極的」なものである。何々ができない、という形は取らない。屋根が穴だらけなので濡れて寝ている。一度お腹いっぱい食べてみたい。医者にかかる金がなくて死んだ家族がいる。埋葬の費用がないので家族の遺体を引き取りに行かなかった。そんな理由がまかり通っている社会を貧困社会と言うのである。
(「人間にとって成熟とは何か」p217)


はっきりいって、人権主義の人たちは、ずるい部分を多く持ち合わせている。
例えば、先程の引用文にあるアフリカの話を持ち出すならば、日本の格差より、アフリカの貧しい人々のほうが、ずっと問題なのだ。
「格差」を声高に叫ぶ人たちは、曽野さんのようにアフリカでいろいろ経験すべきである。

漁業の世界は、格差社会である。
腕のいい人や頑張る人は、所得も上位に位置するし、船頭として能力の劣る、あるいは、能力のない人は、淘汰される。
こんなことは、当たり前の話である。
それを漁師たちは、「格差」といって非難することはない。
まっとうな漁師たちが非難するのは、ずるい人間である。

私も淘汰される側の船頭になりつつあると最近思う。
絶望の資源管理の現場を見せられたり、やることの結果が裏目になったりするが何年も続くと、漁に対する情熱のほうが冷めてしまう。
ほどほどになったら、あきらめることを考えるようになっている。
そのことに関し、曽野さんは、良いことを書いている。
引用する。

できるだけは、頑張る。しかし諦めポイントを見つけるのも、大人の知恵だ。
(中略)
 諦めることも一つの成熟なのだとこの頃になって思う。しかしその場合も、充分に爽やかに諦めることができた、という自覚は必要だ。つまりそれまで、自分なりに考え、努力し、もうぎりぎりの線までやりましたという自分への報告書はあった方がいいだろう。そうすればずっと後になって、自分の死の時、あの時点で諦めて捨てるほかはなかったという自覚が、苦い後悔の思いもさしてなく、残されるだろう。
(前掲書p138)


そして、次の言葉で救われる思いがした。

 人間にとって大切な一つの知恵は、諦めることでもあるのだ。諦めがつけば、人の心にはしばしば思いもしなかった平安が訪れる。
(同頁)


だから、自分が船をやめる時、が訪れても、落胆することもない。
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2017年05月23日

絶望感が消える

再び。

絶望感が大きく、ブログ更新をする気も起きなかったのは事実である。
しかし、ただ何もしないで生活したわけではない。
今後を考えて、いろいろなものをやったし、いろいろなものを作ったりした。
成果のあるものもあるが、もうここでは報告しない。
くたびれた、というのが本音である。

その後、絶望感はなくなった。
良い乗組員に恵まれたからだ。
私より10歳上である。
今のところ漁の調子は悪いが、今まで背負ってきたハンデから比べれば、気持ちの面で気分いい。
その乗組員には、「漁をしないのに、気分がいいのか?頭おかしいんじゃないのか」と言われるが、それだけ、今までのハンデが、自分的に大きかった。
若い人たちに期待していたこともあり、このブログも書いてきたが、裏切られ続け、本当にくたびれた。

「自分だけよければいい」という態度でやっていくなら、非常に楽である。
もう私もいい年なのだから、そのほうがいいのかもしれない。
posted by T.Sasaki at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする