日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2019年04月18日

水産庁は、現状維持が大好きなようだ

再び、こんばんは。

この前の日曜日に行われた水産庁との意見交換会で、水産庁の考え方、というのが、およそわかった。
彼らは、魚類資源を増加させるのではなく、現状維持を保つつもりのようである。
「水産加工業者のことも考えて」という言葉には、漁業者から不平の言葉がいっせいに発せられた。

現状維持で、岩手沖の2そう曳きトロールをそのまま操業させていると、もっともっと魚はいなくなる。
そうなると、震災復興の補助金などを用いて復活させた加工業者たちは、ますます苦しくなる。
魚類資源が豊富であればあるほど、加工業者も経営が楽になるのに、本末転倒とは、このことである。
水産庁のお役人たちは、頭が硬直化している。
posted by T.Sasaki at 20:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悪いことをすれば、こうなる

こんばんは。

せっかくブログを書いている人間が、取締船に捕まったのだから、どういう呼び出しがあって、最終的にどうなるのか、ということを記しておきたい。
もちろん、捕まったことのある人は、こんなもの、読まなくてもいい。

まずは、昨年の出来事は、「とんでもない出来事」「毛がにを獲っていい漁業」「反撃の決意」を読むべし。

その後、しばらく経って、忘れた頃に、検察庁から呼び出される。
そこで、担当検事から聴取される。
検事が起訴するかどうかは、その後、検察内で相談し、決めるようだ。
起訴されれば、牢屋に入るか、罰金の請求が来るのか、のどちらかである。

検察に出頭して聴取された時点で、すでに前歴がつく。
前科ではない。
前科は、起訴されて有罪確定の場合、前科となるらしい。

それと平行して、県から、「聴聞」される。
県の取締り事務所と県職員が、聴取された文書の内容を、本人に確認し、その他、言いたいことを言う。
これに対し、県職員たちは、答えることはない。
持ち帰って、検討する程度であるらしい。
だから、私が、ちゃんとしたことを言っても、馬の耳に念仏かもしれない。
もしそうならば、バカくさい儀式である。

そして、県の処分として、停船期間が設けられ、私の場合、それが10日間である。

たぶん、これで終わりではないか、と思う。


posted by T.Sasaki at 20:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月17日

ネットことば

再び、こんばんは。

松川温泉は2泊3日であったが、2泊もすれば、体は硫黄の香りで幸せ気分である。
が、これで翌日から仕事をすると、体を壊す。
「2泊くらいなら、大丈夫だろう」と思って仕事をしたら、具合が悪くなり、結局、その後何日か休んだことがある。
だから、せめて、温泉から帰った翌日は、休むようにしている(1泊なら問題ない)。
そのため、今日も読書したり、これを打ち込んだり。

峡雲荘では、2冊ほど読んだが、そのうちの1冊は、これ。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900100(「文藝春秋BOOKS」)

読もうとしていたものだが、すでに書店では手に入らないので、Amazon中古で手に入れた。
作品紹介には、「ネット文化、ネット言葉に懐疑を抱く中高年待望の書」とあるが、中高年は読まなくてもいい。
若い人たちが読むべきものだ。

人間社会のコミュニケーションツールは、話しことば、書きことば、ネットことば、というように、変遷してきた。
文字が発明されるまでは、話しことば、つまり、会話がコミュニケーションの手段であったが、しかし、文字が発明されても、印刷技術が発達するまでは、それほど文字は重要ではなかったが、活版印刷という印刷技術の出現により、話しことばより書きことばが重要になったのである。
そして、現在、書きことばを駆逐し始めたのが、ネットことばであるが、これは、始まったばかり。
ネットことばとは、メールやSNS(特に流行りのLINEかな?)で行き来する、スピード感のあることばであり、映像なども含む。
情報量が膨大なこともあり、ネットことばは、軽い。
一方、書きことばのほうは、何度も訂正され、校正され、それから、紙媒体を通じて世に出るから、反省的思考がある。
ネットことばは、スピード感がある分、発せられることばを吟味できない。
引用する。

 ネットことばの「プロセスが見えにくい」という原理は話しことばといっしょです。ことばを発するまでの瞬間的な脳内の作業は見えません。ことばを口にだす本人にも見えない。ことばにだしたあとになって、なぜあんなことをいったのかと悔やむのはそのためです。やはり同じようにSNSやメールソフトでことばを「打ち込む」ときも、ことばを「書く」ときと違い反省的思考が不足します。ネットことばは、まるで話しことばのようなスピードで打ち出されていくのですから当然なのですが。
 つまりネットことばは、話しことばときわめて似た特質をもっているといえます。ネットことばは書きことばより、ずっと話しことば的なのです。
(「ネットで『つながる』ことの耐えられない軽さ」p65)


しかし、書きことばよりも、ネットことばへの転換は、止めることはできない。
とにかく、ユーザーの印象に残り、利用されるのは、現在では、ネットことばである。

1960年代に、すでに、このことを先取りした人がいた。
それは、カナダの英文学者であるマーシャル・マクルーハン。
彼は、「メディアはメッセージ」と表現した。

 メッセージそのものよりもメディアが重要だということです。
 かつて米大統領選でケネディとニクソンが討論したとき、テレビを見た人はケネディが優勢に議論を展開したという印象をもったのにたいして、ラジオではニクソンが優勢だったと、まるで逆の印象を多くの人がもったという話は有名です。ラジオで聞いた場合と、テレビで見た場合とでは演者の印象ががらりと変わるという話もメディア(テレビかラジオか)によってメッセージの印象や評価が変わるということ、つまり「メディアはメッセージ」だということと重なります。
(前掲書p182)


メディア自体がメッセージであるのに、さらに、著者の藤原さんは、今度は、メディアがメッセージの選ぶのだという。
太古の時代の石版は、メッセージを彫るのに、かなりの時間と労力を費やす。
したがって、簡潔で重要なメッセージしか記すことができない。
そして、現在を支配しつつある、「つながり」の媒体であるSNSが、どんなメッセージを選ぶか。
推測すると、またまたこれが非常に悩みのタネになる。
書きことばは、読解力を養うが、ネットことばは、そうではない。

 書きことばが衰退するということは、読む力も衰退するということです。よって読者の力も同時に衰えていきます。現在、紙に書かれる文章も短文化が進んでいますが、短文しか読まない読み手がふえているからにほかなりません。長文を読めない人がふえているのです。
 ネット上では「長々と書いて説明しなければならないのは、そもそもダメなアイデア」と見なされます。
(前掲書p208)


SNSやゲーム、ギャンブルなどに、個人の嗜好というか、それぞれに、「合う」「合わない」があるだろう。
私にとって、まず、ゲームやギャンブルは、時間の無駄にしか感じられない。
ああいうものに熱中しても、何も残らない。
SNSは、どうか。
以前、少し参加してみたが、使い方が悪かったせいか、何も残らなかった。
感覚的な問題かもしれない。
「軽く、付き合いのがいいよ」と助言をいただいたりしたが、私は、その「軽く」ができない不器用な人間である。
しかし、その感覚的なものを書き表したのが、この本に記してあった。
私的には、これが、この本の結論である(もちろん、結論はちょっと違う)。

 ネットが思考を拡散させるバイアスが強く働くシステムだということを、経験的に納得している人は少なくないはずです。
 だから、いつまでたっても仕事を終えることができないと、苛立つことも多い。
 もちろん紙とペンで仕事をしていた時代であっても、作業を中断して、辞書で調べものを始めたり、新聞を読み始めたりということがありました。しかしネットことば時代における作業の中断と再開とは本質的に意味が異なります。
 ネット上において作業の中身(画面)を切りかえるとき、それがあまりに瞬間的で簡単なために、それまでかかっていた作業を中断したという意識もなくなります。別のテーマに移りつづけたとき、その前に自分が何に取り組んでいたのか思いだせないということもある。たくさんのメールをチェックしたり、フェイスブックを開いてメッセージを「読む」。しかしそのうち、いくつのことばが記憶に残るのか。ほとんどのことばは右から左へと流れて消えていくだけ、ということはないでしょうか。
 その間、思考は深まりを見せることがほとんどなくて、時間だけが過ぎていくということが起こります。これはゲームをやっているときとよく似ています。
 こうしてやるべきことがいっこうに進行しないということが少なくありません。
(前掲書p200)


副産物として、プレゼンテーションや検事の不正事件、日本の経済発展に関わった日本の書きことばなど、面白い記述がたくさんあった。
ネットことばの隆盛により、英会話の能力の違いが、さらなる格差を生むことになり、いずれは、日本語も淘汰されるのではないか、という推測まで書いてある。

おもしろかった。
posted by T.Sasaki at 22:32| Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

停船で仕事をするな、というから、温泉に行った

こんばんは。

先日、盛岡で水産庁との意見交換会があり、その足で、松川温泉に行ってきた。
高齢の父親が、「行きたい」というから、日程を組んだ。
どうせ、停船期間中なので、何もできない。

泊まったところは、峡雲荘というところ。
ここには、岩手県のワールドチャンピオン、小林陵侑選手が、小さい頃から遊びに来ていたそうだ。

http://www.kyounso.jp//info/show2.cgi?method=post(「松川温泉峡雲荘」)

2階の読書廊下で、思い切り読書。

日向ぼっこ.JPG

日向ぼっこをしながら読書をする、という風景はよくあるものだが、実際には、窓に向かって読書をすると、逆光になるから、逆向きがいいと思う。
写真のとおり、いすを逆向きにして読んだ。

意外にも、WiFiが使えるみたいだが、全室ではないらしい。
WiFiが使えるのは、宿を選ぶうえで、高得点となる。
静かでのんびり。
宿の人は、みんな人がいい、と思った。
posted by T.Sasaki at 22:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月12日

岩手大学とNTTトコモ

再び、こんばんは。

毎年、岩手大学工学部(現在は、理工学部)の同窓会報が送られてくるが、それを読んで、びっくりした。
学長あいさつの中で紹介されていたが、NTTドコモの社長は、岩手大学工学部出身であり、その縁で、岩手大学とNTTドコモは、連携協定を昨年締結した、という。
ドコモファンになった(単純!)。
すでに、ドコモのケータイではあるが。

ちょっとした母校の自慢になってしまったが、学力の低い人の入る岩手大学は、意外にも、教育成果は上がっているようだ。
先日、「THE 世界大学ランキング 日本版」が発表された。

https://japanuniversityrankings.jp/rankings/

京都大学が、初の単独トップになった。
岩手大学は、ランキングにあるのかな、と思いながら、下を見てみると、ちゃんとあった。
85位である。
感想は、「最下位でないから、まっ、いいか」という程度。
しかし、恐れ入った。
「教育成果」という指標では、38位である。
これは、入学時の学力は低くても、研究成果や卒業してからの社会貢献度が高い、ということになるのか。

これには、きっと、盛岡冷麺が関わっている。
あの激辛を食べた学生は、その時点で、今まで働いていなかった脳の部分が、活性化された。
そう解釈してよい。
腸が人間を支配している、という人もいるくらいだから、唐辛子が腸を通過した時、体全体も活性化しただろう。
お尻の穴までヒリヒリするくらいだから。

私の場合、逆効果のため、船乗りになってしまったわけだが。
posted by T.Sasaki at 21:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

100均

こんばんは。

今日は、1級小型船舶操縦士の更新講習に行ってきた。
久しぶりに、人に会った気がした。
知り合いに声を掛けられ、隣には、市議会議員が座って、雑談。
時間があれば、たぶん、1時間は雑談すると思う。

ステンレスピンチ.JPG

これ、漁期中の焼き魚。
切り上げ直前に、どんこの小さいのが来るわ、スケソウの小さいのが来るわ、のどぐろは相変わらずくるわ。
持ってきて、おばさんたちにあげても、残りは私。
あまりに残りすぎて、干して、冷凍しておいた。
それも、ようやくなくなりつつある。
どんこやスケソウの干物は、脂がない分、冷凍がきく。
さばで失敗したから、脂のあるのどぐろは、先に食べた。

そういう話ではなく、干している魚を挟んでいる洗濯ばさみみたいなのは、キャンドゥーで買った、ステンレスピンチ。
4個で100円だと思った。
今までは、この竹ざおに、頬ざししていたが、このステンレスピンチのおかげで、干すのが楽になった。
これは、お買い得だと思う。

最近、100円ショップが、大好きになった。
暇な時は、行きそうな感じ。

これには、伏線があって、一昨年、いか釣りに乗ってくれた津軽の乗組員が、安物買いのマニア。
とにかく、安いところを知っていた。
100円ショップ(100均というらしい。以後100均にする)にもよく行き、私も釣られてしまった。
それまで、ほとんど行ったことがなかったのに。

いか釣りで針につける電池は、単三アルカリ乾電池。
今のところ、100均が一番安い(乾電池は、すべて安いと思う)。
いろいろとアイディア商品もあり、面白い。
最近は、100均でネットサーフィンしている。

でも、気をつけなければならないのは、不良品も多いこと。
乾電池を使う電気製品は、あまり良くないと思う。
それから、自転車の数字合わせの鍵も、不良品をつかまされた。
消耗品も良し悪しがあるみたい。
例えば、ラップ。
すぐに切れて、端を探すのに苦労したりする。

もう一つ、問題が。
100円だからといって、要らないものまで買ってしまうこと。
ただのゴミにしかならない(笑)。

宮古の100均は、店舗規模が小さいから、都会の100均より、商品の種類が少ないと思うから、少し都会に行ったら、絶対、100均。
posted by T.Sasaki at 20:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月11日

現場は厳しい

こんばんは。

今朝も雪。

4月の雪.JPG

4月になってから、何でこんなに雪が降るの?
3月末から天候が良くなくて、毛がに漁の切り上げが2日も伸びた。
誰も出ない浜で、かごを揚げてきたため、このありさま(これ、私が積んだもの。下手くそ!)。

倒れたかご.JPG

その2日後には船の検認が控えていたため、翌日は、船の上屋をばらし、検認が終わったら、また組み立て。
そのまた3日後には、小型移動式クレーンの講習。

移動式クレーン講習.JPG

2日間の勉強と1日の実技があり、その実技の日が、昨年の違反の停船開始日。
それが昨日。
本当は、停船の前に、マスト類のペンキ塗りなどを急いでやりたかったが、晴れの天気予報なのに、ゲリラ的に雨が降る。

天候不順がこういう結果を引き起こす。
余裕がないったら、ありゃしない。

昨年は、フォークリフトの講習に通って、自分の年を痛感したが、今度のクレーン講習は、若い人に負けなかった。
実技試験はノーミスで、運行時間も速かった。
たぶん、トップクラスではないかと思う。
これには、理由がある。
1年に2回ぐらい、無免許運転をしていたから(船への機械類の積み下ろし)。
でも、うまくいった最大の理由は、直前に、若い人に、コツを聞いたから。
彼は経験者のようで、フックの振れの止め方を知っていた。
それをズケズケと聞いた私は、頭で思考実験を繰り返し、試験の時に試してみた。
結果は大成功。
ジブ(ブーム)を上下左右動かし始める時に、振れのタイミングを合わせれば、時間ロスなく、うまくいく。
自分の実技試験が終わってから、その若い人に、お礼を言った。
彼は、あんなに頭を下げられると思わなかったのか、照れていた。

無免許運転と書くと、密告してやる、という人がいるかもしれないが、私の場合と違って、仕事としての現場では、都合上、ハンドルを握っている人も多い。
昨年のフォークリフト講習の時も、すでに現場では、プロとして仕事をしている人もいた。
そういうものなのだ。
ただ、事故が起きたときなど、労災認定されない可能性が大きく、また労災を起こした事業所では、かなりのお目玉を食らうことになる。
時間があれば、誰もが資格を取りたいとは思っているが、世の中の人は、みんな忙しい。
その点を考えて、いちいち目くじらを立てないのが、大人の態度なのである。

昨年、フォークリフト講習で一緒になった、そのプロの方が言っていた。
現場で、積荷を崩せば、それは、自腹で弁償しなければならないそうだ。
事故などというものを起こせない厳しさが、すでに現場にはあるのだ。




posted by T.Sasaki at 20:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月24日

いさだ漁業許可の「失効に係る許可」、その後

再び、こんばんは。

懸案のいさだ漁業の許可、もうバカくさくなった。
水産振興課のあのバカ課長連合のおかげで、今漁期を逃すことになった。
その後、いろいろな方面からの談判があり、新規の許可をもう一度だすそうだ(そこまで追い込まれるくらいなら、最初から許可を出せよな。時間の無駄とエネルギーの無駄)。

次の問いに、彼らは満足な回答をすることができない。

昨年の漁業者の要望より、16年前の漁業者の要望のほうを重視するのは、なぜか?

答えられないから、私は、「頭がおかしいんじゃないの?」と言うしかない。

16年前には、いさだ漁業者の組合は、岩手県沿岸漁船漁業組合(沿岸組合)とは別の組織であった。
その数年後に、現組合のいさだ部会としてスタートすることになるが、別組織の時代の要望を聞く、という水産振興課の態度は、どう考えてもおかしい。
「おかしい」と思うから、簡単に同意した沿岸組合の組合長と何か関係を疑いたくなるのは、誰もが思うことである。
もし、何もない、というのなら、この判断を下した課長連合は、無能である、と考えてよい。

先日、海区違反(昨年の事件)の聴聞が終わったあとで、担当した県職員にも、このことを言ってきた。
彼も、県庁で私に対応した職員の一人である。
私は性格が悪い。
「16年前の紙切れより、オレたちのほうを見ろよ。こっちは、生身の人間なんだよ。」と言ってきたが、少しきつかったかな。
違反の聴聞で、逆に私のようにガンガン言う人も、珍しいかもしれない(私も頭がおかしいのだろう)。

彼の上司が、例のM課長であり、その上にまた、総括課長というのがいて、それがI課長と言われる。
I課長は、宮古出身だそうで、たぶん、宮古高校出身だろうから、私の先輩にあたることになる。
ぜひ、顔をみて、談判したかった。
が、残念なことに、定年退職だという。
そして、その他は、揃いも揃って、全員転勤だそうだ。
もう、笑うしかない。

その新規許可の申請でも、県の水産振興課は、20歳の替え玉不正取得を認めるような発言をしている(いさだ漁業許可の「失効に係る許可」を再読してほしい。20代の漁師の名義を使う替え玉取得のこと。これは前年のこうなご漁業許可から始まったという噂である)。
彼らは、これを「不正ではない」というが、私は不正だと思う。
不正には、徹底的に、正直に闘う。
だから、聴聞を担当した職員にも、宮古水産振興センターの職員にも、「私は、54歳で申請しますからね」と宣言してきた。

これで、水産振興課の態度が変わるだろうか。
結果は、いずれ報告する。

再度、書いておく。

常識ある人間なら、16年前の漁業者の要望と昨年の漁業者の要望の両方を選択するとしたら、昨年の要望の方にするだろう。
そうしなかったということは、裏があるのか、それとも、課長連合が、よほどの無能であるのか、のどちらかと考えていい。

誰もがわかる誤りの指摘をされても、彼らは、謝罪することを知らない。
無意味な回答をして、しらを切るのみである。
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理解しにくい鮭漁業の制度

こんばんは。

先日、漁民組合の組合員と少し話をした。
話をしたら、もちろん、鮭の話も出る。
まだ裁判をやっていて、近いうちに判決が出る予定のようだ。

漁業法は、慣習法である。
だから、「今さら、鮭を獲らせろ、というのには、無理があるんですよ」と言っても、なかなか理解してくれないけれど、彼らの言い分にも一理ある。

岩手県で鮭を獲ることのできる漁法は、河川捕獲、定置網漁業、そして、個人で獲るための鮭延縄漁業。
この3つである。
私は、定置網漁業というのは、岩手の場合、今や、ほとんど各漁協で営んでいるものと思っていた。
重茂、宮古、田老、小本浜の各漁協は、すべて、漁協経営であるが、ほかは違うらしい。
個人で営んでいる定置網もあるそうだ。
山田から南にあるという。
しかも、三陸やまだ漁協の場合、組合長が自分の定置網で、鮭を獲っているそうだ。
私には、その神経が理解できない。

昔々から、定置網漁業を営んでいること自体に、異論をはさむつもりはない。
それは、慣習法に従う行為だからである。
しかし、漁民組合の言うように、税金を使って増殖事業をやっているのを、個人の定置網で獲っていいのか、という疑問にぶち当たる。
同じ定置網でも、漁協でやる場合、その収益は、何らかの形で組合員に還元されている。
これは、本当のことだ。
しかし、個人の定置網で獲った場合の収益は、どこへ行くのだろう。
関係地区の漁民に、いくらかでも還元されているのだろうか。
もし、全く還元されていない、というのなら、漁民組合の主張を聞かないわけにはいかないだろう。
個人で獲るなら、定置網ではなく、延縄で獲れ、と言われてもしかたがないように思う。

一方、ずっと昔から、定置漁業権を更新してきた人にすれば、人工ふ化放流事業は、勝手に周りがやったものだから、そう言われる筋合いはない、と言うかもしれない。
このあたりを、どう考えていいのか。

漁民組合の鮭に対する不満は、沖合底曳網漁業にも言える。
かけまわしのトロールでは、鮭をそれほど獲ることはできないようだが、2そう曳きはたくさん獲る。
昨年は大漁だった。
何万尾か獲ったといわれる。
私は、その数字を知りたい。

本来獲ることのできない漁法で、この混獲を認めている国や県に対し、漁民組合が不信感を持つのは、自然のことではないか、と思うのである。
このあたりを考えると、大元の法律や制度のほうに、問題があるのではないか。
posted by T.Sasaki at 21:42| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月18日

外国人雇用は、魚類資源の減少をますます促す

再び、こんばんは。

まずは、これ。

キャプチャ1.JPG
(2019年3月16日付「岩手日報」3面)

見方を変えれば、なるほどなあ、と思う。

昨年だったか、他のいか釣り船に乗っている私の友だちが、このことについて話していたことを思い出す。
今では、小型船でも、インドネシア人を乗せているのだが、友だちの主張では、外国人を乗せなければならない船主は、それだけ漁のやり方が下手なのだから、本当は、淘汰されるべきなのだそうだ。
なるほど、本来、淘汰されるべき船が、賃金の安い外国人労働者によって、存続できるのだから、その分の漁獲物が減少してしまう。

以前にも書いたことだが、魚類資源の減少により、漁船も淘汰されて減少し、減りきったある時点から、今度は、魚類資源が回復することになる。
そして、漁船も増加し、再び、資源は減少する。
これが自然なサイクルとして、繰り返されるのである。

しかし、低賃金や漁業補助などで、淘汰されるべき漁船が漁を続ければ、魚類資源は、ますます減少するから、資源回復はかなり遅れることになる。
この新聞記事から、彼の言葉を思い出し、今、納得した。

日本人と日本近海の魚類資源を守るためには、必要な考えであると思う。
posted by T.Sasaki at 20:47| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする